20世紀史上、最も名をはせた英国諜報部員ジェームズ・ボンド。そのアイコニックなイメージをつくりあげたのは、第一作『ドクター・ノオ』の監督テレンス・ヤング、原作者イアン・フレミング、そしてふたりのなじみのテーラー「アンソニー・シンクレア」である。1962年公開の『ドクター・ノオ』から1971年公開の『ダイヤモンドは永遠に』まで、『007』に登場するショーン・コネリーのスーツはそのほとんどをこのテーラーが手がけている。

当初、フレミングはジェームズ・ボンド役にデヴィッド・ニーヴンかケイリー・グラントを希望していた。しかし、低予算のB級スパイ映画にすぎなかった第一作では予算が折り合わず、彼らのような第一級のスターを使うことはできなかった。そこでテレンス・ヤングが連れて来たのが、当時まだ駆け出しの無名の役者であり、ボクサー上がりのスコットランド人ショーン・コネリーだった。

今でも語り継がれる「ボンドスーツ」出生の秘密

1963年、シリーズ第2作目となる『007 ロシアより愛をこめて』用のスーツを仮縫いするショーン・コネリー。テーラーはもちろん「アンソニー・シンクレア」だ。小説版ではさほど描写されていなかったボンドのスタイルは、このテーラーと上流階級出身のテレンス・ヤング監督によって命を吹き込まれたのだ。

デビュー前のコネリーを、プロデューサーのアルバート・R・ブロッコリは磨かれざるダイヤモンドと評して強く推薦した。しかし、政治家の息子として生まれ、名門イートン校から王立陸軍士官学校を卒業したフレミングにしてみれば、自分自身の投影でもあるパブリックスクール出身のエリート、英国諜報部員のボンドが、ジーンズとボンバージャケットしか着用したことのない泥臭い若者であることは、到底許し難い事実だった。

そこでヤングは英国を代表するジェントルマンを強制的に養成するため、身のこなし、食べ方、話し方にいたるまで、コネリーに徹底した英才教育を施した。その最終仕上げが、なじみのテーラー「アンソニー・シンクレア」のビスポークスーツに名門シャツメーカー「ターンブル&アッサー」のシャツを纏まとわせ、完璧なジェームズ・ボンドのイメージをつくりあげることだった。

体になじんだビスポークの雰囲気を演出するため、ヤングはコネリーにスーツ着用のまま眠ることさえ命じた。それまでは自分の身体に合わせて作られるビスポークスーツを着たことがなかったコネリーは、その翌朝、快適な着心地に感嘆の声をあげたという。

現在、この「アンソニー・シンクレア」の名を受け継ぐのは同社のディレクターであるデヴィッド・メイソンと、アンソニー・シンクレアの弟子であり、彼の引退した1982年に後を引き継いだカッター、リチャード・W・ペインである。

2012年、『007』映画の50周年を記念し、ロンドンのバービカン・センターで大規模なジェームズ・ボンドの回顧展『DESIGNING 007-50Yearsof Bond Style』が開催された。その展示に合わせ、コレクターが所有していた1966年製のオリジナルスーツをもとに、シリーズを代表する2着のスーツが再現された。『ドクター・ノオ』で着用したショールカラー、ミッドナイトブルーのイブニングスーツと、『ゴールドフィンガー』(1964)で着用したグレーのプリンス・オブ・ウェールズ・チェック、シングル2ボタンのスリーピーススーツ、これらのスーツを製作したのも彼らである。

ではアンソニー・シンクレアとはどんなテーラーであったのか?

メイソンはそのハウススタイルをこう説明した。「当時、メイフェアのコンデュイ・ストリート43番地に店を構えていた『アンソニー・シンクレア』のハウススタイルは『コンデュイ・カット』と呼ばれ、一世を風靡した。自然な肩のライン。盛り上がったスリーブヘッド。張りのあるチェスト。絞られたウエストとは対照的にすそを広げることでつくった、アワーグラス(砂時計)シルエット。それは『ドクター・ノオ』に登場するジェームズ・ボンドのスタイルそのものだった」

カッターのペインによれば、「1960年代当時のスーツと較べると、シンクレアはより薄い生地と自然なショルダーラインに代表されるスーツを好んでいた」という。前職はボクサーというだけあり、ショーン・コネリーの鍛えられた身体のラインを、シンプルだが力強く、さらにエレガントに表現する「ボンドスーツ」は、今見ても新鮮だ。

なぜ、「アンソニー・シンクレア」は完璧なまでにジェームズ・ボンドの殺しのスーツをつくりあげることができたのか?

実はその秘密は『コンデュイ・カット』の由来にある。それはもともと英国近衛連隊の士官たちが好んだ、軍服に端を発するスタイルであり、シンクレアはそこからハウススタイルの『コンデュイ・カット』を開発した。第二次世界大戦中、アイルランド近衛連隊に従軍した経験をもつ監督のテレンス・ヤングが、「アンソニー・シンクレア」のハウススタイルを好んでいたのも、そうした理由があったからだろう。

軍服としての機能美から発したこのスタイルこそが、本来のDress tokillの意味を持つ、『007』の殺しのスーツの美学を端的に表現することができたに違いない。

これがいかに効果的であったかは、最高のジェームズ・ボンドの名が50年以上経った今でも、ショーン・コネリーに与えられている事実が物語っている。若いコネリーの野性的でエネルギッシュな魅力と、それと相反するマイナスの殺しのための機能美を演出するビスポークスーツのコンビネーションが、不世出の英国諜報部員ジェームズ・ボンドのタイムレス・クラシックなスタイルを生んだのだ。

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PHOTO :
Getty Images
WRITING :
長谷川喜美