ロールス・ロイスの名は有名でも、車名が二人の人物の姓を合わせたものと知ってますか? 英国人、チャールズ・スチュワート・ロールズ(あるいはロールスとも書かれる)と、フレデリック・ヘンリー・ロイスの頭文字。なので、正式にはRolls-Royceとハイフンで結んで書かれる。
チャールズ・スチュワート・ロールズの生誕144年を祝う
2021年8月27日、ロールス・ロイスでは、最新のゴーストでもって、ロンドンの「聖地めぐり」を行った。聖地とは、技術者のロイスに資金援助をし、1904年にロールス・ロイスというクルマを生んだチャールズ・スチュワート・ロールズの生誕144年を祝って、ゆかりの地を回るというもの。
1877年に男爵家にうまれたロールズの生家はロンドンの一頭地であるメイフェア。今回、ロールス・ロイス・ゴーストによるロンドンツアーの出発点は、ここのヒルストリート35番地から始まった。
つぎがピカデリー111番地。ここはロールズが1901年に「ロイヤルエアロクラブ」なる航空機愛好家たちのためのクラブを、フランク・ヘッジス・バトラーとともに設立した場所だ。1961年までこの場所に同クラブは拠点をかまえていた。
それから「ロイヤルオートモビルクラブ」へ。1897年にロールズは有志とともに、自動車を愛するひとたちのための団体として前身にあたる「ジ・オートモビルクラブ・オブ・グレートブリテン・アンド・アイアランド(アイルランド)」を立ち上げている。同クラブは1911年に、ペルメル通り89番地に移転し、いまにいたっている。
ロールズがロールス・ロイスリミテッドの本社機能を置いたのが、コンデュイット通り14−15番地。1905年に開設された。ここでロールズは執務するとともに、ロールス・ロイス車の新車のプレス向けお披露目などを行った。
開拓者精神に富んだ富裕層によって技術革新がもたらされた
聖地めぐりの終点は、ロールズ生家ちかくのバークリーストリート。ここにいまロールス・ロイスは販売拠点をかまえている。石板を貼ったファサードが、重厚さとモダンさを両立させている、ロールス・ロイス的といっていいのか、個性あるショールームだ。
ロールズの死は32歳のときに訪れた。飛行家として、最初は気球、そのあと航空機に入れ込み、じっさいに英仏海峡を無着地で往復するなど偉業を達成したロールズ。「このために生きていく価値がある」と航空機への情熱を語っていたものの、航空機事故に遭ってしまった。
1910年、ライトフライヤーで競技に参加した際、機体尾部が壊れて墜落。見物客が集まっているグランドスタンドに突っ込んで、ロールズは頭蓋骨骨折で他界したのである。英仏海峡往復から1年たたないうちの事故であり、航空機で落命した最初の英国人となった。
「境界にしばられないで活動領域を広げていくという点において、いまでも私たちのよき参考になっています」。チャールズ・スチュワート・ロールズについて、ロールス・ロイスのトルステン・ミュラー=エトベスCEOは語った。畏れを知らない、あるいは開拓精神に富んだ富裕層が、さまざまな技術革新に大きな貢献を果たした。そういう時代から、ロールス・ロイスは続いているのだ。
- TEXT :
- 小川フミオ ライフスタイルジャーナリスト