【目次】
プロフィール
名前:デビッド・ボウイ(David Bowie)
出生地:イングランド ロンドン ブリクストン
生年月日:1947年1月8日
没年月日:2016年1月10日(69歳没)
1964年、シングル『リザ・ジェーン』を発表しミュージシャンデビュー。グラムロックの先駆者として数々の名曲を世に送り出す。1983年発表のシングル『レッツ・ダンス』は全英・全米でチャート1位を獲得する大ヒット。俳優としても活躍し、1976年公開の『地球に落ちてきた男』で初主演を務めた。2004年以降、表立った活動を控えるようになる。2013年に復帰するも、3年後の2016年1月10日、肝がんのため死去。2日前の誕生日にリリースされたアルバム『ブラックスター(★)』が遺作となった。
私生活では、1970年にモデルのメアリー・アンジェラ・バーネットと結婚するも、1980年に離婚。1971年に誕生した長男のダンカン・ジョーンズは映画監督として活躍している。1992年、モデルのイマン・アブドゥルマジドと再婚。2000年に長女のアレクサンドリア・ザーラ・ジョーンズが誕生している。
「若いころ」「昔」の写真10選
はじめに、デビッド・ボウイの若いころの写真をピックアップ。
1966年ごろ(19歳ごろ)「ディヴィー・ジョーンズ」名義時代
1972年1月(25歳)『ジギー・スターダスト』ツアー初日
1973年1月(25歳)ロンドンで行われたBBCのテレビ番組の収録
1973年5月(26歳)『ジギー・スターダスト』のツアー公演
1974年2月(27歳)オランダ・アムステルダムでの記者会見
1976年5月(29歳)オランダ・ロッテルダム
1977年(30歳ごろ)アメリカ・サンフランシスコ
1978年5月(31歳)アメリカ マディソン・スクエア・ガーデン
1983年(36歳ごろ)ロンドン
1985年7月(38歳)ロンドン ウェンブリー・スタジアム
「映画」代表作8選
俳優としても活躍していたデビッド・ボウイは、数々の映画に出演しました。ここでは、デビッドが出演したおもな映画を8タイトルご紹介します。
『地球に落ちてきた男』(1976年)
デビッド・ボウイの初主演作で、2015年の舞台化ではデビッド自らプロデュース・楽曲提供を行った。故郷に残した家族を救うため宇宙船に乗って地球にやってきた異星人、トーマス・ジェローム・ニュートンを演じた。
あらすじ:ニューメキシコ州の湖に不時着した宇宙船から降りてきた異星人・トーマスは、地球人と同じ外見をしていた。トーマスは滅びゆく故郷の星に住む家族を救うべく、特許関係を得意とする弁護士・オリバー(バック・ヘンリー)と共に大企業を設立し成功を収める。
『ジャスト・ア・ジゴロ』(1978年)
公開後、さまざまな議論を呼んだ作品。デビッドは、敗戦の傷を負ったプロイセン人士官、ポール・アンブロジウス・フォン・プルジゴドスキーを演じた。
あらすじ:第一次世界大戦終結後のベルリンに、士官・ポールが帰ってきた。仕事のあてもなく漠然とした日々を過ごしていたポールは、ゼマリング男爵夫人(マレーネ・ディートリヒ)が経営するバーで裕福な女性・ヘルガ(キム・ノヴァク)のジゴロ(女性からの資金援助で生活する男性、いわゆるヒモ)となる。
『ハンガー』(1983年)
数百年の時を生きる吸血鬼・ミリアヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)に見初められた18世紀生まれの男性、ジョン・ブレイロックを演じた。
あらすじ:数百年の時を生きる吸血鬼・ミリアヌと、彼女から「不老不死」と「永遠の美しさ」を分け与えられたジョンは、クラブで誘惑し自宅に連れ帰った若いカップルを手にかけた。そうして生きてきたふたりだが、ある時期から不老不死になったはずのジョンが老い始める。
『戦場のメリークリスマス』(1983年)
日本・イギリス・オーストラリア・ニュージーランドの合作で、日本映画界の巨匠・大島渚が監督を務めた作品。日本軍の俘虜となった陸軍少佐、ジャック・セリアズの役を演じた。
あらすじ:日本の統治下にあったジャワ島の日本軍俘虜収容所で暴行事件が発生。事件の処理にあたった俘虜・ジョン(トム・コンティ)と軍曹・ハラ(ビートたけし)は、本件によって奇妙な友情関係を築く。同じく俘虜であったジャックは、ハラの上官で所長のヨノイ(坂本龍一)に預けられることとなる。
『眠れぬ夜のために』(1985年)
不眠症の主人公・エド(ジェフ・ゴールドブラム)と、彼と行動を共にするダイアナ(ミシェル・ファイファー)の命を狙う殺し屋のひとり、コリン・モリスの役を演じた。
あらすじ:不眠症に悩んでいたエドは、その日も眠れないまま当てのないドライブをしていた。そのとき、4人の殺し屋から狙われているダイアナと出会い、エドも事件に巻き込まれてしまう。国際シンジケートの大物に救ってもらうことを画策した二人だが、道中でエドが殺し屋のひとりであるコリンに銃口を向けられる。
『ビギナーズ』(1986年)
数多くのミュージックビデオを手掛けたジュリアン・テンプルが監督を務めた、ミュージカル風の作品。デビッドは、広告業界で働くベンディスを演じた。
あらすじ:駆け出しのカメラマン・コリン(エディ・オコネル)は、デザイナー志望の恋人・スゼット(パッツィ・ケンジット)をケンカをしてしまう。ファッションデザイナーの大御所・ヘンリー(ジェームズ・フォックス)に惹かれていくスゼットにショックを受けたコリンは、やり手の広告業者・ベンディスとの出会いがきっかけで売れっ子カメラマンの地位を確立していく。
『ラビリンス/魔王の迷宮』(1986年)
ゴブリンの世界の支配者である魔王ジャレスを演じた。デビッドは本作の劇中曲を提供したり、魔王ジャレスのキャラクター設定に多大な貢献をしたりと、非常に重要な役割を担っている。
あらすじ:15歳の少女・サラ(ジェニファー・コネリー)は、腹違いの弟・トビー(トビー・フラウド)が泣き止まないことにうんざりして、愛読書『ラビリンス』に登場するおまじない「お願い、今すぐこの子をどこかへ連れ去って」を叫んだ。叫びを聞いた魔王ジャレスは、トビーをゴブリンの世界に連れ去ってしまう。
『バスキア』(1996年)
若くして亡くなったアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキアの伝記映画。バスキアと親交を深めた実在の芸術家、アンディ・ウォーホルを演じた。
あらすじ:黒人の青年バスキア(ジェフリー・ライト)は、ニューヨークで画家とバンド活動を両立していたが、売れているとは言えなかった。ウエイトレスとして働く画家志望のジーナ(クレア・フォーラニ)のアパートに転がりこみつつ、アーティストとしての成功を熱望していた。ある日、バスキアは街で見かけたアンディに手描きのポストカードを売りつける。
「妻/子ども」の写真12選
デビッド・ボウイは2回の結婚歴があり、ふたりの子どもをもうけました。ひとり目の妻は、1970年に結婚した女優のメアリー・アンジェラ・バーネット(のちのアンジー・ボウイ)で、1980年に離婚。1971年に誕生した長男のダンカン・ジョーンズは映画監督として活躍しています。
ふたり目の妻は、1992年に結婚したモデル・実業家のイマン・アブドゥルマジドで、デビッドが亡くなるまで添い遂げました。2000年には、長女のアレクサンドリア・ザーラ・ジョーンズが誕生しています。ここで、妻と子どもの写真を12枚ピックアップしてご紹介します。
1973年9月 デビッドと先妻のアンジー
1982年12月 アンジー
2017年5月 アンジー
2009年1月 デビッドと息子のダンカン
2009年4月 デビッドとダンカン
2018年1月 ダンカン
2007年 デビッドと後妻のイマン
2009年10月 デビッドとイマン
2015年11月 イマン
2022年4月 イマン
2009年11月 イマンと娘・アレクサンドリア
2021年4月 イマンとアレクサンドリア
「男前遍歴」10選
デビッド・ボウイは、クールなルックスも人気の理由のひとつでした。ここで、デビッドの男前遍歴写真をご紹介します。
1967年(20歳ごろ)
1970年2月(23歳)
1973年(26歳ごろ)
1975年4月(28歳)
1978年11月(31歳)
1983年8月(36歳)
1985年1月(38歳)
1990年(43歳ごろ)
1995年9月(48歳)
1999年10月(52歳)
「人生後半」の写真10選
デビッド・ボウイは2004年ごろを境に、芸能活動を控えるようになりました。一時は引退説も流れたものの、約9年が経過した2013年の誕生日、沈黙を破り新作発表を宣言。69歳の誕生日を迎えた直後の2016年1月10日に亡くなるまで、デビッドはミュージシャンであり続けました。ここでは、生前のデビッドの写真10枚をご紹介します。
2001年(54歳ごろ)
2003年5月(56歳)
2004年6月(57歳)
2005年6月(58歳)
2006年10月(59歳)
2007年6月(60歳)
2008年11月(61歳)
2009年4月(62歳)
2010年6月(63歳)
2011年4月(64歳)
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- Getty Images