いつものバーで、入って来た女性と目が合
いハッとした。女性も驚いたようだ。
「あの、Y先生でしょうか」
「はい」
彼女は、俺が今通院している病院の担当女
医だ。初診の後「お酒は適量を守るよう」と
言われ、しばらく経過観察に通う羽目になっ
ていた。
白衣の女医は威厳があり、事務的口調につ
け入る隙はない。しかし、不届きではあるが、
検査のみに通う気楽さもあり、俺は彼女の職
業的冷徹の中の女性らしさを知りたくなって
いた。
「どうぞ、こちらへ」
バーテンダーは知り合いとみて隣席をすす
め、ためらいつつ座った白衣を脱いだ私服が
女性を強調する。
酒は適量にと言われた美貌の医師にバーで
会ってしまった。彼女も明らかに用心してい
る。医者には守秘義務があり病院外で余計な
ことは口にできない。ここはこちらが、べら
べらしゃべるしかないだろう。
まず診察の礼を述べ、見つかってしまった
と頭をかき、でも言われた休肝日は守ってい
ます、先生はよくこのバーにいらっしゃいま
すか、私は常連でバーテンダーに注意されて
るくらいなんですよ、あ、まずいか、あはは。
情けない、情けないがこうするしかない。
しかし! 先生は「おほほ」とかるく笑って
くれた。よし思い切ろう。
「最初の一杯はご馳走させていただけません
か」
うなずかれ、さあ出番と待つバーテンダー
に「ダイキリを」と告げた。彼女は白濁した
グラスを軽く上げてひと口ふくみ、つぶやい
た。
「おいしいわ、これはラムね」
俺もバーテンダーも目を輝かした。先生は
カクテル通かもしれない。いつもの冷徹な眼
差しがすこし和らいで見える。
「あなたはコンピュータ浸けの毎日とおっし
ゃってましたね。固くなった頭にバーもひと
つの治療、ただし二杯までよ」
なんと話せる先生だろう。
――アナタ、今日病院でしょ、はやく起き
なさい! 朝のベッドの甘い夢は妻の声で破
られた。
- TEXT :
- 太田和彦 作家
- PHOTO :
- 小倉雄一郎(本誌)
- EDIT :
- 堀 けいこ