イタリア映画を観ると、人間味のある物語や古い街並みに感動して、とっておきのワインを開けたくなる。そのなかでもとびきりの名優マルチェロ・マストロヤンニは、白シャツを着こなす名人だった。本人の風格もさることながら、白シャツの表情も味わい深い。何度も観ているうちに、その美しいシワは鋭角ではなく、丸みを帯びていることに気がつき、昔の生地は今と違うのでは?という疑問が生まれた。そこで、イタリアのシャツ生地メーカーの老舗「カルロ・リーバ」の社長、オット・マンテーロ氏にお話をうかがった。

イタリアの老舗シャツ生地メーカー「カルロ・リーバ」

カルロ・リーバのボイル生地で仕立てたオーダー白シャツ

「信濃屋」顧問の白井俊夫氏が40年ほど前に横浜のシャツ屋で仕立てた、「カルロ・リーバ」のボイル生地を使った白シャツ。洗濯をくり返すことで、その生地はより風合いを増し美しく育っている。上質な白シャツとは消耗品ではないのだ!

「マストロヤンニは当社の生地を愛用していました。ローマの小さな仕立て屋で注文していたそうです」

やはりそうだったのかとひざを打つと同時に、その生地のつくり方にも興味が湧いてきた。「カルロ・リーバ」の創業は1943年。現在の工場はスイスに近い湖水地方のガルビアーテという村にある。主な取引先はイタリアを代表する名門ブランドばかりだ。さぞ大きな規模かと思いきや、その工場は「フェルモ・フォッサティ」という絹織物工場の一角に構える小さなラインのみ。社員は現在28名。それでも、一時期の倍に増えたという。

「大切なことは肌触りがよく、夏でも冬でも通気性に優れ、一日中身につけても着ていることを忘れてしまう着心地です。そのためにわれわれはほかにない製法で生地をつくるので、上質を好む層からは安定した需要があります。今後も同じ製法を継承すれば、需要も続くと思います」

そう言われて工場を見ると、その織機はすべて「シャトル織機」だった。

「カルロ・リーバ」オーナー、オット・マンテーロ

「カルロ・リーバ」と「フェルモ・フォッサティ」のオーナー。1949年にイタリア・コモ地方で絹織物メーカーの八男として生まれる。「カルロ・リーバ」の創業者が亡くなった後、その魂を引き継ぐことを条件に1993年に買収し、現在に至る。トレードマークは口ひげと蝶ネクタイで、イタリア屈指のウェル・ドレッサーとしても知られている。

生地はタテ糸を張ってヨコ糸を通しながらつくる。そのヨコ糸の先導役として、古代からシャトルという道具が使われてきた。1780年代にシャトルの往復運動は人力から蒸気機関に代わり、1890年代に電動化する。1980年代になると、シャトルに代わって圧縮空気でヨコ糸を飛ばすエアジェット織機が登場して現在に至る。エアジェットの速度はシャトルの約4倍。このため、世界のシャツ生地工場の織機は、ほとんどエアジェットに代わった。

宝石と呼ばれる生地はこの機械から生まれる

1945年に特注した綿織物用のシャトル織機。生地の規格によって挙動を調整しなければならず、マンテーロ氏と熟練工が常に見守る。

生地に使われる綿糸は、綿の繊維を撚よってつくるため、ふくらみ感と自然な伸縮性がある。ところが、エアジェットは糸を高速で引っ張り、伸びきった状態のまま生地に織り上げてしまう。このため、でき上がった生地にふくらみ感と伸縮性はほとんどなく、紙のように鋭角なシワができる。一方、シャトル織機は生地を織るスピードが遅いため、糸そのものが持つふくらみ感と伸縮性が生地に活きている。これが優れた通気性と吸水速乾性、着ていることを忘れてしまう着心地、丸みを帯びた自然なシワ感をもたらすのだ。

さらに工場では、糸に適度な湿気を与えると伸縮性が増すことから、一定の湿度のもとで半年間寝かせ、織り上げた生地も半年間寝かせている。シャトル織機は現在生産されていないが、近所の技術者がマメに通ってメンテナンスしてくれる。こうした土地柄もスローな製法に欠かせない背景だ。希少原綿や高番手を誇示することはないが、着心地のために、普通の生地を気が遠くなるほどの時間をかけて贅沢につくっている。その生地は名門ブランドから見ると、特別なお客様に振る舞うとっておきのワインのような存在であろう。

取材の終わりに、マンテーロ氏に日本の印象を聞くと「半世紀にわたって当社の生地を使いトップの紳士のためにシャツをつくっている、希有な目利きが存在する国だと思います。近頃はシャトル織機製を偽る生地も出回っているので、指先で本物を見極めてください」と語った。

マストロヤンニが晩年出演した映画『みんな元気』の中に、フィレンツェにある「ジョットの鐘楼」が映る。14世紀にできたこの建物の外壁は、芸術や職業の守護聖人を描いた数十枚のレリーフで装飾されている。その中のひとり、織物の聖人は右手にシャトルを持っていた。

マンテーロ氏は子供の頃「カルロ・リーバ」を郷土の誇りに思い、お小遣いを貯めて少しずつ生地を買い、シャツに仕立てていた。それから数十年後、創業者一族が亡くなり、1993年に工場が競売にかけられると、彼はそれを競り落として再建した。マンテーロ氏が工場をせわしなく動いて調整したシャトル織機の音は、織物の聖人の鼓動に聞こえる。

※2017年夏号掲載時の情報です。

この記事の執筆者
TEXT :
織田城司 ライター
BY :
MEN'S Precious2017年夏号 カルロ・リーバ 、官能のシャツ生地を追って
アパレルメーカーで店舗運営やなどを手がけた後に独立。現在ではファッションに関する歴史や文化について数多く執筆。ファッション誌や文化誌への寄稿が多い。
クレジット :
撮影/木村金太(取材)、小池紀行(パイルドライバー/静物) コーディネート・取材/大平美智子 構成/山下英介(本誌)
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