【目次】

田園調布ってどこにあるの?「場所」

平成12年に復元された田園調布駅舎がシンボルとして街の入り口にある。
大正12年に開業した田園調布駅舎。平成12年に復元され、街のシンボルとなっている。

東京の高級住宅街として、真っ先に思い浮かぶのが田園調布。とはいえ、田園調布と名の付く町は、今回紹介する大田区田園調布だけでなく、大田区田園調布本町や世田谷区玉川田園調布など、広域に渡っています。田園調布エリアの中心となる田園調布駅があるのは、大田区田園調布3丁目。ちなみに、大田区田園調布は5丁目まであります。

田園調布駅西口には大正時代の駅舎を再現した建物があります。ここが、高級住宅街、田園調布への入り口です(実際の駅は地下にあり、この駅舎は使われていません)。この駅舎を中心に、パリの凱旋門のエトワール式道路のように放射状に道路が延び、その両側に、豪邸の名にふさわしい大きな一戸建て住宅が並んでいる、という独特な街の形をしています。

駅舎から放射状に伸びたイチョウ並木の道路。道路幅も広くとてもきれいな街並みだ。
旧駅舎から放射状に延びたイチョウ並木の道路。道路幅も広くとてもきれいな街並みだ。

住宅街の中にスーパーマーケットやコンビニエンスストアはありませんが、駅の東側には商業地区が広がります。また、地下化された駅のその上部に2000年にできた「東急スクエア ガーデンサイト」があり、スーパーマーケット、薬局、書店、生花店、カフェやクリニックなど、日常生活に不便を感じることはなさそうです。

駅前の「東急スクエアガーデンサイト」。田園調布のイメージに合った大正モダニズム調の建物が並ぶ。写真は富澤商店。
田園調布の駅周辺には、旧駅舎のイメージに合った大正モダニズム調の建物が並ぶ。写真は「TOMIZ」で知られる食材店の富澤商店。

田園調布の「最寄り駅」

田園調布駅前の広場もおしゃれな空間。正面の赤い屋根の旧駅舎が田園調布の住宅街への入り口となっている。
田園調布駅前の広場もおしゃれな空間。正面の赤い屋根の旧駅舎が田園調布の住宅街への入り口となっている。

高級住宅街、田園調布の最寄り駅はズバリ、「田園調布駅」。乗り換えがスムーズな東急線の路線が複数利用できるのが魅力です。田園調布駅には、「田園」という文字が使われているため、東急田園都市線が通っていると思う人もいるかもしれません。しかし、実際は、東急東横線と東急目黒線です。 東横線に乗れば渋谷駅までは急行で11分。そこから東京メトロ副都心線と相互運転をしているので、新宿三丁目駅にも乗り換えなしで21分程度で行くことができます。また、田園調布駅のお隣の「多摩川駅」には、東急東横線と東急目黒線のほかに、東急多摩川線が通っていて、「蒲田駅」までを結んでいます。

田園調布の「地図」

田園調布の「歴史」と「由来」

田園調布駅から放射線状に伸びた道路のイチョウ並木は秋になると黄色に色づいてとてもきれい。
田園調布駅から放射線状に続く道路のイチョウ並木は秋になると黄色に色づいてとてもきれい。

明治期、田園調布は荏原郡調布村と呼ばれる農村地帯でした。この場所が高級住宅街へと生まれ変わったのは近代日本資本主義の父と呼ばれる実業家、渋沢栄一のある構想から。彼が目指したのは、「都市全体をひとつの公園のように明るく美しいものにすること」。当時、大都市・東京は人口過密により都心部の住環境の確保が深刻化していました。

田園調布駅を中心に、放射状に伸びた道路の他に、同心円状にも道路を配置。丸みを帯びた道路が特徴的だ。こちらもしっかりと道路幅がある。
田園調布駅を中心に、放射状に伸びた道路のほかに、同心円状にも道路を配置。丸みを帯びた道路が特徴的だ。こちらもしっかりと道路幅がある。

渋沢氏は、自身が想い描いた理想的な「田園都市」づくりを実現させるため、大正7(1918)年に「田園都市株式会社」を設立。  手本としたのは、すでに「田園都市」として完成していたアメリカのセントフランシスウッドやイギリスのレッチワース。彼の息子である渋沢秀雄氏が視察に向かい、街づくりにはそこで得たエッセンスがふんだんに盛り込まれました。まずは赤い屋根の駅舎が街の入り口に配置されました。そして、そこを中心に放射状に道路を広げ、街路樹が整備されました。美観を保つため、住宅は、塀ではなく生垣を設けること、建物は3階建て以下にすることなどが求められたそう。今でもそれは、住民たちによりしっかりと守られ、田園調布の「都内最強の高級住宅街」という看板をゆるぎないものとしています。

田園調布駅は1995年に地下化され、駅上部には「東急スクエアガーデンサイト」という商業施設がオープンした。
田園調布駅は1995年に地下化され、駅上部には「東急スクエアガーデンサイト」がオープンした。

大正11(1922)年、田園都市株式会社の一部門として東急グループの前身である目黒蒲田電鉄が立ち上がり、翌年の大正12年3月には目黒蒲田電鉄の目黒~丸子(現在の沼部駅)間が開通しました。そして同年8月に現在の田園調布にあたる「多摩川台住宅地」の1回目の分譲が開始されます。その翌月、同年9月に関東大震災が発生。都心部の被害が大きかったため、この地震により郊外移転の風潮が生まれました。地震前にすでに田園都市として分譲されていた「洗足田園都市」での被害が少なかったこともあって、「田園都市は安全だ」という認識が人々に生まれ、田園調布の注目度が一気に高まりました。

同年11月、地震の被害などもあって少し予定が遅れたものの、目黒から蒲田までを結ぶ目黒蒲田鉄道の丸子〜蒲田間も延伸開業します。これにより、都心に住んでいた富裕層に「安全で美しい田園都市に住んで、電車で都心部の職場に通う」という発想が生まれました。続々と分譲が売れていき、「郊外に新たに形成される高級住宅街の先駆け」となったのです。

多摩川園があったのは現在の田園調布1丁目。今は湧水を活用した「田園調布せせらぎ公園」になっている。
多摩川園があったのは現在の田園調布1丁目。今は湧水を活用した「田園調布せせらぎ公園」になっている。

大正14(1925)年、田園都市株式会社の経営により、現在の多摩川駅の隣接地に「多摩川園」という遊園地ができました。これは、沿線に移住した人へのサービスや休日の旅客誘致が目的で、大浴場を備えた「夢のお城」や歌劇場「小鳥座」が設けられました。全盛期には年間利用者が80万人を超えるという人気スポットになりましたが、昭和54(1979)年に閉園。その後、民間の所有を経て大田区が一部を公園予定地として取得、平成20(2008)年に「せせらぎ公園」として開業しました。令和3年には公園内に「せせらぎ館」が開館し、住民の憩いの場になっています。

田園調布の「由来」

多摩川にかかる「丸子橋」。対岸は神奈川県だ。
多摩川にかかる「丸子橋」。対岸は神奈川県だ。

上で、大正12年に「多摩川台住宅地」の分譲が行われ、目黒蒲田電鉄が開通したと紹介しましたが、そのときの駅名は「調布」(当時の村名)でした。鉄道が開通して3年後に、同名のほかの駅と重複を避けるために田園都市の「田園」が付いて「田園調布」となったそうです。ちなみに、「調布」は、奈良時代の律令制度の税制である租・庸・調のうち、特産品を納める「調」や、多摩川の清流で布をさらしていたことに由来します。

田園調布の3つの「魅力」

■1:「田園調布憲章」により街並みが守られています

田園調布憲章により、オープンで明るい住宅地が保たれている。
田園調布憲章により、オープンで明るい住宅地が保たれている。

渋沢栄一が構想した「住宅と庭園の街づくり」を守るため、分譲開始から3年後には「住民協議会」が発足。”田園調布らしさ”を守る住民自治の体制が整えられました。その活動は現在の「社団法人田園調布会」に引き継がれ、今もしっかりと「高級住宅街」としての景観が守られいます。

1980年代ごろより、田園調布では、世代交代などに伴う土地の細分化などが起こったため、田園調布会は昭和57(1982)年に環境を保全するため「田園調布憲章」などの自主規制を制定。さらに、平成3(1991)年、大田区により制定された「地区計画」(その後改訂)で「街並みを守るために、高さ制限は9メートル、2階建てまでが建てられる」、「土地を分割する場合は165平方メートル(50坪)を下回らないようにする」、「壁面位置は敷地境界線より1.5メートル以上離す」、「ワンルームタイプの集合住宅は不可」、「塀は設けずに植栽による生垣にする」といった細やかなルールが定められています。相続などの問題により東京都内で土地の細分化が急速に進む昨今、住環境がしっかりと守られていることは、田園調布の魅力的のひとつといえます。

土地1区画が大きく立派な一戸建て住宅が並んでいる。美しい外壁の洋館風な建物が多い。
土地1区画が大きく立派な一戸建て住宅が並んでいる。美しい外壁の洋館風な建物が多い。

■2:自然との距離がとても近い

子どもが子どもらしく育つことができる場所は、東京都内ではとても貴重。我が子に虫採りをしたり、池や小川で遊んだり、という経験をさせたい…という願いが、田園調布ならば叶います。田園調布近くにある3つの自然豊かな公園をご紹介しましょう。これだけの広大な緑が近所に確保できる住環境はさすがです。

◆宝来公園

宝来公園は田園調布3丁目の住宅地の中にある公園です。大正14年、武蔵野に古くからある自然豊かな景色を後世に残すために、田園調布会が街の一角の地を広場にしたことがこの公園の始まり。公園内の古くからある樹木はとても大きくて立派。今年の夏のような猛暑時には、暑くて、子どもを公園に連れて行くのも大変ですが、大木がつくる宝来公園の木陰はとても涼しいです。

宝来公園では、春には梅や桜、冬には椿と四季折々の情景が楽しめる。
宝来公園では、春には梅や桜、冬には椿と四季折々の情景が楽しめる。

◆多摩川台公園

多摩川台公園
多摩川台公園にある亀甲山古墳は東京を代表する前方後円墳だ。公園内にはこの辺りの古墳について解説している「古墳展示室」がある。

たくさんの古墳が点在している世田谷区から大田区にかけての多摩川左岸の台地上は、荏原古墳群と呼ばれています。なかでも大田区内にあるものは「田園調布古墳群」と呼ばれています。また、田園調布1丁目にある多摩川台公園にも、4〜7世紀ごろに造られたという古墳が10基点在しています。

多摩川台公園
多摩川台公園は、晴れた日には富士山を見ることもできるそう。

「多摩川台公園」は多摩川が田園調布台地を削ってできた崖線に作られた公園。高低差があるので眺望が抜群。武蔵野の自然も残されていて、その中に散策路があります。水生植物園のビオトープではザリガニなどの小さな生物が生息していて、子どもたちに大人気。紫陽花も有名です。

◆田園調布せせらぎ公園

せせらぎ公園
せせらぎ館はカフェも併設されていて、地域交流の場としてとても人気のスポットです。

田園調布せせらぎ公園はもともと多摩川園があった田園調布1丁目にある広大な公園です。公園内には、幼稚園と小学校を田園調布で過ごしたという建築家・隈研吾氏が設計した「田園調布せせらぎ館」があります。この建物は前面ガラス張りで公園の緑と一体感のある造りが特徴的。壁一面にレイアウトされているのは「せせらぎ文庫」。館内で自由に読むことができる絵本や雑誌が置いてあります。 園内にはふたつの湧水池があり、さまざまな生物が生息しています。

■3:東急線2路線が使える強みがあります

多摩川
多摩川を越えるとすぐに神奈川県。横浜方面にもアクセスしやすい立地も魅力だ。

田園調布の立地の強みのひとつが、東急東横線と東急目黒線の2路線が使え、「郊外」と言われながらも、アクセスが良いところ。東急東横線は東京メトロ副都心線や横浜高速鉄道みなとみらい線にも乗り入れています。さらに東急目黒線は、目黒駅から東京メトロ南北線と都営地下鉄三田線に直通、JR山手線にも乗り替え可能です。そして、2003年3月に東急新横浜線が開業して東横線と目黒線に接続したことにより、相鉄新横浜線との相互運転も開始されています。

東急線の利便性はどんどんアップしていますが、田園調布は都心から少し離れている場所にあるのも特徴。だからこそ叶えられる静かで自然豊かな住環境があるのです。

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田園調布は東京都内でありながらまるで別荘地にいるかのような自然豊かでゆとりのある住環境が魅力。この街が造られたときから守られ続けている伝統があるからこそ、この立派な街並みが叶うのだと調べてみてわかりました。東京都内ではこういった場所はなかなかありません。「オワコン」という声も聞こえてきますが、土地の細分化が進む昨今では大変貴重なエリアだと思いました。

参考:大田区ホームページ
   東急グループ
   『大田区歴史散策ガイドブック』
   『おおた歴史探検』
   アート ビーー ハイヴ(大田区文化芸術情報紙)
   田園調布せせらぎ公園
この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
PHOTO :
AC,柳堀栄子
WRITING :
柳堀栄子