これまで数々の難役を演じてきた中谷美紀さんにとっても、ひとりで3人の女性を体現する舞台『猟銃』は特別なもの。インタビュー3回目では、中谷さんがどのようにして身体と心を整え、日々のプレッシャーやハプニングに打ち勝っていったのか、その一端に触れました。
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「自分は舞台に立つべきではない、とコンプレックスを抱えていました」
――『オフ・ブロードウェイ奮闘記』では、豊かな身体表現のための入念なケアも印象的でした。中谷さんが体づくりを前提にお芝居に取り組むようになったきっかけはありますか?
「パフォーミングアーツに携わる方々は、口に出さないだけで皆さん何かしら体づくりやメンテナンスに尽力されているので、特別なことではないんです。ただ、舞台に立つことに対して、私の心の中にコンプレックスが育まれてしまった理由のひとつが身体能力の不足でした。
例えば、かつて舞台を観に行くと、開演前にキャストの方々がストレッチや発声練習をしている姿をあえて見せる…という仕掛けがあって。皆さん180度開脚しながらお腹が床につくし、声の通りもよくていらっしゃる。私は生まれつき股関節が悪くて開脚が苦手、かつ肺活量も限られていてお医者さんにはマラソンを止められていたほどでした。さらに10代の頃から演劇のトレーニングを積み、ただ“立つ”ことや“歩く”ことが人物をいかに表現するか、フィジカルな要素が不可欠だと理解していたがゆえに、自分は舞台に立つべき人間ではないと思っていたんです。
これが長らく舞台のご依頼をお断りしてきたゆえんでしたが、ジラールさんの情熱にほだされ、なんとか体を整えてトライしてみようと。ヨガ、ピラティス、ジャイロトニック、そしてアレクサンダーテクニークという心身技法を取り入れることで、自分の限界を少しずつ拡げていくことができたように思います」
――まるでアスリートのようです…!
「私自身はお散歩しかしたことがないのに、いきなりオリンピックに出てしまった感覚です(笑)。本当に必死でしたし、スポーツ選手がケガの回復を早めるために取り入れると聞いていた酸素カプセルも活用しましたが、実際に喉や脳の疲れを癒やしてくれましたね」
――エッセイ『オフ・ブロードウェイ奮闘記』の中では、海外公演ならではのトラブルやハプニングも数々登場します。特に、アメリカ側の主催者に約束していた取材をキャンセルされそうになった際、通訳なしで気丈に交渉する姿勢には勇気をいただきました。
「普段は意識したことがなかったのですが、このときばかりは日本人の尊厳を強く感じました。プライドを持って、降板をかけても主張しなくてはという思いが芽生えて。欧米では、日本人の女性は慎ましく従順で、男性の3歩後ろを歩くような女性像をイメージされがちですが、“私たちは『マダムバタフライ』じゃない、意志があるんだ”と。
このハプニングを乗り越えたら強くなれるかもしれないと思いながら、本当に舞台を投げ出して帰ったら、それはそれで後の人生が楽になるかもしれないとさえ思いました。何も怖くなくなるという意味で、自分へのギリギリの賭けだったように思います」
――演出家のジラールさんは愛情深くも、クオリティを追求する厳しい一面もあるとか。
「ジラールさんには初演のときに本当に赤子のように愛情を注いでいただいて。自分は何も持っていないし大した取り柄もないけれども、“存在していていいんだ”と自分を許すことができました。
ただ、彼は俳優が内面を表現できていないと感じると途端に興味を失ってしまうところがあり、貧乏ゆすりを始めるんです(笑)。そのプレッシャーに耐えるのは難しいのですが、時には“今日はもう駄目だ”と諦めて、早めに切り上げることもありました。
というのも、お稽古で声を潰してしまったことがあり、その際に音楽家の夫から“リハーサルで本気を出すのは二流、三流がすること”と助言を受けまして。そのアドバイスを意識しつつも、バリシニコフさんの表情を目の前にするとやはり手は抜けません。本物の存在があるからこそ、毎回が一期一会の刹那を共に創り上げる一員として、全力を尽くさねばならないと感じました」
――緊張感の連続だったと思いますが、作品を離れた今の中谷さんにとって憩いになっているものは何ですか?
「野の花ですね。名前も知らない花が少しほころび始めたのを見るだけで幸せを感じます。それは世界中どこにいても同じで。オーストリアのザルツブルクにある自宅の庭もあまり手をかけず、多少の雑草は許して、きれいに整いすぎないように心がけています。
そして今も変わらず、旅は栄養素。祖谷、白川郷、熊野古道など、日本のまだ見ぬ風景をもっと見てみたいですね。もしPreciousさんでそんな旅企画があれば、ぜひ!」
■新刊エッセイ『オフ・ブロードウェイ奮闘記』(幻冬舎)好評発売中!
舞台『猟銃』のニューヨーク公演に挑んだ中谷美紀さんが、約2か月にわたる激動の日々を、書き下ろしの日記形式で綴った一冊。47歳でニューヨークの舞台に立つという挑戦を通じて、自らの限界に挑み、様々な壁を乗り越えていく様子をリアルに描き出す。息をのむような臨場感あふれる文章が明かす知られざる日々は、キャリアや人生の転機に直面している人々にとって、困難に一歩を踏み出す勇気を与えてくれるはず。
■2024年6月8日(土)16:00〜 舞台『猟銃 The Hunting Gun』をWOWOWにて放送・配信!
圧倒的な演技で魅了する中谷美紀さんと、世界的なバレエダンサーであるミハイル・バリシニコフさんが夢の競演を果たした舞台『猟銃』のNY公演。アカデミー賞受賞歴を持つ映画監督であり、ニューヨーク メトロポリタン・オペラや『ZED』も手がけてきたフランソワ・ジラールさんの緻密な演出で、許されざる不倫の恋を巡る女性たちの深い感情を浮き彫りにする。
ひとりの男が、3人の女性から同時に別れの手紙を受け取り孤独に陥る物語。心揺さぶる芸術はどのように創られていたのか、本編はもちろん、中谷さん、バリシニコフさん、ジラールさんのインタビューや稽古場の様子など、舞台裏も交えた密着ドキュメント付きのスペシャル映像も公開。エッセイとあわせて、お見逃しなく!
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- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- 伊藤彰紀
- STYLIST :
- 岡部美穂
- HAIR MAKE :
- 下田英里
- NAIL :
- ネイルハウス安气子
- WRITING :
- 佐藤久美子
- EDIT :
- 福本絵里香