妻・愛人・愛人の娘からの3通の手紙によって、13年間にわたる不倫の恋が暴かれていく舞台『猟銃 The Hunting Gun』。この3人の女性を1人で演じた中谷美紀さんは、愛憎が入り混じる人間の魂を全身で表現し、ニューヨークの観客の心をも虜に。脚光の影にあった葛藤と、運命的な出会いを語っていただきました。

俳優の中谷美紀さん
俳優・中谷美紀さん
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中谷美紀さん
俳優
(なかたに・みき)1976年、東京都生まれ。1993年に俳優デビュー。『嫌われ松子の一生』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞。初舞台『猟銃』、2作目の『ロスト・イン・ヨンカーズ』と演劇界の権威ある賞を受賞し、絵本、エッセイ集、旅行記を執筆するなど、その活動は多岐にわたる。2023年には舞台『猟銃』のニューヨーク公演を経て、映画『レジェンド&バタフライ』が公開、さらに『連続ドラマW ギバーテイカー』『ONE DAY~聖夜のから騒ぎ〜』に主演。2018年の結婚を機に行き来するオーストリアでの暮らしを切り取った公式インスタグラム @mikinakatanioffiziell も注目される。

「知らないことを恐れたり恥じたりすることなく、未知の荒野へ踏み出したい」

――舞台『猟銃』の演出家フランソワ・ジラールさんとの出会いは、映画『シルク』のオーディションがきっかけだったそうですね。当時は30歳を前に「仕事をやめようか」とも考えていた時期だったとか。

「はい、まさにくたびれ果てていた頃でして。というのも、『嫌われ松子の一生』という映画を撮影した後、アイデンティティ・クライシスといいますか、自分の中に何も残っていないように感じ、俳優という仕事で自分が貢献できることはもうないのではないかと考えていました。

異なる職業に就くにしても、手に職もなく会社勤めの経験もない29歳。まずはどこでも生きていけるタフネスを身につけようと思い、インドを訪れていました。『シルク』のオーディションに伺った際も、まさか合格するとは思わず、お化粧もせず、おしゃれもせずに臨みましたが、なぜか意気投合しまして。

ジラールさんがフレンチカナディアンでフランス語圏の方だったことも、親和性につながったのではないかと。私も若い頃にパリで過ごした時期があり、『シルク』で演じた役が19世紀の在仏日本人女性だったため、可能性を感じてくださったのかもしれません」

――『シルク』での出会いからつながった『猟銃』は、中谷さんにとっての初舞台でありながら、ひとり3役という難役です。

「当初は、“3人の女性からひとりを選んで演じてほしい”というオファーだったのですが、台本を読んで井上靖さんの美しい日本語や人物像に惹かれまして。“せっかくなら、3役すべて演じてみたいです”とジラールさんにお話ししたところ、“ギャラが節約できるからいいね”と予算の事情でOKが出ました(笑)。冗談半分、本気半分で、ひとりで演じることによって、場面転換で演出の効果が際立つという効果もあったのかなと。

俳優・中谷美紀さん
「井上靖さんの美しい日本語や人物像に惹かれ、せっかくなら、3役すべて演じてみたい、と」(中谷さん)

ただ、やはり舞台に立つということは生半可な気持ちではできませんし、多くを犠牲にしないといけません。実は初めにお話をいただいてから5年ほど逃げ回っていたんですよ。何度メールをいただいても、お返事をせず…」

――5年もラブコールが!? 

「大変魅力的な作品であり、プロジェクトでもあり。やってみたい思いはあったのですが、もうひとりの自分が耳元で悪魔のようにコソコソささやくんですよね。“あなたには早すぎる”とか“カメラの前では繕えても、舞台の上では誤魔化しは通用しない”と。抗うことができず、舞台に立つという踏ん切りがなかなかつきませんでした」

――いざ出演を決意された初演のモントリオール公演は大変好評で、国内での再演ではすべてを出し切ったことで「もう二度とやらない」と思われたそうですね。それでも2023年、ニューヨークでの再々演に挑む原動力となったものは何でしょうか?

「やはり伝説のバレエダンサーであるミハエル・バリシニコフさんと共に創作の現場に携わることができる、ということが最も大きなモチベーションとなりました。クラシックからモダン、コンテンポラリーへと連なるバレエ史を体現した唯一のアーティスト。大作の功績にとどまらず、常に新たな挑戦をして道を切り拓いてこられた方のそばで、芸術が創られる過程を体験したいという思いがありました」

俳優・中谷美紀さん
2023年の舞台『猟銃 The Hunting Gun』の稽古風景。共演のミハイル・バリシニコフさん(中)、演出のフランソワ・ジラールさん(右)と

――バリシニコフさんの姿から学んだこと、あるいは今の中谷さんの中で活きていらっしゃる部分はありますか?

「大変謙虚な方でいらっしゃるんですね。75歳でバレエ界の伝説的トップスターで唯一無二の存在であるにもかかわらず、本当に謙虚に日本人男性の役と向き合い、“わからないから教えて”と様々な質問をされていました。例えば、お通夜のシーンがあれば、日本ではどのような儀式が行われるのかと聞かれ、私が一般的な習わしをお伝えすると、それを丁寧にご自分の中で噛み砕いて役に近づこうとされていて。さらには15歳も若い演出家の言葉にも真摯に耳を傾けている。

この世の中には自分の知らないことが多くて当然、恐れたり恥じたりする必要はなく、堂々と質問すればいいんだという姿勢で。専門的な知識や異文化についてだけでなく、ご自身が築かれてきた表現の方法においても、我流を主張することなく、未知の荒野をさらに開拓しようとしていらっしゃるお姿に胸を打たれましたし、自分もそうありたいと思いました」

―――それだけのキャリアを築かれた方々と、意見を交わせる環境も素敵ですね。

「演出家のジラールさんも含め、女性に意見されることをまったく厭わないんですね。いわゆる“わきまえる”というようなコミュニケーションが不要で、素直にフラットに受け入れてくださる。それは心地のよいものでした」


お話しの続きは、中谷美紀さんインタビューVol.02で! 40代半ばでの大きな挑戦を達成したエネルギーの源に迫ります。


新刊エッセイ『オフ・ブロードウェイ奮闘記』(幻冬舎)好評発売中!

舞台『猟銃』のニューヨーク公演に挑んだ中谷美紀さんが、約2か月にわたる激動の日々を、書き下ろしの日記形式で綴った一冊。47歳でニューヨークの舞台に立つという挑戦を通じて、自らの限界に挑み、様々な壁を乗り越えていく様子をリアルに描き出す。息をのむような臨場感あふれる文章が明かす知られざる日々は、キャリアや人生の転機に直面している人々にとって、困難に一歩を踏み出す勇気を与えてくれるはず。

■2024年6月8日(土)16:00〜 舞台『猟銃 The Hunting Gun』をWOWOWにて放送・配信!

圧倒的な演技で魅了する中谷美紀さんと、世界的なバレエダンサーであるミハイル・バリシニコフさんが夢の競演を果たした舞台『猟銃』のNY公演。アカデミー賞受賞歴を持つ映画監督であり、ニューヨーク メトロポリタン・オペラや『ZED』も手がけてきたフランソワ・ジラールさんの緻密な演出で、許されざる不倫の恋を巡る女性たちの深い感情を浮き彫りにする。

ひとりの男が、3人の女性から同時に別れの手紙を受け取り孤独に陥る物語。心揺さぶる芸術はどのように創られていたのか、本編はもちろん、中谷さん、バリシニコフさん、ジラールさんのインタビューや稽古場の様子など、舞台裏も交えた密着ドキュメント付きのスペシャル映像も公開。エッセイとあわせて、お見逃しなく!

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