7月24日は「河童忌」。作家、芥川龍之介氏の命日です。どうして「河童忌」と呼ばれるようになったのか、その由来をご存じでしょうか。今回は「河童忌」について深掘り。芥川龍之介氏の知られざるエピソードもご紹介します。
【目次】
【7月24日は「河童忌」。知っておきたい「基礎知識」】
■「読み方」
「河童忌」は「かっぱき」と読みます。
■「意味」
「河童忌」は作家、芥川龍之介氏(1892〜1927)の「忌日」。「忌日」は「きにち」もしくは「きじつ」と読み、「亡くなった日」を表します。日常、よく使われる「命日」とほぼ同義です。「初七日」や「一周忌」、「十七回忌」など、「忌日」を基準とした忌日法要はよく知られていますね。「忌日」には、毎年または毎月、成仏を願う仏事供養である法要が行われます。
また、俳句の世界では、「夏の季語」として扱われ、句の中に「河童忌」とあれば、それだけでその句が「夏の風景を詠んだ句」とわかります。
ちなみに、「忌日」は「いみび」とも読みます。ただし、「いみび」と読むと「けがれを避けて慎むべき日、物忌みの日、縁起の悪い日」という意味になります。「きにち」「きじつ」とは区別して使いましょう。
■「由来」
芥川氏は生前好んで河童の絵を描いたことで知られています。また、1927(昭和2)年の作品に『河童』があることから「河童忌」となりました。
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■芥川龍之介以外にも「忌日名」をもつ作家はいる?
芥川氏以外にも、「忌日」に固有の名前をもつ作家はいます。実は、作家や詩人、歌人などの「忌日」は「文学忌」と呼ばれ、俳句の季語にもなっているのです。「文学忌」は多く、その作品や雅号(芸術家が本名のほかにつける風流な別名)にちなんで名づけられます。太宰治氏なら「桜桃忌(6月19日)」、梶井基次郎氏は「檸檬忌(れもんき。3月24日)」、三島由紀夫氏は「憂国忌(11月25日)」など。芥川氏には「河童忌」のほか「我鬼忌」という文学忌もあります。ペンネームがそのまま使われた文学忌としては、夏目漱石氏の「漱石忌(12月9日)」、森鴎外氏の「鴎外忌(7月9日)」が有名です。比較的新しいものとしては、山崎豊子氏の「豊子忌(9月29日)」やアーティスト 忌野清志郞氏の「忌野忌(5月2日)」があります。
■「芥川龍之介」って本名なの?
結論から書きますが、本名です。カッコいい名前ですよね! 「龍之介」という名前は、辰年、辰月、辰日、辰の刻に生まれたことに由来するといわれています。ざっくりと彼の生涯をご紹介しましょう。
芥川龍之介氏は、1892年(明治25年)3月1日、東京市京橋区入船町(現:東京都中央区明石町)で生まれました。家は牛乳製造販売業を営んでいましたが、母が精神を病むと母方の実家である芥川家に預けられ、伯母に育てられました。11歳のときに母が亡くなり、芥川家の養子となります。旧家の氏族である芥川家は江戸時代、代々徳川家に仕えた奥坊主(おくぼうず:江戸城内の茶室を管理し、将軍や大名・諸役人に茶の接待をした坊主)の家。芸術や演芸を愛好し、江戸の文人的趣味が色濃く残っていたため、芥川自身も早くから文芸への関心をもつように。1913(大正2)年、東京帝国大学英文科へ進学。在学中に菊池寛らと文芸雑誌・第三次『新思潮(しんしちょう)』を創刊します。1915(大正4)年、代表作のひとつとなる短編小説『羅生門』を発表。翌年、短編小説『鼻』を発表し、師事していた夏目漱石にその才能を認められます。ちなみに、初期の作品である『羅生門』や『鼻』、『芋粥(いもがゆ)』などは平安時代の『今昔物語集』が、中期の『地獄変(じごくへん)』などは鎌倉時代の『宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)』が題材となっています。そして1927(昭和2)年、短編小説『河童』を発表。この小説は晩年の代表作となりました。同年の7月24日、雨の降りしきる中、現在の東京都北区田端の自宅で致死量の睡眠薬を飲んで服毒自殺を図ります。35歳でした。
■日本人のほとんどが、芥川龍之介の作品で学んでる?
「芥川の作品」といえば、国語の教科書に載っていた『蜘蛛の糸』や『鼻』、そして『羅生門』を思い出す人が多いでしょう。『羅生門』が国語の教科書に初めて掲載されたのは、1957(昭和32)年。この年、夏目漱石の『こころ』や森鷗外『舞姫』と同時に採用されました。その後、高度経済成長期を迎えた社会を背景に、『羅生門』は多くの国語の教科書に採用される定番教材となっていきます。そして2003(平成15)年には、高校1年生対象の『国語総合』を編纂する全社の教科書に掲載されたのです。つまり、2024年現在、日本の高校で学んだ36〜37歳の人は全員、『羅生門』を(ほぼ)読んでいると言えるのです。
■『河童』って、どんな作品?
芥川には小説のほか、随筆にも「河童」という作品があります。よほど河童が好きだったのでしょうね。晩年に書かれた小説『河童』で描かれているのは、河童の国に迷い込んだ(と主張する)男性の話。芥川は、人間世界とはまったく違う倫理観をもつ河童の国を描くことで、人間そのものや人間社会に問題を提起し、痛烈に批判したと言われています。
■速読が得意だった?
石割透氏の『芥川追想』 (岩波文庫)には、芥川氏が非常に速く本を読むことができたというエピソードが書かれています。手渡された同人雑誌を受け取り、パラパラとめくっただけで全部中身を読んでしまったそうです。また、日本語の書物や雑誌なら、2~3人と会話しながら読むことができましたが、誤解されたり失礼だと思われるのを避けるため、親しくない人の前ではしなかったのだとか。まるで一度に10人の訴えを聞き分けたという逸話をもつ聖徳太子のようですね! 医師で俳人でもあった知人の下島勲氏が、芥川氏に「どのくらいの速度で本を読めるのか」と聞いたときには、「普通の英文学書なら、一日1200~1300ページは楽勝」と答えたそうです。芥川氏は、東京帝国大学文科大学英文学科卒業ですが、当時、同学科は一学年数人のみしか合格者を出さないという超難関でした。頭脳明晰だったのですね!
■あの著名作家も芥川龍之介を推していた!
芥川龍之介氏を熱烈に崇拝していた作家といえば、太宰治氏が有名です。芥川氏と同じポーズで写真を撮ってみたり、ノートに「龍之介」と名前を書き連ねたり、似顔絵もたくさん書いていたそうです。17歳の年の差があるふたりは、残念ながら顔を合わせることはありませんでしたが、太宰氏が1935年に発表した『逆行』は第1回芥川龍之介賞の候補となりました。芥川賞受賞を熱望していた太宰は、賞の選考員のひとりである佐藤春夫氏に「佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい」と、4メートルもある巻物の手紙を送ったそうです。一方で、当の芥川氏が誰を尊敬していたかといえば、恩師であり自分を見出してくれた夏目漱石氏でした。実際、彼にについてはいくつかの作品で言及しています。また、漱石氏の葬儀では受付を務め、妻へ宛てた遺書には、自作の出版権について「夏目先生を愛するが故に先生と出版書肆を同じにしたい」。従って「岩波茂雄氏(岩波書店)に譲与すべし。新潮社との契約は廃棄す」と記載されていたそうです。
■「芥川賞」を設立したのは誰?
芥川が亡くなってから8年後の1935(昭和10)年に、第一高等学校(帝国大学の予科と位置づけられ、旧制一高とも呼ばれた)からの親友で文藝春秋社主であった菊池寛氏が、純文学の新進作家に送る新人賞として「芥川龍之介賞」(通称:芥川賞)を設立しました。ご承知の通り、芥川賞は直木賞と並び、日本でもっともも有名な文学賞として、現在まで続いています。
■「芥川龍之介記念館(仮)」のクラウドファンディングが進行中です
芥川龍之介氏は、1914(大正3)年から亡くなった1927年まで、東京都北区田端に暮らし、多くの作品を生み出していました。そして現在、北区では、2026年を目標に、田端1丁目20番地にある芥川の旧居跡という唯一無二の土地をよみがえらせ、芥川の生きた時代、創作を支えた雰囲気を「体感(feel)」できる施設「芥川龍之介記念館(仮称)」とする計画が進行中。芥川の書斎再現に向け、寄附、第2弾クラウドファンディングを受付中です。募集期間は2024年7月2日~同年9月30日まで。詳しくは東京都北区の特設サイトをご覧ください。
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誰もが教科書で作品を学んだ芥川龍之介氏は、1892(明治25)生まれ。130年以上前に生まれた作家であることに、改めて驚いてしまいます。彼の名前を冠した「芥川賞」作品を、読書のひとつの目安としている人も多いのでは。そして、第171回芥川龍之介賞(2024年上半期)の発表は7月17日。『サンショウウオの四十九日』(朝比奈秋著)、『転の声』(尾崎世界観著)、『海岸通り』(坂崎かおる著)、『いなくなくならなくならないで』(向坂くじら著)、『バリ山行』(松永K三蔵著)の5作品がノミネートされています。受賞作品と一緒に、かつて読んだ芥川龍之介氏の作品を手に取ってみてはいかがでしょうか。文学で時代の変遷を実感できるかもしれません。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- 参考資料:『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /近代文学館「教科書のなかの文学/教室のそとの文学──芥川龍之介「羅生門」とその時代」https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/9062/#:~:text=「羅生門」が初めて教科書に,風景に重ねられるという%E3%80%82 北区「第2弾(仮称)芥川龍之介記念館クラウドファンディング」https://www.city.kita.tokyo.jp/bunka/akutagawa/cf/2024.html :