ニュージーランドでの留学時代に「舞妓になりたい」意思を固めた、富津愈さん。第2回では、異国の地でどうやって舞妓になる道をつかみ、実際、舞妓になってからはどのような生活を送っているのか?をうかがいました。
置屋のおかあさんとの出会い
京都の舞妓さんや芸妓さんは、みなさん置屋に所属をしています。舞妓になりたい場合は、まず置屋に住み込み、舞妓になるためのお稽古やすでに芸舞妓になっているおねえさんたちのお世話、置屋のお手伝いをします。
そして、1年前後の仕込み(舞妓修業)期間を経て、見世出し(舞妓デビュー)となります。舞妓になってからも、衣食住に関しては置屋が面倒を見てくれます。置屋は家のような存在であり、女将は「おかあさん」と呼ばれています。
「日本にいて舞妓になりたいと思ったら、置屋に手紙や履歴書を送ったりできますやろ。でも、ニュージーランドには履歴書も売ってないし、ニュージーランドから手紙を送っても相手にされへんかと思って。そんな時、インターネットの記事で、今、私がお世話になってる富菊のおかあさんのことを知りましてん」。
10代から花街一筋の置屋の女将が多いなか、富菊の女将・富森れい子さんはアメリカで暮らした後、家業の置屋を継いだ帰国子女でした。その当時では珍しく置屋のホームページを設けていて、富津愈さんは早速メールで連絡を取り、一時帰国の際に面接を受けることになりました。
「すぐに帰ってこなあかんと思ってたんやけど、おかあさんが、向こうの中学を卒業してからでいいと言ってくらはったのは、ありがたかったです」。
舞妓さんとしては、まだ修業の身
帰国後、約1年の仕込み期間を経て晴れて舞妓になった富津愈さんですが、舞妓になるのが決してゴールではありません。本来、舞妓は芸妓になるための修業期間であり、20歳をすぎて襟替え(芸妓デビュー)するまでの間、毎日お座敷に上がる前にみっちりお稽古に励んでいます。
毎日のタイムスケジュールは、8時に起床、10時から13時までお稽古、置屋に帰って食事、15時から仕度(化粧や着つけ)、18時からお座敷へ。24時に置屋に帰宅し、26時就寝、といった風。お昼に座敷が入っている場合は、さらに早起きして、朝から夜中まで20キロを超える衣装を身に着けたままということも。
また、舞妓さんの日本髪は鬘ではなく、地毛で結い上げていて、週に1回、髪結いさんに行く前の夜しか髪を下ろして寝ることができないそう。
「高枕で寝るんですけど、寝ていても頭が浮いている状態で、最初は痛くて寝られへんどした。舞妓は大変なことも多いけど、なんべんかお座敷に呼んでくらはったお客さんが『踊りが上手になったね』、『おねえさんらしくなった』って言ってくらはったら、すごいうれしいし、やり甲斐を感じます。それに、普通の女子高生をしてたらでけへん体験をさせてもらえるのがうれしいんです。芸妓にはなりたいけど、舞妓のうちはいっぱいお稽古させてもらえるし、唄や踊りなど、もっと上達しないとあきませんね」。
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祇園東 お茶屋「富菊」
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- クレジット :
- 撮影/竹田俊吾 文/天野準子