エレガントな女性はだれもが自分らしいスタイルをもっているもの。76歳の今でも第一線で仕事を続ける、ファッションデザイナーの島田順子さんもそのひとりです。彼女が大人の女性たちを魅了するのは、独自の美意識を貫く生き方がとびきり輝いているから。そこで、パリと東京を行き来するという多忙な生活を送る、島田さんの東京のご自宅をたずねました。
大人の女性たちを魅了する、「島田順子」という生き方
1980年代、東京ではDCブランドブームの真っ盛り。ファッションリーダーと呼ばれた女優や有名人たちは、競うようにジュンコシマダをまとっていました。彼女たちの視線の先には、まだ少し距離のあった「パリ」のエスプリを身につけた、「島田順子」という女性の存在が憧憬としてあったはずです。
76歳の今も、服の似合うきれいな骨格と体型を維持し、自分がデザインした服をモデルのように着こなして、並外れたオーラを放つ。それでいて、人懐っこい笑顔と艶やかな声で迎えられると、だれもが島田さんの虜になってしまう。このチャーミングさはなんだろう?こんなふうに年齢を重ねられたら…と、素直に見惚れてしまうからなのかもしれません。
美しいものに心ときめかせた幼いころの記憶
千葉県の館山で、6人姉妹の三女として生まれ育った島田順子さん。海軍の基地があった海辺の街には、戦後、米軍が駐留するように。島田さんの幼い目には、彼らのおしゃれが眩しかったのだといいます。「さりげないシャツとパンツ姿なのに、スキッとしているの。なんだろう、このかっこよさは…。それがおしゃれの原体験でした」
また、明治生まれで凛と着物を着こなす、憧れの祖母にも影響を受けたのだとか。「何をしても、すごく素敵でした。着物を粋にしゃらっと着くずすの。身のこなしもきれいで、たとえばお味噌汁をよそう手つきさえ、なんてきれいなのだろうと、いつもそばで見つめていました」
祖母の身仕舞や物腰のなかに、学ぶべきエレガンスの要素を感じ取っていた島田さん。日本女性としての美意識が、こうして島田さんの奥深くに刻み込まれていったのです。「お行儀の悪い人は許せなくて、一緒に食事をすると、友達になりたくない人が生まれるの(笑)。品性や教養みたいなものはどこからか、あふれ出すのね。フランスに行ったら、祖母に憧れたときと同じような感覚を覚えたのです」
パリが磨きをかけた日本女性の粋なエレガンス
25歳で初めて訪れたパリは、すべてが期待どおりに美しかった。グラスや、タバコを持つ手が美しいのは、ヌーベル・ヴァーグの女優たちだけではありませんでした。化粧っ気がなくて、髪を束ねただけの、街を歩く普通の女性たちが、とても素敵に見えたといいます。島田さんがパリを謳歌し始めた'70年代は、パリモードが大きく変わる時代。洗練された大人の女性たちがたくさんいたのです。
パリでのふたつめの職場となった「マフィア」は、社長のマイメ・アルノダンをはじめ、インテリアデザイナーのアンドレ・プットマンや、のちに『エル』や『ヴォーグ』の編集長となる、第一線で活躍する女性たちを輩出した伝説的な会社。若き島田さんは、パリでいちばんかっこいい女性たちに囲まれながら、ライフスタイルのなかで洗練を身につけていきました。そして、彼女には、それをキャッチする感受性の豊かさがあったのでしょう。好き嫌いのはっきりしていた島田さんは、流行やブランドに関係なく好きなものを思う存分身につけることで、自分らしい強い存在感が生まれることを、この地で知ったのです。
島田順子さんが考える「エレガンス」とは
「なんでもない白シャツにデニムをはいても、素敵な人は素敵。きっと祖母の魅力と同じなのね。食べ方にしても、グラスの持ち方やタバコの吸い方にしても、全部同じお話。なかなかつかみ取れないエレガンスというものを手探りしながら、何年もかけてフランスの文化や美意識を、自分のなかに蓄える努力を重ねてきました。でも、まだまだ学び足りないのです。エレガンスは、一生かけて磨いていくものだと思います」
自分らしさを貫き、今なお「エレガンスとは何か」を追求し続けているという島田順子さん。そんな彼女の飽くなき探究心、そして、唯一無二のスタイルが、私たちを魅了してやまないのです。
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- PHOTO :
- 浅井佳代子
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- EDIT&WRITING :
- 藤田由美、遠藤智子(Precious)
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