「五十日の祝い」は「いかのいわい」と読み、新生児が生まれて50日を迎えられたことを祝う行事でした。出産が母子共に命の危険を伴う一大イベントだった平安時代。わが子が生まれて50日を迎えられた喜びは、またひとしおだったことでしょう。今回は「五十日の祝い」の詳しい意味や、NHK大河ドラマ『光る君へ』でどのように描かれていたのか、史実でもあった敦成(あつひら)親王の「五十日の祝い」にはどんな意味が隠されていたのか? についても解説します。

【目次】

新生児が餅を食べるのは、健康と成長の象徴でした。
新生児が餅を食べるのは、健康と成長の象徴でした。

【「五十日の祝い」とは?「読み方」「意味」】

「読み方」

「五十日の祝い」の「五十日」は「いか」と読みます。「ごじゅうにち」ではありませんよ。

■「意味」

「五十日の祝い」もしくは「五十日の儀」は、子どもが生まれて50日目に行なう祝いの行事です。現代の「お食い初め」のルーツにあたる儀式で、平安時代に主として朝廷、貴族の間で行われました。


【「五十日の祝い」は具体的に何をする?】

「五十日の祝い」では、子どもサイズの小さな食器類が特別に用意され、新生児の口に餠(五十日の餠)を含ませる儀式が行われました。餅は50個を、市(いち)で買ってくる習わしでした。とはいえ、新生児の口に直接餅を入れるのは危険。なので、実際にはつぶした餅を重湯(おもゆ:水分の多いおかゆの上澄み液)に入れ、それを口に含ませるだけ。主に父親か外祖父(母方の祖父)がその役目を担いました。


【大河ドラマ『光る君へ』の「五十日の祝い」を深掘り!】

大河ドラマ『光る君へ』では、一条天皇と中宮彰子の間に生まれた敦成(あつひら)親王の「五十日の祝い」が、母方の実家である土御門殿(つちみかどどの)で盛大に行われていましたね。これは『紫式部日記』にも詳細に記されている史実です。そして「五十日の祝い」のあとに催された宴会では、酔っ払った貴族たちが下ネタを披露したり、泥酔して女房たちのいる局(つぼね:部屋)に乱入したりと、やりたい放題。お酒が回った真っ赤な顔で女房の衣の枚数を数えていた藤原実資(ふじわらのさねすけ:演・ロバート秋山さん)は、実はセクハラではなく、贅沢禁止の勅令が守られているかチェックしていたのです。伝わっていたでしょうか? さらに古典文学ファン、とりわけ『源氏物語』ファンが大注目していたのが、以下のシーンです。

藤原公任(ふじわらのきんんとう:町田啓太さん)が几帳の間から顔を覗かせ、「あなかしこ、このわたりに、若紫やさぶらう(失礼ですが、このあたりに、若紫さんはいらっしゃいますか)」と、紫式部(藤式部:吉高由里子さん演じるまひろ)に問いかけます。

公任の言う「若紫」とは『源氏物語』に出てくる紫の上のこと。公任はふざけて紫式部を紫の上にたとえているのです。実は「若紫」という名前は、源氏の君の妻・紫の上の少女時代の呼び名であり、彼はすでに若くはない紫式部をからかっているのです。これに対して、紫式部はこう答えます。
「源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上は、まいて、いかでものしたまはむ」
公任が発した、現代風に捉えれば立派なセクハラ発言を、紫式部は「源氏の君のような素敵な殿方がいらっしゃらないのに、若紫がいるはずないでしょ」と痛烈な皮肉で返したのです。実際に『紫式部日記』に書かれているのは、心の中で思った台詞だけですが、ドラマのまひろは直接言い返していたのが、いかにも現代風なアレンジでした。

そして実は、この公任と紫式部とのやりとりから、重大な事実が推測できます。ひとつは、『源氏物語』のなかで紫の上が出てくる「若紫」の巻が、「五十日の祝い」が行われた1008(寛弘5)年11月1日の時点で、すでに執筆済みであったこと。ふたつめは、『源氏物語』が公任のような男性貴族たちにも読まれていた、という事実です。さらに、『源氏物語』の作者が紫式部であるという根拠にもなっています。この日の1000年後にあたる2008年が『源氏物語』の千年紀となり、さらに2012年には11月1日が「古典の日」という記念日に制定されました。


【「五十の賀」との違いは?】

■そもそも「五十の賀」って?

「賀」とは、「喜び祝うこと」。そして「五十(ごじゅう)の賀」は、50歳になったときに行うお祝いを意味します。平安時代は「数え年」を使っていましたので、「五十」は満年齢でだいたい49歳です。一方で「五十日の祝い」は、子どもが生まれて50日目に行う祝いの行事ですから、随分年齢差がありますね! 実は平安時代には「40歳が老年の始まり」と考えられていたことから、「長寿の祝い」は「四十(しじゅう)の賀」で始まり、「五十の賀」、「六十(ろくじゅう)の賀」、「七十(しちじゅう)の賀」と続きます。このように、十年ごとにお祝いをすることを「算賀(さんが)」と呼んでいました。

***

「五十日の祝い」は、赤ちゃんの成長を祝うセレモニーのひとつです。「五十日の祝い」のあとは「百日(ももか)の祝い」が催され、これが現代の「お食い初め」につながったといわれています。儀式のなかで子どもが「餅を食べる」のは、子どもの健康と成長の象徴でした。たくさん食べてすくすくと育ってほしい。それはいつの世も変わらない、みんなの願いだったのですね。

この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
参考資料:『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『日本大百科全書 ニッポニカ』(小学館) /『平安 もの こと ひと 事典』(朝日新聞出版) /『はじめての王朝文化辞典』(角川文庫) :