地下階段を降りてきた黒革上着の男は、客
は俺一人のカウンターに、ややためらって座
った。
 その顔は知っている。男っぽい作風で売り
出し、最近新人文学賞をとった若手作家だ。
用意していたように言った。
「水割り」
「はい、ウイスキーは?」
「まかす」
 何を使うのか見ていると、このバーでは一
番安い、しかし手堅い味のスコッチだ。
「どうぞ」
 バーテンダーはとくに銘柄を言うわけでも
ない。彼はひとくち含んで店内を見渡した。
 ここは銀座の老舗で、多くの文士が通った
文壇バーとしても知られる。どこか気負いを
感じる彼は、まだあまりバーに慣れていない
ようで、水割りグラスはすぐ空になった。
「何かカクテル、強いやつ」
 付け加えた一言は、俺は酒は強いぞと見せ
たいのだろう。かしこまりましたと作り始め
たのはマティーニのようだが、ステアを終え
て注いだカクテルグラスに最後に浸したのは
オリーブではなくパールオニオンだ。
「ギブソンです」
 とり上げた彼は一口ぐびりと飲み、ややむ
せたように、口に握り拳を当てた。
 何か強いやつ、の注文にスタンダードカク
テルの代表マティーニをさらに辛口にしたギ
ブソンはうまい選択だ。しかしバーテンダー
は特に何も言わず、離れた席に来た紳士の方
へ行った。
 なるほどな。バーテンダーは、銀座の客は
ウイスキーやカクテルは知っていると前提し
「訊かれないのに説明すると失礼になる」と
洩らしていた。まかす、の注文に高価な稀覯
品を並べるのもまた同じ。
 飲み終えた彼が勘定して言った「また来る」
に、老練バーテンダーは「○○さん、受賞お
めでとうございます、ぜひまたどうぞ」と答
えた。
 判っていても素知らぬ顔でいつもの仕事を
する。完全にバーテンダーの勝ちだな。この
バーは新進作家に印象を残したことだろう。


ギブソン  Gibson

「カクテルの中の傑作」と称されるマティーニを、さらに辛口に仕上げたギブソン。マティーニのオリーブに代わり、白いパールオニオンを飾った、見た目にもクールなカクテルだ。ジンが5/6、ベルモットが1/6が基本だが、今宵はベルモットをやや控えめに。ベースのジンは冷凍庫でキリッと冷やしたタンカレーに、常温のNo.3ロンドン・ドライ・ジンを少し加えてステア。ダンディズムが香る特別な一杯に仕上げている。バーテンダー/ BAR GOYA 山﨑 剛

この記事の執筆者
1946年生まれ。デザイナー/作家。元東北芸術工科大学教授。日本各地のバー、居酒屋を訪ね著書を発表。『日本のバーを行く』(講談社)、『銀座の酒場を歩く』(ちくま文庫)、『今宵もウイスキー』(新潮文庫)、『みんな酒場で大きくなった』(河出文庫)、『居酒屋百名山』(新潮文庫)『ひとり旅ひとり酒』(京阪神エルマガジン社)、『居酒屋を極める』(新潮新書)、『日本の居酒屋―その県民性』(朝日新書)など。最新刊『老舗になる居酒屋―東京・第三世代の22軒』(光文社新書)
PHOTO :
小倉雄一郎
EDIT :
堀 けいこ
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