レースが紡ぐ美と社会の物語 文/服飾史家・中野香織

レースが紡ぐ美と社会の物語
布を飾る技法には、アップリケ、カットワーク、ビーズワーク、刺繍など多くの種類があります。なかでも、ひときわ繊細かつ華やかで、ラグジュアリーの象徴として君臨してきたのがレースです。その糸目には、各地の美意識のみならず、社会や政治秩序にまで関わる複雑な歴史が編み込まれています。
贅沢の象徴から統治の道具へ
装飾を目的とするレースは、16世紀頃、イタリアおよびフランドル地方で誕生しました。針と糸だけで刺繍のようにつくるヴェネツィアン・レースは、立体感のある重厚な芸術品として王侯貴族の威光を示し、ボビン(糸巻き)を用いるフランドル・レースは、軽やかで優美な装飾として人気を博しました。
いずれも高価な糸と膨大な手仕事を要するため、贅沢品として扱われ、貴族の衣服の襟や袖口を飾ります。
この時代、ヨーロッパ各地で「奢侈(しゃし)禁止令」が施行され、レースを着用できるのは一部の特権階級に限られました。ラグジュアリーを享受できる階層を制限することで、国家は階級序列と社会秩序を管理しようとしたのです。
ところが、18世紀末のフランス革命により、それまで権力の象徴だったレースは「旧体制の遺物」として危険視されました。特にルイ14世の財務総監コルベールが推進し、「レースの女王」と称されたアランソン・レースは、フランス宮廷の威信を象徴していたことから、革命政府の弾圧の対象となりました。貴族の多くが処刑されるなか、職人も仕事を失い、レースそのものも一時、消滅の危機に陥りました。
しかし20世紀以降、精緻な手仕事の価値が再評価され、2010年にはアランソン・ニードルレースの技術がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、歴史の荒波を越えて息を吹き返すことになります。
レースは常に優雅の象徴だったわけではなく、時代のうねりに翻弄される人間社会を映し出す鏡でもあったのです。

社会変革、女性の自立をレースが後押し
19世紀には、産業革命の波がレースにも押し寄せます。イギリス・ノッティンガムではレース編み機が開発され、手仕事に比べて圧倒的な速度と均一性での大量生産が可能になりました。レースは王侯貴族だけのものではなくなり、中産階級にも普及します。
一方で、大量失業や賃金低下に苦しんだ職人たちは、機械打ちこわし(ラッダイト運動)を起こすなど、社会構造のひずみが一気に噴出しました。ここでもレースは、美の象徴にとどまらず、変革や階級闘争の引き金となっていたのです。
さらにレースは、女性の経済的自立とも密接に関わってきました。修道院や家庭での内職としてつくられたレースは、女性にとって貴重な収入源でした。19世紀半ば、大飢饉に苦しんだアイルランドでは、かぎ針を用いたアイリッシュ・クロシェレースが多くの女性を支えました。修道女の指導のもと村の女性たちは技術を学び、家計を助けたのです。
この動きはヨーロッパ各地へと広がり、フランスやベルギーでは貴族や慈善家の援助によりレース学校が設立され、孤児や未亡人に技術が伝えられました。こうしてレースは、かつて特権階級の装飾品であった姿を残しながらも、多くの女性に社会進出の扉を開く手段へと変容していきます。

テクノロジーと手仕事で輝く新時代のレース
21世紀の今日、レースはさらなる進化を遂げています。レーザーカットや3Dプリントによるレースなど新技術の登場により、手仕事を超える精緻なデザインも可能になりました。イリス・ヴァン・ヘルペンのような前衛的デザイナーは、伝統とテクノロジーを融合させ、レースを近未来的な衣服へと昇華させています。
一方で、フランスのアランソン、クロアチアのレポグラヴァなどでは、伝統的な手工業としてのレースを無形文化遺産として保護し、観光や地域産業とも連携する動きが進んでいます。手仕事が生む気高さと温もりが再び注目され、人間と環境を大切にする新しいラグジュアリーの価値観を体現する存在となっているのです。
こうしてレースは、何世紀にもわたる変革の波を乗り越え、その姿や役割を変えながらも、美の象徴としての本質を保ち続けてきました。一本一本の糸には、貴族の栄華と革命による転落、労働者の声、そして女性たちの希望が、静かに編み込まれています。
レースの歴史をたどることは、単なる装飾の変遷を追うことではありません。美という価値が、時に権力の象徴となり、あるいは生活の糧となりながら、社会の変化と密接に結びついてきた軌跡を読み解くことでもあります。
優美な構造の背後には、階級、経済、ジェンダー、技術といった社会をかたちづくる要素が複雑に絡み合っています。それを知ると、ラグジュアリーの象徴たるレースは、「美とは何か」「私たちはどのような社会を築いていくべきか」を静かに問いかけてくるように見えてくるのです。

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- EDIT :
- 兼信実加子、喜多容子(Precious)
- 文 :
- 中野香織