ファッション販売員のキャリアを支援する「JASPA」をご存じだろうか。ファッション界の重鎮たちが中心となり、「日本の販売職のイメージとスキルをアップさせるための組織」として2016年に設立されて以来、様々な研修プログラムを提供するとともに資格制度を創設・運営しようとしているのだ。ネット通販が普及した現在においても、「人と人との対話」から生まれる価値は計り知れない。日本の文化に造詣の深い、シャネル株式会社代表取締役社長のリシャール コラス氏に、「おもてなしの心」に代表される、日本のサービス精神を活かした販売職の重要性について、大いに語っていただいた。

シャネルのトップが語る「サービスの本質」とは

シャネル株式会社代表取締役社長のリシャール コラス氏。日本在住歴が長く、著作も多い。

 気が滅入るような冬の夕暮れ、小学校からの帰路の思い出は白黒で目に浮かびます。あまりに低くて手を伸ばせばさわれるほどの雲の天井も、恐ろしい幕引きのように突然町に降りてくる夜も、僕が住む地区のかすかにふるえる貧弱な街灯も。そこは「光の都」の、真昼のように明るく照らされる大通りから離れた地区でした。でも、この帰り道は好きでした。というのも、30分ほどパン屋に立ち寄り、近所の客が夕食のパンを買いにくる時間帯のお手伝いをしたのです。気のいい太っちょのパン屋のおばさんは、でっぷりとしたお腹の周りに前掛けをし、その胸は袖のないブラウスからあふれていました。このお手伝いの報酬は、チョコレートをたっぷりはさんだパン・オ・ショコラ。店の換気口から立ち上るパリのパンが焼ける香りを嗅ぎつつ、ごほうびをかじりながら家に帰ったのです。この匂いは僕の記憶に深く刻み込まれました。幼少時代のフランスの匂いは、色鮮やかです。(「午前4時、東京で会いますか?」パリ・東京 往復書簡 シャンサ×リシャール コラス共著 ポプラ文庫、リシャールがシャンサにあてた手紙より)

――この文章は、7歳の私がお店でモノを売った最初の経験を書いたものです。この時から人と人の出会いは楽しい、つまり販売職の面白さを感じるようになったのだと思います。この後、20歳のころには、エールフランスのスチュワードのアルバイトをし、飛行機が離陸する際の非常設備の解説(救命胴衣や酸素マスクの説明。今や動画での説明が多いですね)をファッションモデル風の動きに似せたアレンジをして乗客を笑わせたり、機内で不安に思っているだろう人に笑顔で声をかけ、緊張をほぐしたりと自分なりにサービスというものを考えて、行動していました。そのあたりから「販売とは、ただ単にモノを売ることだけではない」とわかっていたんでしょうね。

 そんな私ですから、LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・ジャパン取締役のエマニュエル プラットさんをはじめとするファッション界の重鎮たちから、「日本の販売職のイメージとスキルをアップさせるための組織をつくりたい」という意見を聞いたときには、すぐに賛同しました。こうして「日本プロフェッショナル販売員協会(JAPAN SALES PROFESSIONALS ASSOCIATION 略称:JASPA)が2016年に設立されたのです。この協会の一番の思いは、「販売に誇りを」ということです。販売職の方々のイメージアップ、スキルアップと、たくさんの人に職業として憧れをもってもらえるようになって欲しいという思いです。

 これまでは販売職というと一部にはややネガティブイメージがあったことも否めません。しかし、プライドを持って、楽しみながらお客様と接することができるプロフェッショナルな人たちもたくさんいる。プロ意識のある人たちからは多くを学べると思いますが、時代の風潮もあり、なかなか学びにくい環境の人もいることでしょう。そこで誰でもJASPAが提供するプログラムに沿って学べばスキルアップしますよ、という制度なのです。また将来的には、販売のプロを証明する資格制度を導入して、キャリアアップにも役立てたいと考えています。企業が販売のエキスパートを採用する、といった時に、判断基準となるような。

スキルアップして売る側も買う側も幸せに!

プロフェッショナルな技の結晶をイメージした、JASPAのロゴ。多彩な研修プログラムを提供し、販売職のスキルアップを支援している。

ーー具体的にプログラムの一部をご紹介しましょう。このプログラムはただ売り場でのスキルを学ぶだけではありません。教養プログラムでは、文化を学び、知性も鍛え自分の世界を広げます。たとえば、「アートツアー」と称しゴッホの絵を鑑賞したり、バレエを観る、室内楽を聴く、日本文化を学ぶために歌舞伎を鑑賞する、などなどです。学芸員のレクチャーを聞いてから鑑賞しますので、より理解が深く、現在までおよそ1,250名が参加しましたが、とても好評です。またスキルトレーニングプログラムでは、販売のプロとしての考え方や振る舞いの基本から、クレームの具体的対応、また人を育てるコーチングや、店舗のディスプレイを学ぶものもあります。

 こういった学びは、明日からすぐに役に立つというわけではないかもしれません。しかし、いつの日かその経験がお客様との会話に役立つ人もいるでしょうし、自信となって立ち振る舞いに表れる人もいることでしょう。良い学びや経験は、その人の知識だけでなく、内面をも磨くことになると信じています。

 このような研修プログラムは海外では聞いたことがないので、日本独自のものだと思います。日本人はもともとサービスの精神がありますし、おもてなしの心があります。また繊細な面も持ち合わせている。逆にいうとお客様の方も商品知識や知的レベルが高く、並のサービスでは満足いただけないということも事実です。お客様が急いでいるのに、だらだら話しかけてもいけないし、また放りっぱなしもだめ。このあたりの空気を読むことも販売職として必要なスキルです。マニュアルだけでなく、販売職にあたる個人個人が、それぞれの場面やお客様のニーズに応じて、対応できるのがベストです。

 私の個人的な経験ですが、行きつけのガソリンスタンドで、給油係のおじいさんが、いつも家族のことを気遣ってくれてフランクに話しかけてくれるんです。これなどはある意味究極のサービスのひとつでしょう。退屈な給油時間に、ひとときの和みを与えてくれるのですから。

 このように、売る側と買う側、それぞれが幸せになれる瞬間がたくさんあると素敵ですよね。そのために日本でもっともっと「日本プロフェッショナル販売員協会」の知名度があがるとうれしいですし、販売職の地位向上、そしてスキルアップのためにセミナーや研修プログラムを役立てていただければ幸いです。

リシャール コラス 1953年生まれ。フランス、オード地方出身。1995年からシャネル株式会社代表取締役社長、現在に至る。2008年には日本政府より「旭日重光章」を受章。作家としても活躍し、「遙かなる航跡」、「午前4時、東京で会いますか?」、「紗綾」、「波 蒼佑、17歳あの日からの物語」を日本で出版。

■問い合わせ先

日本プロフェッショナル販売員協会
東京都渋谷区代々木2-2-1 小田急サザンタワー7階
TEL:03-6300-0226
http://jasp-association.jp

この記事の執筆者
名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。
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