10代にして、美と性のカリスマになってしまった人

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映画『エンドレス・ラブ』のプレミアパーティーに出席したブルック・シールズと、実業家である父、フランシス・アレクサンダー・シールズ。1981年7月、ニューヨークにて。(C)Sonia Moskowitz/Getty Images

1980年代に一世を風靡した絶世の美少女……その人のプロフィールは、大体いつもその短いフレーズに収まってしまっていた。それでもブルック・シールズの名は、誰もが知っている。もちろん若年層は別として、80年代の記憶があるものにとっては、決して決して忘れられない強烈な存在だからである。

この人を世界的に有名にし、弱冠17歳にして“美人の代名詞”にもしてしまったのが、相次いで作られた2本の映画であった。1本は、無人島に2人で取り残される少女と少年がやがて愛し合い、出産までしてしまう『青い珊瑚礁』。もう1本は、言わずと知れた『エンドレスラブ』。17歳の少年と15歳の美少女の激しいまでのラブストーリー。それも胸キュン系の恋バナでは全くなく、少女の家が一家離散状態にまで追い込まれるほど悲劇的な恋愛劇。ダイアナ・ロスとライオネル・リッチーのデュエットによる主題歌『エンドレスラブ』の大ヒットとともに強烈な印象を残しているはずだ。

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映画『青い珊瑚礁』主演の2人。左からクリストファー・アトキンス、ブルック・シールズ。(C) Columbia Pictures/Sunset Boulevard/Corbis via Getty Images

どちらも恋に溺れる早熟な美少女を演じ、美しいことの理屈を超えたパワーを見せつけるとともに、恋愛への夢や性的な憧れを誘うミューズとなった。そういう意味で唯一無二。幼くして孤高の女優。だからこそ、誰の記憶にも強烈にその存在が刻まれているのだ。

逆に言えば、この2作が衝撃的すぎたからこそ、そして、あまりにも美しすぎたからこそ、その後の女優人生では、ただならぬ苦労を強いられることになったとも言われる。

絶世の美少女が名門プリンストン大学首席卒業というギャップ

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プリンストン大学の卒業式で角帽とガウンを着用したブルック・シールズ。専攻はフランス文学だった。(C)LGI Stock/Corbis/VCG via Getty Images)

人気が頂点に達した頃、ブルック・シールズは、あっけないほどの潔さで休業状態に入る。まぁ奇跡的とも言っていい才色兼備、学業も優秀だったその人は、名門プリンストン大学に進学、なんと首席で卒業するのだが、この世のものと思えぬほどの美少女が、超のつく秀才であったことに、当時、世間はたぶん戸惑ったはずなのだ。
特に、彼女をどこかで性的対象として見ていた男性ファンは、何か目を覚まさせられるような複雑な思いになったに違いない。

子役として大成功した芦田愛菜が、じつは本を1日に何冊も読むような知性の持ち主で、余裕で慶応大学に進学したことも記憶に新しいけれど、この時はギャップと言うよりも世間のリスペクトが上乗せされ、好感度をとてつもなく高めたものだった。

しかし、生き馬の目を抜くハリウッドでは女優をもっと商品として見る傾向が強かったはずで、ブルック・シールズも近年になって、この時代に自分がいかに性的関心の目にさらされていたか、そして実際にハラスメントも多々あったことを告白している。つまりブルック・シールズの場合は、その見事な学歴も手放しに称賛されることがなかったのだ。

だいたいが、この人は12歳で『プリティー・ベイビー』という少女の売春婦を演じている。母親が映画プロデューサーだったこともあり、それは極めて革新的な試みだったわけだが、世間の目はその美少女をもはやピュアな目で見ることができなくなっていたのだろう。

10代の頃のブルック・シールズと彼女の母親でマネージャーでもあったテリー・シールズ。1978年ニューヨークにて。(C)Robert R McElroy/Getty Images
10代の頃のブルック・シールズと彼女の母親でマネージャーでもあったテリー・シールズ。1978年ニューヨークにて。(C)Robert R McElroy/Getty Images

大学卒業後に復帰するも、女優として長い低迷期に入った理由

単なる子役ではなく、ちょうど思春期の危うい“女性”性を見事に演じた幼き女優は、大学生活を経て再びエンタメ界に復帰するも、ハリウッドの反応は思いのほか冷ややかだったという。良くも悪くもすっかり大人の女性となっていて、神童も大人になると普通に見えてしまうように、キャスティングがしにくくなっていたようだ。テレビドラマやブロードウェイでは起用されるものの、映画女優としては、その後長い低迷期に入るのだ。ある意味、美しさの点でも早熟過ぎたということなのかもしれない。

ましてや80年代は、スティーヴン・スピルバーグ映画が大全盛で、60年代までハリウッドの絶対の主役だった正統派の美人女優の出番が少なくなっていたことは確か。ブルック・シールズもまた少女時代に女優としてのピークを迎えてしまったということなのである。

映画にはあまり出なくなって以降、ブルック・シールズの情報は日本にはなかなか届かなくなり、私たちはしばらくの間、彼女の存在を忘れていた。 テニスの有名選手、アンドレ・アガシとの結婚離婚を経て、その後脚本家と再婚して子供を設けるも、鬱状態になった時期もあったとされる。

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1997年8月、全米オープンテニストーナメントにて。夫となった世界的テニスプレーヤー、アンドレ・アガシと。(C)Najlah Feanny/Corbis via Getty Images

時折見かける姿は相変わらず美しかったが、少しふくよかになって印象はだいぶ変わっていた。いや、そもそも青い珊瑚礁の頃の天使のような美貌を期待することが間違っているのに、世間はそういう意味で非常に残酷に落胆したりするものなのだ。

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2005年、左からブルック・シールズ、娘のローワン、夫で作家のクリス・ヘンチー。ロンドンのヘイマーケットにあるレストラン「ミント・リーフ」で​​行われた、ブルック・シールズ40歳の誕生日祝賀会に出席。(C)Dave Benett/Getty Images

ブルック・シールズは年を取るのを許されない?

ただ私たちは、この人が極めて知的で頭脳明晰、強い意志を持ったパワーウーマンであることを忘れていた。トレーニング中に大怪我をし、何度も手術を繰り返すなどの苦難を乗り越えて、改めて体作りに目覚めたあたりから、再びこの人の美しさが注目を浴びるようになる。

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2023年10月、ニューヨーク市内を颯爽と歩くブルック・シールズ。(C)Raymond Hall/GC Images

それも、多くの女優が美容医療を前提とした、治して整える方法で美しさを保とうとするのとは違って、まさに更年期以降、生き生きとした生命力を煌めかせる存在として、にわかに注目を浴びるようになるのだ。
そして今、60代になるのを機に出版した新たな回顧録『Brooke Shields Is Not Allowed to Get Old(ブルック・シールズは年をとることを許されない)』が大きな話題を呼んでいる。
年を取ることを許されない……その衝撃的なタイトルには、10代の頃にまさに世界を席巻した完璧な美貌それ自体と、その後ずっと自ら戦い続けた苦悩が示されている。それこそ、伝説の美少女は決して年をとってはいけないし、衰えてはいけないと言うプレッシャーに、常にさいなまれてきたのである。あまりに理不尽だけれど。

だから「ホントに容姿が昔のままならよかったのに」とコメントした人に、インスタライブで直に反論するような場面もあったと言う。未だにそこまで言われてしまう現実があるからこそ、この本を出さざるを得なかったとも言えるが。

オードリー・ヘプバーンも若い頃にあまりにも美しすぎたからこそ、シワだらけになった姿はもう見たくないなどという心ない言葉を浴びせられることになった。でも彼女は晩年まで難民キャンプを回って孤児たちを抱く姿を堂々と見せ続けた。
このオードリー・ヘプバーンもブルック・シールズも、一方で類い稀な知性派だからこそ、そういう批判も毅然として乗り越えることができたのだろう。健全に自然に年をとることができるのは、今やひとつの知性の証だから。

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2024年12月、家族旅行でバハマへ。左から次女のグリア・ヘンチー、ブルック・シールズ、長女のローワン・ヘンチー。(C)Michael Simon/Getty Images

ブルック・シールズは本の出版にあたり、自分自身も含め、誰もがもつ「見た目を良くしたい」と願う自然な欲求」と、「歳をとることでの身体的な変化を受け入れること」のバランスを見つけられるように手助けできれば、と語った。「この顔に刻まれたシワは、すべて自分が人生で積み重ねてきたものの証。だから、そんな自分を労いつつ、“これからどうしたい?”って自分に丁寧に問いかけてあげることが大切だと思う」というメッセージは、老化という現実と20代に入ったばかりの頃からずっと闘ってきた人の言葉だけに、胸に迫るものがある。

そして「いつも最高の自分でいたいし、健康でいたい」という言葉を体現するように、この人は60代の見事な水着姿を披露した。鍛え抜かれた引き締まった肉体と輝くような生命感が眩しすぎる。こういう若さなら目指してみたいと思うほど、それは従来のセレブの露出とは、一線を画すものだったのだ。

言ってみれば、ただの自己顕示欲ではない、そこにある種の使命感のようなものを感じた。かつて美の象徴だった人が、長い時を経ても最高の自分でいられるのだと言うことを示すための本気の挑戦だったからである。知性と気概さえあれば、老化という宿命に、完全に勝利することができるのだ、と言うことを訴えたかったのではないだろうか。
ブルック・シールズだって、こんなふうに立派に歳をとれたのよ!と自ら訴えるために。
 

この記事の執筆者
女性誌編集者を経て独立。美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌において多数の連載エッセイをもつほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。近著『大人の女よ!も清潔感を纏いなさい』(集英社文庫)、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)ほか、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。好きなもの:マーラー、東方神起、ベルリンフィル、トレンチコート、60年代、『ココ マドモアゼル』の香り、ケイト・ブランシェット、白と黒、映画
PHOTO :
Getty Images
WRITING :
齋藤薫
EDIT :
三井三奈子