【目次】

【前回のあらすじ】

天明7(1787)年、大飢饉による米不足が引き金となり、大坂で起こった打ち壊しは全国に波及。ついには江戸でも「天明の打ち壊し」が始まります。第33回となった今回のタイトルは、「打壊演太女功徳(うちこわしえんためのくどく)」。

「功徳」とは「将来に幸福をもたらすよい行い」のことですから、このタイトルが意味するのは、「苦難のとき、エンターテインメントは世を照らし、人心を救えるのか」というテーマだと言えましょう。平賀源内(安田顕さん)が蔦重(横浜流星さん)に託した「本の力で世の中をよりよく豊かに」という思いとも重なりますね。果たしてエンタメに、社会を変えるパワーはあるのでしょうか?

そのひとつの答えが、富本節の名手、富本斎宮太夫(新浜レオンさん)による、「天から恵みの銀が降る~」「三匁(もんめ)二分、米一升、声は天に届いた」という力強い歌声でした。これは、今回の騒動を受け、「幕府が人々に金を配り、後日米に替えられるよう保証する」ことを知らせるもの。破壊活動に殺気立っていた人々もたちまち手を止め、太夫の歌に耳を傾けます。そして歌に続いて場を盛り上げたのは、次郎兵衛兄さん(中村蒼さん)たちによる囃子と、蔦重自ら陣頭に立った踊りの隊列です。

人々は「お救い米」の知らせに沸き上がり、打ち壊しは武力をもってしてでなく、歓喜のなかで鎮まっていきます。『美術展ナビ』の 「小田新之助役・井之脇海さんインタビュー」によれば、このシーンの台本のト書きには「それはエンターテイメントが起こした奇跡の瞬間だ」と書いてあったそうです。いつの世もエンタメが世の中に影響を与え、社会を変えていく。まさしく、今回のタイトルである「演太女功徳(エンタメのくどく)」です。

ところが、「これにて一件落着〜」とはいかないのが、森下佳子さんの脚本です。蔦重の背後に現れたのは、またしてもあの「丈右衛門だった男」(矢野聖人さん)。思えば前回、一橋治済(生田斗真さん)は流民に偽装して市中を視察していましたね。蔦重を「己の策を邪魔する男」と認識したうえで、彼に殺害を指示したに違いありません。蔦重危うし! というその瞬間に、毒を塗られた刃から蔦重を守ったのは、新之助(井之脇海さん)でした。

「蔦重を守れてよかった。俺は世を明るくする男を守るために、生まれてきた」。蔦重に抱きかかえられた新之介は、こう言って息を引き取ります。源内の元では才を発揮できず、おふく(うつせみ/小野花梨さん)と幼い息子を守れきれなかった新之介が、最期に自分が生まれてきた意味を誇って逝けたことだけが、救いでしょうか。それにしても、あまりにも大きな喪失です。

妻・ふく(小野花梨さん)のもとへ旅立っていってしまった小田新之助(井之脇海さん)…。おふたりには何度も泣かされてしまいますね。(C)NHK
妻・ふく(小野花梨さん)のもとへ旅立っていってしまった小田新之助(井之脇海さん)…。おふたりには何度も泣かされてしまいますね。(C)NHK

自分をかばったことによる新之介の死。つらすぎる出来事に涙も涸れて、墓前に呆然と佇む蔦重。焦点の定まらぬ彼の瞳に、再び光を宿らせたのは、歌麿(染谷将太さん)が見せた「俺(歌麿)ならではの絵」でした。鮮やかに写し出された草花やトンボ、セミ、蛙たちが放つ、きらきらとした命の輝き…かつて、かをり(誰袖花魁の幼名/福原遥さん)が蔦重のつくった黄表紙で笑顔を取り戻したように、蔦重の心の傷もまた、歌麿の絵で慰められるのでした。

覚えていますか?このシーン。森下脚本は、はっとするところに伏線回収的なシーンが盛り込まれているので、それを味わうのも醍醐味のひとつ。第29回より。(C)NHK
覚えていますか?このシーン。森下脚本は、はっとするところに伏線回収的なシーンが盛り込まれているので、それを味わうのも醍醐味のひとつ。第29回より。(C)NHK

歌麿の腕の中で、蔦重は滂沱(ぼうだ)の涙を流します…今回蔦重は、かつて自分が手を差し伸べた、新之介と歌麿のふたりによって命を救われ、心の支えを得たのですね。

このとき歌麿が見せた絵は、のちに蔦重とのコンビで『画本虫撰(えほんむしえらみ)』として発刊され、歌麿の代表作となり、今も私たちの目を楽しませてくれています。これもまた、もうひとつの「演太女功徳」。今後は歌麿の本格的な活躍ぶりが見られるのでしょう!

老中に就任することとなった松平定信(井上祐貴さん)。(C)NHK
『画本虫撰』(国文学研究資料館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200014778

それにしても、蔦重のピンチを救い「丈右衛門だった男」を射貫いた長谷川平蔵(中村隼人さん)の凛々しかったこと! チャラッとして頼りなかった「カモ平」は完全に卒業です。

史実では、平蔵は天明の打ち壊しの際に御先手組弓頭(おさきてぐみゆみがしら)として、江戸市中の取り締まりを行いました。御先手組弓頭とは警護職のトップです。見事に暴徒を制圧したその功を認められ、火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)に抜擢されるのは、この翌年のこと。筆者の頭の中では、かつて中村吉右衛門さんが『鬼平犯科帳』で平蔵を務めたときの決めゼリフ、「火付盗賊改方、長谷川平蔵である。神妙に縛につけぃ!」が、そのBGMと共に再生されていました。


【とっても意外な、蔦重と「ベルばら」の関係】

さて皆さんは、「打壊演太女功徳」の予告で、「米が無ければ 金を配ればいいじゃない」というテロップが流れていたのにお気付きだったでしょうか。この文言は、第32回「新之助の義」のワンシーンで、「『米がないなら犬を食え』とお侍から言われた」と、民衆を扇動した治済と「丈右衛門だった男」が発した言葉をもじったものだったようです。ですが筆者自身は、こちらのテロップから「パンがなければ お菓子を食べればいいじゃない」という言葉を連想し「あら、マリー・アントワネットさまかしら?」などと妄想を膨らませておりました。

というのも、今回の放送の少し前、8月29日は「ベルばらの日」だったのです。詳しい説明は別記事に譲りますが、「ベルばらの日」は、1974(昭和49)年の8月29日、池田理代子さんの大ヒット漫画を原作とした『ベルサイユのばら』(通称:「ベルばら」)が宝塚歌劇団で初演されたことに由来する記念日です。

■蔦重とマリー・アントワネット、そしてオスカルとアンドレは同世代

そんな「ベルばら」の主要登場人物であるオスカル、アンドレ、そしてマリー・アントワネットと蔦重は同世代。具体的には、蔦屋重三郎は1750年生まれ。「ベルばら」の物語の舞台となるフランス当時の王、ルイ16世とアンドレは1754年生まれ。そして、マリー・アントワネットとオスカル、そして『ベルばら』ではオスカルの親友だったフェルゼン(スゥェーデンの王室顧問である実在する名門貴族で伯爵)は1755年生まれ。ついでに(と言っては失礼ですが)松平定信は1758年生まれです。

『べらぼう』に登場した『新吉原細見 籬の花』が発売された1775年、「ベルばら」ではオスカルが近衛連隊長に昇進し、史実としてルイ16世がランス大聖堂で戴冠式を行っています。そして『べらぼう』33回で描かれた「天明の打ち壊し」が起こった1787年のフランスは、フランス革命(1789年)の勃発前。すでに深刻な財政難に陥っており、王室は破産寸前。マリー・アントワネットは、その浪費ぶりで国民の反感を招いていました。彼女は革命の最中に夫ルイ16世と共に処刑されることになりますが、それは6年後の1793年です。

■アントワネットは「パンがなければ お菓子を食べればいいじゃない」とは言ってない

王室の財政難、市民の飢餓はそっちのけで贅沢三昧の暮らしを続けていたマリー・アントワネットが、その浪費をたしなめられた際に「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言った、という話を聞いたことがある人は多いでしょう。しかし、最近では「マリー・アントワネットはそんなことは言っていない」という説が有力です。
この言葉の出典では? とされているのは、フランスの哲学者、ジャン・ジャック・ルソーによる自伝『告白』に登場する、以下の一節です。

~とうとうある王女がこまったあげくに言ったという言葉を思いだした。農民たちは食べるパンがございません、と言われて、「ではブリオシュ〔パン菓子〕を食べるがいい」と答えたというその言葉である。~
(ルソー『告白錄』中巻、井上究一郎訳、新潮社〈新潮文庫〉、1958年より)

この一節がいろいろな物語や歴史家に引用されているうちに、フランス革命の直前にマリー・アントワネットが言った言葉であったかのように流布されてしまったというのが、真相のようです。

そもそも『告白』が書かれた当時、マリー・アントワネット自身はわずか9歳。のちにフランスに嫁ぐことになるとは露ほども知らず、オーストリア皇女として過ごしていました。フランス王妃となり、浪費家と非難されたアントワネットの一面が誇張され、このセリフと結びついてしまったとしたら、彼女にとってはこれも不幸なことですよね。


【次回 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第34回「ありがた山とかたじけ茄子(なすび)」のあらすじ】

老中首座に抜擢された定信(井上祐貴さん)は、質素倹約を掲げ、厳しい統制を敷き始める。 そんななか、蔦重(横浜流星さん)は狂歌師たちに、豪華な狂歌絵本をつくろうと呼びかける。

しかし、そこに現れた南畝(桐谷健太さん)は、筆を折ると宣言。南畝は定信を皮肉った狂歌を創作した疑いで処罰の危機にあった。意次(渡辺謙さん)がつくった世の空気が定信の政によって一変するなか、蔦重は世の流れに抗うため、ある決意をもって、意次の屋敷を訪れる。

度重なるピンチや裏切りからか、意次(渡辺謙さん)の見た目は自然な経年を越えたやつれ方に…。(C)NHK 
度重なるピンチや裏切りからか、意次(渡辺謙さん)の見た目は自然な経年を越えたやつれ方に…。(C)NHK 

※『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第33回 「打壊演太女功徳」のNHKプラス配信期間は2025年9月7日(日)午後8:44までです。

この記事の執筆者
美しいものこそ贅沢。新しい時代のラグジュアリー・ファッションマガジン『Precious』の編集部アカウントです。雑誌制作の過程で見つけた美しいもの、楽しいことをご紹介します。
WRITING :
河西真紀
参考資料: 『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~ 後編』(NHK出版) /美術展ナビ「【大河ドラマ べらぼう】小田新之助役・井之脇海さんインタビュー」(https://artexhibition.jp/topics/news/20250831-AEJ2728020/)/『ベルサイユのばら』(集英社) :