【目次】
【前回のあらすじ】
第38回「地本問屋仲間事之始(じほんどんやなかまことのはじまり)」は、前々回に続いて鬼のような倹約令や出版統制を実行する老中首座の松平定信(井上祐貴さん)と、黄表紙の出版を守ろうとする蔦重(横浜流星さん)の意地と知恵の応酬が見事、最終的にはスカッと「これぞべらぼう!」という展開に。

そんななか、歌麿(染谷将太さん)が唯一心を許した女性であった妻のきよ(藤間爽子さん)が瘡毒(そうどく。今でいう梅毒、性病)で床に伏します。九郎助稲荷(綾瀬はるかさん)のナレーションにもありましたが、身を売ることもあった洗濯女のきよは歌麿との結婚前に瘡毒に罹患していましたが、結婚当時は長い潜伏期間中だったのでしょう。
しばらくは幸せな結婚生活を送っていたものの、いよいよ病魔が表立った、ということですね。ろう者であったきよが死の間際に歌麿の幻覚として現れ、「こっち向いてもらえると嬉しいから?」「あたしもそんな子だった、歌さん」と…。藤間爽子さんの最初で最後のセリフでした。
山東京伝(古川雄大さん)と絶交の危機に陥った蔦重ですが、「おもしれえもんで世の中を楽しくする」ことを身上とする蔦重にとって、飛び切りおもしろい戯作を書く京伝を失うわけにはいきません。京伝にしても、売り言葉に買い言葉的に“蔦重の耕書堂では書かない宣言”をしてしまったわけです。鶴屋(風間俊介)の協力で仲直りの機会をもった蔦重でしたが、短気は損気とはこのこと。関係はさらに悪化してしまいます。
そこへ飛び込んできたのは、定信によるさらなる出版統制です。そもそも黄表紙や浮世絵は贅沢品で、庶民によからぬ考えを刷り込み風紀を乱す元凶であるから出さねばよい、というわけです。今後一切新しい本を仕立ててはならぬ――つまり、重版はよくても新刊本はご法度というお触れです。これは江戸の地本にとって間違いなく大きな危機!
その元凶は自分が出した黄表紙であると心得た蔦重は、江戸の地本に関わる人々を一堂に集め、平身低頭の謝罪を試みます。
そこで打ち立てた打開策は、「どうしても新作を出したければ指図を受けろ」というお触れを逆手に取ったもの。検閲を受ければ出版OKなわけですから、江戸じゅうの地本問屋が指図を受けるため大量の草稿を奉行所に持ち込み、あまりの多さに音を上げ「もうよい、指図を受けずとも勝手に出せ!」と規制が緩まることを狙ったのです。

しかしその大量の新作はどこに…? ここが蔦重が「出版王」や「名プロデューサー」などといわれるゆえんです。自分ひとりでできることはたかが知れている、大きな波は小さな力が集結してできるもの。「皆さまのお力をぜひお貸しくだせぇ」と、堂々と頭を下げられるのが蔦重なのです。
意地や見栄がないわけではありませんが、ここぞというときに周囲を頼り、巻き込む力こそが蔦屋重三郎という出版人の核であり魅力。蔦重が放った「おもしれえもんをつくることをあきらめねぇってことが、黄表紙を守るってこと」というセリフに、せっかちで飽きっぽい筆者はドキッとしました。今年のノーベル生理学・医学賞を受賞した坂口志文さんも、受賞を受けてのインタビューで同じようなことを言っていましたね。
山のような草稿をつくるという蔦重の策に、まず助太刀を買って出たのが勝川春章(前野朋哉さん)と北尾重政(橋本淳さん)。いずれも美人画で名を挙げ、多くの弟子を抱えた絵師です。蔦重が歌麿や京伝の代わりに富本正本を描く絵師を探していた際に名前が挙がった「春朗」は勝川春章の弟子ですが、この人、のちの葛飾北斎なんですよ。 “北斎といえば富士山”が一般的なイメージですが美人画も描いていて、東京のすみだ北斎美術館や出光美術館、箱根の岡田美術館などに素晴らしい肉筆の美人画があります。北斎は美人画や風景画だけでなく、なんでも描けるスーパー絵師。重政に「唐絵に蘭学、なにすっか読めねえヤツ」と言わしめ、蔦重もそこをおもしろがっていましたね。『べらぼう』での登場はなさそうですが、史実を軸に脚色している本作のようなドラマは、こういった小ネタや伏線回収に気づくとおもしろさが倍増します。
【栃木になぜ歌麿の大作が!?】
前々回、栃木の豪商・釜屋伊兵衛(お笑いコンビU字工事の益子卓郎さん)が歌麿に作品を依頼しに耕書堂へやって来ましたね。
庶民のためのお楽しみ絵画である浮世絵は大量生産して安価で販売するため、絵師が描いたものを下絵にして板木をつくり、墨や絵具を用いて摺るいわゆる印刷物。作品ではなく商品ですね。
一方で、印刷ではなく絵師が描いた絵そのものを楽しむのが肉筆の浮世絵。豪商が依頼したのはこの肉筆浮世絵で、一点ものですから大変高値でお買い上げに。注文されて描くとはいえ、作品的要素が強いのが肉筆の浮世絵なのです。
史実では、歌麿は善野伊兵衛という豪商の依頼で「深川の雪」(岡田美術館蔵)、「品川の月」(フーリア美術館蔵)、「吉原の花」(ワズワース・アテネウム美術館蔵)という三部作を描いています。いずれも遊郭での様子を描いた、縦2m、横3.5m近くにも及ぶ浮世絵史上最大の掛軸画。
また、近年には栃木市内の民家およびゆかりの旧家から、歌麿の肉筆画「女達磨図」「鍾馗図」「三福神の相撲図」(いずれも栃木市美術館)が発見されたことも。依頼されると弟子ともども出掛け、現地で大層なもてなしを受けて逗留しながら絵を描き、高額な報酬を得る。畳にへばりつくようないつもの姿勢で、きくの死に顔を描く『べらぼう』の歌麿からは想像がつきませんね。
のちに蔦重の元で美人大首絵を描いて大ブレイクする歌麿ですが、床を埋め尽くすほどの大量のきくの肖像画は、まさに大首絵でしたね。『画本虫撰(えほんむしえらみ)』でとてもリアルな昆虫や植物を描いた歌麿は、子どものころから観察が得意だったとか。立っていても座っていても寝ていても、全身を描くのが日本の人物画。バストアップだけを描くというインパクトに加え、その人物の内面を表すような表情や造作の特徴などが加わったことで、歌麿の美人大首絵は大ヒットするのです。一見大雑把に描かれたように見える大首絵ですが、アップになって初めて表現できることがあったというわけ。歌麿の観察眼が、美人大首絵にも生かされていくのですね。
【江戸の出版事情をおさらい】
自分のやらかしが出版統制に及ぶことになってしまった蔦重が、江戸の出版関係者一同に頭を下げたわけですが、そこに集まったのは本屋(地本問屋)、板木屋、摺師、絵師、戯作者、狂歌師たち。お久しぶりの西村屋(西村まさ彦さん)と鱗形屋(片岡愛之助さん)もいましたね。彼らや蔦重、鶴屋などは地本問屋と呼ばれる本屋で、蔦重のアドバイザー的役割の須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)は書物問屋。「地本問屋」と「書物問屋」、さらには次回放送につながる「本屋株」を、さくっとおさらいしてみましょう。
・地本問屋:「地」は江戸を指し、江戸でつくった娯楽本を「地本(じほん)」といいます。蔦重の耕書堂、鶴屋、西村屋、鱗形屋などはみな地本問屋。地本を出版して販売する、いわば版元(出版社)であり書店というわけ。粋を好む江戸っ子は、ばかばかしいほどおもしろく、皮肉やとんちが効いた娯楽本が大好物でした。江戸中心の狭い流通網で商売をしていましたが、商品自体は里に帰る際のいい江戸土産として地方にも広まりました。
・書物問屋:須原屋が扱う「書物」とは、仏教や儒学、医学に関する本、歴史書や辞書など、江戸とか上方とかといった地域性が関係ない、いわば教科書的な堅い本のこと。流行に関係ない、地道で手堅い商売です。
・株:いわゆる出版権のこと。「板木株」とも言います。一枚ものでも版本でも、木版画での出版だった江戸時代、板木があれば摺って販売することができました。この「板木株」は本屋仲間同士で売買も可能です。
第38回「地本問屋仲間事之始」で、蔦重はてい(橋本愛さん)たちに書物問屋の株を買おうと思っていると打ち明けました。地本の販売は江戸限定ですが、書物は全国流通もの。その株を持っていれば、書物の流通に地本も乗せて売ることができる、と考えたのです。江戸の外では黄表紙や狂歌本がブームになりつつあり、「今だ!」というわけですね。
「江戸の悪所」と呼ばれながら人情に厚い吉原の人々と、おもしろいものをつくることに心血を注いだ出版界の面々。戦闘シーンのない本作ですが、江戸市中の血を流さない戦も、べらぼうにおもしろいのです。
【次回 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第39回「白河の清きに住みかね身上半減」のあらすじ】

地本問屋の株仲間を発足させた蔦重(横浜流星さん)は、改めを行う行事たちをうまく丸め込み、山東京伝(政演/古川雄大さん)作の三作品を『教訓読本』として売り出した。一方、きよ(藤間爽子さん)を失い、憔悴した歌麿(染谷将太さん)は、つよ(高岡早紀さん)とともに江戸を離れる。年が明け、しばらくのあと、突然、蔦屋に与力と同心が現れ、『教訓読本』三作品について絶版を命じられ、蔦重と京伝は牢屋敷に連行されてしまう…。
※『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第38回「地本問屋仲間事之始」のNHK ONE配信期間は2025年10日12日(日)午後8:44までです。
- TEXT :
- Precious編集部
- WRITING :
- 河西真紀
- 参考資料:『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『世界大百科事典』(平凡社)/『杉浦日向子の江戸塾』(PHP出板)/『お江戸でござる』(新潮文庫) :