【目次】
【前回のあらすじ】
第39回「白河の清きに住みかね身上半減」では、鬼のような倹約と出版統制を強行する老中首座の松平定信(井上祐貴さん)と、エンタメの力で権力に抗う蔦重(横浜流星さん)の直接対決が実現しました。一方で、蔦重の母つよ(高岡早紀さん)と妻てい(橋本愛さん)の存在感が光る回でもありました。
前々回からの流れで、地本問屋の株仲間を発足させた蔦重は、本の内容をチェックする行事(責任者)たちを丸め込み、山東京伝(政演/古川雄大さん)作の三作品を売り出します。「好色本を出してはいけない」とする幕府に対し、「好色を書くことで好色を戒めた本である」という屁理屈をこね、袋に入れたうえで「教訓読本」として販売したのです。
年が明けた寛政3(1791)年、「教訓読本」三作品は評判となり、「おとがめなしに逃げ切れそうだ」とほくそ笑む蔦重と京伝でしたが、突然目の前に現れた与力と同心によって、これらの作品は絶版に。さらに蔦重と京伝は牢屋敷に連行されてしまいます。
かつては蔦重を「大明神」と呼び、その創作物を激推ししていた定信です。「どんな人物なのか、自分の目で確認したい」という思いもあったのでしょう。自らお白州(奉行所の取り調べ所)に現れるという異例の対応を見せます。
「近ごろ、『白河の清きに魚住みかねて元の濁りの田沼恋しき」なんて詠む輩(やから)もいるんですよ」
定信のかつての天敵であった田沼意次の名前を出した挙げ句、御託を並べてあおりまくる蔦重は定信の怒りを買い、ついには拷問の憂き目にあうのですが、それでも「自分が本を出すのは越中守さま(定信)のため」とうそぶくのを止めません。
それにしても、まさに怒髪天をつくといった表情の井上祐貴さんの演技には、鬼気迫るものがありましたね!

一方で、きよ(藤間爽子さん)を失った歌麿(染谷将太さん)は、きよの形見の着物をはおったまま、魂を抜かれた抜け殻のよう。「気が向いたら食べとくれよ」と、何も聞かずにおにぎりを差し出すつよに、一瞬、われに返って涙を流す歌麿を、つよは黙って抱きしめます。その姿は、母親のような慈愛に溢れていました。
しばらくして歌麿は、江戸を離れ、栃木に滞在して依頼された肉筆画に取り組むことを決めます。そこにはつよが同行することになったのですが、蔦重に対しては「もう関わりない」と冷淡です。「歌麿とちゃんと話したい」と、つよに仲立ちを頼む蔦重に、「それは自分のためだろう? 歌麿のためじゃなくて、自分の気持ちをわかってもらいたいだけだろ?」と諭すつよ。ここで改めて気付いたのですが、つよ自身は、自分が幼い蔦重を捨てた言い訳を、一度もしたことがありませんでしたね。いつか、つよが自分の心情を語る日は来るのでしょうか。
歌麿が江戸に残していった絵のなかには、あの名作「ポッピンを吹く女」を思わせるものもありました。いよいよ、巨匠・歌麿による「美人大首絵」の誕生も近そうです。
【てい VS 柴野栗山 の漢籍バトル】
今回、蔦重の窮地を救ったのは、妻のていでした。お上に楯突いたのは2度目という状況で、無闇に蔦重の命乞いをすれば、地本問屋だけでなく、絵師や戯作者、職人たちにまで累が及びかねません。そこで、「厳しいお裁きは朱子学の説くところとは矛盾する」という宿屋飯盛(又吉直樹さん)の呟きをヒントに、定信が信頼を寄せる儒学者の柴野栗山(嶋田久作さん)に、ていが嘆願の面会を願い出たのです。
柴野栗山と対峙したていの口から発せられたのは『論語』の一節。ていは幼いころから学んだ漢籍の教養を武器に、栗山の説得を試みます。
「力や刑罰をもって人を従わせようとすれば、人は罪を逃れる道ばかりを探す。徳や教えをもって導いてこそ、人は自ずと罪そのものを犯さなくなる」(『論語』為政第二より)
ていの訴えに、栗山は顔色ひとつ変えずに『中庸』で応じます。
「君子が正しい態度を見せても、愚かな者は遠慮なく好き勝手な行いをするものだ」(『中庸』第二章より)
「許しても改めぬ者を許し続ける意味がどこにある?」と、ていに問うたのです。
この言葉に対し、ていは声高らかに「義を見てせざるは勇なきなり」(『論語』「為政第二より)と返します。蔦重が本を出したのは、女郎の身を案じ、礼儀を守る客を増やしたかったから。「女郎は親兄弟を助けるために売られた孝の者。不遇な孝の者を助けるのは正しいこと」。この事実を見て見ぬふりをするのは卑怯者がする所業。「どうか儒の道に損なわぬお裁きを」と訴えたのです。お見事!
かつて蔦重を「吉原者」と遠ざけたていが、吉原についてここまで踏み込んだ発言をしてくれるとは、驚きました。ビジネス婚として始まった蔦重とていの関係ですが、ふたりは本当の意味でよい夫婦になりましたね。
柴野栗山とていのやりとりを、内容がまったくわかってないふうで見つめていた長谷川平蔵(中村隼人さん)も可愛かったです!
【蔦重と京伝が受けた刑罰は】
果たして、ていの必死の説得が実を結び、蔦重は命を取られずに済みました。「過ぎたるは猶(なお)及ばざるがごとし」という有名な『論語」の一節を用いて、栗山が定信に、蔦重の減刑を助言してくれたのです。
定信が下した処罰は、京伝は「手鎖五十日」、蔦重は「身上半減(しんしょうはんげん)」というものでした。ところが、お白州で心の底から安堵するていと駿河屋の親父さんを前に、なんと蔦重は「(身上半減とは)縦でございますか、横でございますか」と戯(たわ)け、なおも寝言を続けます。
すでに齢41を数える蔦重は、もはや「吉原の若造」ではありません。日本橋に店を構える主であり、多くの責任を負う立場です。その重責や周囲の心配をまったく自覚できない蔦重に、ついにていの怒りが炸裂! 蔦重をぶっ飛ばし、あっけにとられる奉行たちの目前で「己の考えばかり。べらぼうめ!」と拳をふるうていの姿に、「よくやった!」と喝采を送ったのは筆者だけではなかったはず。以前は駿河屋の親父さんの役割を、今やていが担ってくれているのですね。
■「身上半減」とは
さて、蔦重たちが受けた刑罰は、具体的にどんなものだったのでしょう。まず、「身上半減」とは江戸時代の重罰で、「身上(財産)の半分を没収される」ことを意味します。ただし、解釈によっては「一定期間の営業売上の半分を没収される」という意味とも考えられ、具体的なことはわかっていません。
■「手鎖五十日」とは
京伝が課せられた「手鎖五十日」は、庶民に対する刑罰で、30・50・100日の三段階がありました。「50日か〜」と軽く感じるかもしれませんが、その間、前に組んだ両手に瓢箪(ひょうたん)型の手鎖をはめ、錠前を掛けて自宅で謹慎です。錠前には封印紙が貼られ、50日の場合は5日ごとに与力が封印を点検に来たそうです。手鎖がついていては執筆できませんし、日常生活にも大きな支障があったことでしょう。心身共にかなりつらい罰であったと思われます。
■「身上半減の店は、日の本で蔦屋だけ!」

さて、蔦重の「身上半減」については、「べらぼう」では「財産の半分を没収される」説が採用されたようです。売り物はもちろん、現金や板木、調度品の半分を、幕府が召し上げる様子が描かれていました。笑いを誘ったのは、畳に暖簾(鶴屋さんからのプレゼントでした)、品書きの紙に至るまで、すべてきっちりと半分没収されていたこと。杓子定規な裁きぶりには定信の几帳面な性格が表れていましたね! これには、早速冷やかしにきた大田南畝(桐谷健太さん)も大笑い。周囲を取り囲み様子をうかがっている町民たちも、笑いをこらえています。
この光景を見ていた蔦重がピン!とひらめいて筆を走らせたのは、「身上半減の店」の看板でした。「身上半減の店は、日の本で蔦屋だけ!」という売り文句で商売を始めるとは、さすがは転んでもただでは起きない蔦重です。みんなを笑顔にするユーモアがあって、商いは繁盛し、結果的に山東京伝の名も広く知られるように。「エンタメのパワー」を発揮するのは、こういう平和でおもしろいやり方がいいですよね!
どんな受難も喉元過ぎれば…で、すぐに調子に乗って軽口を叩く蔦重を一喝する、鶴屋さん(風間俊介さん)のシーンもよかったですね。かつては目前に立ちはだかる敵であった鶴屋さんが、今では心から信頼できる強い味方に。年齢や経験を重ねても、「つまんない大人にだけはなりたくない」とばかりに突っ走る、蔦重に巻き込まれる周囲は本当に大変ですが、ていさんといい、鶴屋さんといい、本気で叱ってくれる人が周囲にいる蔦重本人は、本当に幸せ者です。なんと言っても鶴屋さん、ぶち切れながらも「そういうところですよ!」という言葉のチョイスに、愛が溢れていました!
【次回 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第40回「尽きせぬは欲の泉」のあらすじ】
身上半減の刑を受けた蔦重(横浜流星さん)は、営業を再開し、執筆依頼のため京伝(政演/古川雄大さん)を訪ねる。妻の菊(望海風斗さん)から、滝沢瑣吉(さきち/津田健次郎さん)のめんどうをみて欲しいと託される。
蔦重は手代扱いで店に置くが、瑣吉は勝川春章(前野朋哉さん)が連れてきた弟子・勝川春朗(くっきー!さん)と喧嘩になり…。蔦重は歌麿(染谷将太さん)の描いたきよの絵から女性の大首絵の案を思いつき、歌麿に会いに栃木へ向かう…。

※『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第39回「白河の清きに住みかね身上半減」のNHK ONE配信期間は2025年10日19日(日)午後8:44までです。
- TEXT :
- Precious編集部
- WRITING :
- 河西真紀
- 参考資料:大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』日曜夜8時 公式「X」/『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『世界大百科事典』(平凡社) :