【目次】
【前回のあらすじ】
「空飛ぶ源内」が第44回のタイトルですが、さて、平賀源内(安田顕さん)は獄中死したはず、これはいったい…?
普段は酒を飲まない源内が酒に酔い、自分の建築設計図を盗まれたと思い込んで人を殺めてしまったのは放送第16回でした。自分の発明が世間に認められず、人間不信に陥り、被害妄想も激しく…という悪循環に陥っていた状態での、狐につままれたような出来事でしたね。
『べらぼう』ではわれに返って自首したのち牢獄で死亡しましたが、史実でも獄中死が一般的な源内先生の最期です。しかし彼の死については「(?)」や「(と言われている)」といった曖昧であるという注釈がつくことも多く、遺体が家族に引き渡されたという事実もないようです。
お墓は友人たちによって浅草の総泉寺に設けられましたが、本当にここに埋葬されているのでしょうか? ちなみにこのお寺は昭和初期に移転していますが、源内先生のお墓はそのまま残され、国指定の史跡になっています。
さて、第44回「空飛ぶ源内」に話を戻しましょう。
吉原の忘八連中も日本橋の本屋街も相変わらずしけた様子ですが、そこへ令和のミュージカル界のプリンス井上芳雄さん…否、特大サイズの凧を背負ったヘンな旅がらすが蔦重(横浜流星さん)を訪ねてやって来ます。駿府(現在の静岡市)から来たという重田七郎貞一というこの男、上方(大坂)で浄瑠璃本などを書いていたらしいのですが、蔦重のもとで本を出したいのだとか。
貞一が書いたものをチラリと読んだ蔦重はすぐにその実力を認めたようでしたが、子どもを死産で亡くし、妻のてい(橋本愛さん)と共に失意のどん底にあって仕事にも身が入らない蔦重は「これだけ書けりゃぁどこででも書いてくれって頼まれまさぁ」と追い返そうとしました。そこで貞一が袖の下(と呼ぶには大きすぎますが)だと持ち出したのが巨大凧。
「これをつくったのは、かの平賀源内!」という大ぼらのような話に、生気を失っていた蔦重が食いつきます。え~っ!?
一方、耕書堂の奥ではろくに食事ものどを通らないていのため、義母のふじ(飯島直子さん)らが、さまざまなお菓子が詰め合わされた重箱を手ずから訪ねていました。「甘味にだけは詳しい」というふじが方々で買い集め、詰め合わせにした“江戸名物菓子の部”なのだとか。そういえば、ふじさんはよく帳場で何やら食べていましたね。子どもは甘いものが好きだろう、亡くなった蔦重の実母つよ(高岡早紀さん)も好きだったからと、仏前にも供えるふじの心遣いにホロリ。
物語の大筋から外れ、登場の機会がほとんどなくなってしまった人物たちの「今」を知れる、放送最終版のこの感じ、筆者は好きです。願わくば、紆余曲折のもと、ようやく蔦重と結ばれたのに姿を消してしまった花の井(瀬川花魁/小芝風花さん)の、その後の姿にも会ってみたいものです。
【蔦重や歌麿に報告したい!ジャポニスムを牽引した浮世絵】
2020年、コロナ禍によって、東京オリンピックの開催は延期を余儀なくされました。この年、オリンピック観戦にやってくる訪日外国人を当て込んで企画されたであろう美術展も、開催延期や中止が相次いだわけですが(海外からやって来た大量の出陳作品が、展覧会中止にもかかわらず本国へ戻すこともできず…なんていう事態も発生しました!)、そんななかで予定通り開催されたのが東京都美術館での「The UKIYO-E 2020」でした。
浮世絵が国外で鑑賞の対象として公にお披露目されたのは、1867年のパリ万博。日本が初めて参加した万国博覧会でのことです。浮世絵は“ジャポニスム”という芸術ムーブメントの発端となり、特に19世紀末の欧米の芸術家に大きな影響を与えました。
クロード・モネは自宅の池に日本風の太鼓橋を架けましたが、これは歌川広重の名作シリーズ「名所江戸百景 亀戸天神境内」を参考にしたといわれています。ポスト印象派のフィンセント・ファン・ゴッホも、同シリーズの「亀戸梅屋舗」や「大はしあたけの夕立」を模写。ゴッホが浮世絵を模写ですよ!ゴッホの 代表作のひとつである肖像画「タンギー爺さん」では、背景に花魁を描いた浮世絵(と思われる)が飾られています。フランスの作曲家、クロード・アシル・ドビュッシーは、交響詩「海」の制作に、葛飾北斎の超傑作「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」にインスピレーションを受けたのでは、ともいわれています。楽譜の表紙は「神奈川沖浪裏」を模したイラストが使われています。
こうして木版画による浮世絵は、絵柄はもちろん、彫りや摺り、保存状態のいいものが美術商たちによって海外に渡り、熱心なコレクターが出現。蔦重プロデュース、歌麿画の美人大首絵「婦人相学十躰(婦女人相十品)」など、美術館に納められた品もあります。
かけそば1杯程度の値段で買える庶民の楽しみとしての“商品”だった木版画の浮世絵が…ですよ! このことを蔦重や歌麿、日本橋の版元や絵師たちが知ったら、さぞかし驚き、誇りに思うことでしょう。「蔦重~、歌麿は世界が認める絵師になりましたよ~!」
【「平賀源内生存説」に期待!】
■「相良凧」にも『解体新書』にも源内先生が…
今回の放送で、芝居がかった旅がらすの貞一が差し出したのは「相良凧(さがらだこ)」。静岡県牧之原市相良に伝わる伝統的な凧で、平賀源内が考案したともいわれているものです。
田沼意次(渡辺謙さん)が築城したこの地では、江戸中期から初の男児誕生時にはそれを祝って端午の節句に凧を揚げる風習がありました。「相良凧」はホームベース型で尾がないという特徴のほか、ガラスの粉を練り込んだビードロ糸を使用。手元の糸を操作して左右上下に宙返りさせることができるという類のない構造で、強靭な糸で相手の糸を切り落とす凧合戦も盛んに行われたのだとか。いかにも“発明家・平賀源内”が考えそうではありませんか。これが「獄中死ということにして、実は意次が源内を相良に逃がしてかくまった」という説を生みました。
さらに蔦重とていの推理は、あの『解体新書』にもヒントを得ていました。
『解体新書』は源内の親友だった蘭学医の杉田玄白(山中聡さん)が書いた解剖学書ですが、秋田藩士にして画家の小田野直武が挿絵を担当しています。直武は源内から洋画を学び、秋田蘭画と呼ばれる一派を形成した画家。
この小野田直武は源内が死んだ翌年に不審死しています。ふたりの推理は、小野田は源内をかくまい逃したかどで抹殺されたのでは、というもの。秋田ならば…と、あの方に文を書きました。返信を持参して上京しちゃった“あの方”とは、まーさんこと朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)。そうそう、まーさんにも会いたかった!
大田南畝(桐谷健太さん)が預かっていた、源内が描いたと思われる油彩の女性像も登場しましたね。これは「西洋婦人図」という作品で、作者は「伝平賀伝内」となっており、現在は神戸市立博物館が所蔵しています。
■ラスボスはいかに退治されるのか!?
耕書堂の店先に置かれていたという草稿『一人遣傀儡石橋(ひとりづかいくぐつのしゃっきょう)』で、蔦重は源内の生存を確信しました。先代の徳川将軍家治(眞島秀和さん)の嫡男・家基(奥 智哉さん)は鷹狩りの際に急死しましたが、これは、その謎と犯人を解明する物語です。「これを書けるのは源内先生しかいない!」と蔦重が向かった先で待っていたのは、政(まつりごと)からまんまと排除された松平定信(井上祐貴さん)、火付盗賊改方の長谷川平蔵(中村隼人さん)、意次が老中だった当時の側近・三浦庄司(原田泰造さん)、意次の大奥で総取締役を務めていた高岳(冨永愛さん)、儒学者の柴田栗山(嶋田久作さん)でした。
家基と家治亡きあと、自分の息子・家斉(城桧吏さん)を11代将軍に押し上げたのが、一橋治済(生田斗真さん)。“傀儡好きの大名”を真犯人に描く『一人遣傀儡石橋』は、「平賀源内生存説」と「ラスボス=治済」を成立させるために必要だったのです。ちなみにこの戯曲は『べらぼう』オリジナルのようですが、俄然読んでみたくなりました!
さて、「宿怨を越えてわれらと敵を討とう!」という定信の誘いに、蔦重は乗るのでしょうか?
そして次回予告の「しゃらくせぇ」「しゃらくさい」「しゃらく!」に、いよいよ来たか~と期待したのは筆者だけではないでしょう。蔦重のもうひとつの大仕事、“写楽”はいかに描かれるのか。いよいよ本当に大詰めです。
【次回 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』 第45回「その名は写楽」のあらすじ】
定信(井上祐貴さん)らに呼び出された蔦重(横浜流星さん)は、傀儡(ぐぐつ)好きの大名への仇討ちに手を貸すよう言われる。芝居町に出向いた蔦重は、今年は役者が通りで総踊りをする「曽我祭」をやると聞き、役者の素の顔を写した役者絵を出すことを思いつく。蔦重は、南畝(桐谷健太さん)や喜三二(尾美としのりさん)らとともにその準備を進めていくが…。
一方、歌麿(染谷将太さん)は、自分の絵に対して何も言わない本屋に、苛立ちを感じていた…。
※『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第44回「空飛ぶ源内」のNHK ONE配信期間は2025年11日23日(日)午後8:44までです。
- TEXT :
- Precious編集部
- WRITING :
- 河西真紀
- 参考資料:『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~ 完結編』(NHK出版)/人生40 年の世界:江戸時代の出生と死亡(https://minato.sip21c.org/humeco/anthro2000/kito.pdf) /『お江戸の結婚』(三省堂) :

















