【目次】

沖縄県誕生の日とは?いつ・どのような日か

■4月4日は「沖縄県誕生の日」

1879(明治12)年4月4日、明治政府は廃藩置県の流れで琉球藩を廃止、沖縄県の設置を全国に布告しました。これが「沖縄県誕生の日」の由来です。

■なぜ「記念日」として語られるのか?

全国47都道府県のなかでも、沖縄は独自の歴史をたどってきました。もともと琉球王国として成立していた沖縄は、1872(明治5)年に「琉球藩」とされ、さらに1879(明治12)年のいわゆる「琉球処分」によって「沖縄県」が設置されます。これは、王国としての体制から日本の近代的な地方行政制度へと移行した、大きな歴史的転換点でした。こうした経緯から、沖縄にとって重要な節目として、「沖縄県誕生の日」として語られることがあります。


沖縄県誕生の背景にある「歴史」

ここで沖縄の歴史をさくっとおさらいしておきましょう。

■琉球から沖縄へ

現在の沖縄県はその昔、尚巴志(しょうはし)という人物が各地の有力者をひとつにまとめ、琉球と呼ばれた王国として統制されていました。国の基本は貿易と農業と考えた尚巴志は、旧那覇港を門戸とする首里を政治の中心とし、それまでの首里城を拠点に統一を進め、増築・拡大。その際、土を盛って花や木、薬草を植え、龍潭(池)を掘って魚を放ったのだとか。当時の那覇港は中国や日本、ポルトガルなど海外から運ばれた物品や外国人であふれていました。

ところが1609(江戸時代の慶長14)年、琉球は薩摩藩からの侵攻を受けることに。それは、日本文化の影響を受けて琉球がさらに特色ある文化を育てることに繋がります。

そして1879年、約450年続いた琉球は解体され沖縄県が誕生したのです。

■沖縄戦と日本復帰

太平洋戦争末期の1945(昭和20)年3月、アメリカ軍が沖縄本島に上陸し、激しい地上戦が展開されました。一般住民を含む多くの人々が犠牲となり、その数は約10万人以上ともいわれています。

終戦後、沖縄はアメリカの統治下に置かれ、米軍基地が集中して建設されました。

1952(昭和27)年のサンフランシスコ平和条約により日本は主権を回復しますが、沖縄は引き続きアメリカの施政権下に置かれ、本土との往来にはパスポートが必要な時代が続きます。

1972(昭和47)年5月15日、沖縄は日本に復帰しました。この背景には、住民による祖国復帰運動の高まりに加え、国際情勢の変化などがありました。復帰後も米軍基地は存続し、現在に至るまで沖縄の重要な社会課題のひとつとなっています。

■首里城の再建

2019(令和元)年10月31日の未明に起こった首里城火災。正殿をはじめとする8棟が焼失したショッキングなこの火災は記憶に新しいでしょう。政府と沖縄県は、2026(令和8)の正殿完成を目指し、再建工事を進めています。

今回の再建の大きな特徴は、復元事業そのものを公開するという「見せる復興」。巨大なプレハブを建て、その中での再建工事作業の様子を、見学通路から間近に見ることができます。「沖縄県誕生の日」を迎えた2026年4月は、彩色や塗装、設備・外構工事といった仕上げの段階。完成は秋ごろとのことです。


琉球王国から沖縄県へ――時代の移り変わり】

ここで再度、琉球王国から沖縄県への移り変わりを整理します。

■琉球王国

長らく独立した王国であり、中国(清)と日本の薩摩藩の両方に属する「両属」の状態にありました。

1425(室町時代の応永32)年2月1日に、中国・明王朝が尚巴志(しょうはし)を琉球国王として認定したとする書簡が残っています。これが「琉球王国」が対外的に認定された日で、沖縄県観光事業協同組合が2月1日を「琉球王国建国記念の日」としています。

■琉球藩

1872(明治5)年、明治政府は琉球王国を「琉球藩」とし、当時国王だった尚泰(しょうたい)を「琉球藩王」に封じました。

■沖縄県

1879年、明治政府は中国(清)との関係を断たせ、琉球を地方行政制度に組み込むため、軍隊・警察を投入して琉球王宮である首里城の明け渡しを命じます。琉球藩はこれに屈して尚泰は臣下とともに退城、長く続いた王国の歴史に終止符を打つことに。これを歴史的には廃藩置県における「琉球処分」と呼び、これにより正式に「沖縄県」が誕生しました。


沖縄県誕生の日に思いを寄せる過ごし方】

「沖縄県誕生の日」に、沖縄やその歴史に思いを寄せる過ごし方をいくつかご提案しましょう。

■沖縄関連の記事や番組に注目する

4月4日の「沖縄県誕生の日」の前後には、沖縄関連のニュースや番組を新聞やテレビなどで目にするかもしれません。テレビやラジオは改編時期でもあり、4月中旬まで特番が放送されることも多いですね。

首里城の再建については、QAB琉球朝日放送で「復興のキセキ」という番組が定期的に放送されています。

■沖縄料理を食す

ゴーヤチャンプルーやソーキそば、沖縄版豚の角煮ラフテー、炊き込みご飯のジューシーなど、沖縄料理はいかが? タコスやタコライスもいいですね。沖縄料理店に行くのよし、手軽につくることができる「素」やレトルト食品を利用してもよし。沖縄料理はずいぶん一般的になってきました。

沖縄の食は「ヌチグスイ」といわれます。これは「命の薬」という意味。飲食によって心身を整えるという、沖縄の食文化について調べてみるのもいいですね。

■沖縄音楽を聴く

最も手軽に沖縄に触れることができるのが音楽かもしれません。ストリーミングサービスを利用すれば、気軽に楽しむことができます。

HYやBEGIN、Awichさん、夏川りみさん、、上江洌みやさん、佐久間龍星さんなどの楽曲に触れてみてはいかがでしょうか。


【沖縄の文化と今に続く魅力】

歴史的背景と豊かな自然が育んだ沖縄の文化。最後にその魅力の源について触れておきましょう。

■歴史がつくった「チャンプルー文化」

琉球王国として、中国や東南アジア、日本などと交易を行ってきた背景から、沖縄の文化は単一ではなく、異なる文化を取り入れながら発展してきた独自のスタイルを特徴としています。中国的要素が色濃く残る建造物や琉装などにも、その影響を見ることができます。

こうした性格は、しばしば「チャンプルー文化」と表現されます。沖縄県の資料でも、琉球文化はさまざまな外来文化を受容しながら発展してきた国際性豊かな文化であり、その特徴が「チャンプルー文化」と呼ばれているとされています。

また、「チャンプルー」とは野菜や豆腐などに肉を取り合わせて油で炒める沖縄料理を指し、異なる素材を組み合わせることから、こうした文化的特性のたとえとして用いられています(沖縄県資料/「おきなわ物語」より)。

多様な要素を受け入れながら育まれてきたこの文化的背景こそが、沖縄の魅力のひとつといえるでしょう。

■自然と神への「畏敬の念」

自然の岩や森を「御嶽(うたき)」として崇拝し、海や風も神聖なものとして捉え、先祖を敬う。沖縄文化の根底には、見えないものへの畏敬の念や深い敬意があるのです。

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■民藝運動家に認められた「暮らしに宿る美」

大正末期から昭和初期にかけて興った民藝運動。思想家の柳宗悦や陶芸家の濱田庄司らが中心となり、日々の暮らしのための健やかで美しい道具を「民藝(民衆的工芸)」と提唱しました。柳たちは全国を巡り、名もなき職人がつくる日用品に民藝としての価値を見出しましたが、沖縄を訪れた際、「沖縄こそが美の宝庫である」と感嘆したとか。やちむん(焼物のこと)や琉球ガラスの食器類を使っているという人もいるかもしれませんね。花織や紅型染、琉球漆器なども素敵です。

■強い絆「ゆいまーる」

沖縄の言葉で「助け合い」を意味する「ゆいまーる」。家族や友人だけでなく、地域や職場などのコミュニティで支え合う意識が強いのが沖縄の人々ですが、旅行者や移住者などの来訪者にも心開かれているのが沖縄の温かさなのです。

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豊かな自然、異国情緒、そして独自の文化が息づく沖縄。2025年夏には大自然を舞台にしたテーマパーク「JUNGLIA(ジャングリア)」も開業し、旅先としての魅力はさらに広がりを見せています。

「沖縄県誕生の日」は、こうした多彩な魅力の背景にある歴史にも、静かに思いを巡らせるきっかけとなる日かもしれません。

この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
参考資料:『デジタル大辞泉プラス』(小学館)/『世界大百科事典』(平凡社)/『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)/沖縄県庁( https://www.pref.okinawa.lg.jp/ )/首里城公園( https://oki-park.jp/shurijo/ ) :