
「企画力、マネジメント、発信力などを培ってきた」(関谷葉子さん)
――モータースポーツ界はF1が発足した1950年代より長く男社会でした。女性レーサーだけが競う『KYOJO CUP』は、世界初とも言える革命的な取り組みです。関谷葉子さんは、ディレクターとしてどのように取り組んできたのでしょうか。
まず、私がモータースポーツ界の“身内”として、業界全体を知っていることが大きいと思います。関谷と結婚したのは1987年、夫が37歳、私が26歳の頃です。振り返るともう40年近くもレーサーの妻をやっているのですね……現役期間はレースに帯同していましたし、夫が2013年に『インタープロトシリーズ』というレースを立ち上げた後から今までずっと、開催運営やイベント企画、お金の管理から女性ドライバーのケアなどのサポートしています。
――葉子さんは、レース界の考え方やルールがわかっている。
この世界の考え方や暗黙のルールなどは、長い時間をかけて私の中に染み込んでいったと思います。それに私は結婚する前から、レポーターやイベントプロデュースの仕事を続けてきたことが力になっています。ディレクターに必要な企画力、予算・スケジュール管理、発信の方法などを培える環境で仕事をさせていただいていたのです。
今、夫が持つ豊かな知見と「女性が輝く世界をモータースポーツの中に作る」という理念を、私が言葉と行動力で広めています。これは私が2014年から『富士山GOGOエフエム』という地元に密着したラジオ放送局を立ち上げ、経営している経験が生きています。
私はここでもパーソナリティとして、週2回の生放送、行政との連携番組の制作などを担当しています。その他の番組の運営、経営戦略、営業までなんでも担当しているので、まさに”よろずや”といった状態ですね。
――KYOJO CUPと関谷正徳さんのサポートだけでも大変なのに、FMラジオ会社経営と現場の仕事をマルチにこなしているとは……
ほかにも地元の静岡県立高等学校の非常勤講師、自治体の各運営委員や講演活動などもあり、1日24時間では足りないな、と感じながら動き回っています。周りからしょっちゅう「葉子さんは止まると死んじゃうね」といわれているんですよ(笑)。
この生活の全ては、24歳の七夕の日に関谷との出会ったことから始まりました。私の後輩が、レース関係の方と交際しており、富士スピードウェイに一緒に行き、関谷を紹介されたのです。当時、関谷は速いのに勝利になかなか手が届かないという、歯がゆい立場にいたレーシングドライバーでした。
26歳で結婚し、一緒に暮らし始めてからレーサーは体が資本だと痛感します。以降は、当時、重視されていなかった食事管理やマッサージなどを学び、生活に取り入れるように。プロテインやビタミンの摂取方法なども独自に研究し、心身両面の土台を築いていったのです。
海外の選手に比べて、体が細いことに気づき、自宅にトレーニング環境も整えました。現役時代は、関谷がレースに集中できる環境を整えながら2人の子供を育てていましたが、子育てよりも関谷の仕事を最優先する生活でした。やはりこれは、レースが常に危険と隣り合わせの世界だから。この39年の間には大切な友人がレースで命を落とし、私たちは残された家族の皆さんと共に、言葉にならない悲しみも乗り越えてきました。
この、時間の連なりの中で、生きることの大切さを繋いでいきたいという強い思いが、現在の活動の原動力になっています。
「”言うべきことは、関係性ができてから伝える”これがマネジメントの要」(関谷葉子さん)
――葉子さんのマネジメント能力は、歳月と経験の中で培われている。
妻業も母業もマルチタスクが基本なのですよね。私がマネジメントで大切にしているのは、皆がやるべき責務をしっかりと果たせるように、見守ることです。
約束や時間を守る、やるべき義務を果たすなど、基本的なことができていれば、競技力も人間力も磨かれていきます。実際、基本的なことを守り続けることは難しい。ただ、基本を大切にすれば、その姿勢は態度として現れてきますし、レース界にある女性への偏見も変わっていきます。それはやがて選手と観客双方が楽しめる場につながっていくと思うのです。この目に見えない連鎖をよくレーサーたちにも伝えています。
――KYOJO CUPのレーサーたちの毅然とした美しさ、観戦の楽しさの答えをいただいたような気持ちです。
組織の運営は、OKとNGの線引きを明確にすることだと思うのです。もちろん、「ルールに従ってください」では、魅力ある組織になりませんし、人も育たない。現場で働いている人の本音を聞き、それぞれの性格に応じて、アドバイスをしたり、声を掛けたりしています。
女性同士の人間関係の特徴として、横のつながりを大切にするという傾向があります。まず大切にしているのはお互いの関係作りです。ここで気を付けているのは、言うべきことは、関係性ができてから伝えること。言葉が届く関係になる前に、こちらの要望を伝えてはハラスメントになってしまいますから。
最初は摩擦があるかもしれませんが、この過程で互いの信頼関係が築かれていくと同時に、プロ意識も育っていく。これは、数ヶ月でできることではなく、長い時間かけて培われていくもの。夫婦関係と似ているかもしれません(笑)。
相手の気付きを促すためには、知識や考え方を伝えるほかに、自分で自分を育てる意識を作らねばなりません。私自身もコーチングを学び続け、KYOJ CAPのレーシングドライバー、スタッフの皆さんと一緒に成長していきたいと考えています。
――夫婦で事業を育てることは難しいものです。危機的な状況などにはならなかったのでしょうか。
お互い、「女性が輝く世界をモータースポーツの中に作る」というヴィジョンを共有し、そこに向かって進んでいますから、多少のケンカはあっても深いところでがっちりと握手をしています。
ただ、夫が現役時代は、とにかく夫が最優先でワンオペ育児をしていました。夫がまだ現役時代、私が38歳の時に、黄色靭帯硬化症という指定難病を発症したのです。これは背骨の靭帯が骨化して神経(脊髄)を圧迫し、主に下肢のしびれや歩行障害を引き起こすという病気で、医師から「下半身不随になりますよ」と告げられるほど深刻でした。
この原因は、最初は何からかわかりませんでした。ただ、結婚から12年間、「私がやらねば!」と常に気を張っていましたから、体までもがカチカチに固待ってしまったのでしょうね。でも、病気になり、体や痛みと向き合ううちに、痛みには波があり、耐えられないほどの時もあれば、全く症状が出ないことに気づきます。そのうちに、痛みが出るのはストレスがある時だとわかったのです。
その時、この病気は自分で治せると確信しました。自分のものの考え方がストレスを引き起こしていると直感し、夫に「私は性格を変えます」と宣言。薬や治療に頼るのではなく、心と向き合い「ストレスを感じない生き方」への学習に長期で取り組むうちに、症状が出なくなっていったのです。
やがて夫婦や家族関係も変わっていきました。今のように本音で話すことができる関係ができていたから、夫婦二人三脚でKYOJO CUPを運営できているのではないかと思うのです。
ただ、最近は明らかにオーバーワーク。私の手帳やPC周りは付箋だらけですしね。ただ、2025年の年末に、過労から肺炎になってしまってから意識が変わりました。この時、業務が止まり多くの人に迷惑をかけてしまったのです。これを反省し、 自分に頼り過ぎることを辞めました。2026年のテーマは「人に任せること」。無理をしながら頑張ることはやめました。
思えば、私は「ゼロからイチを作ることが好き」なのです。夫の夢を叶えることは、女性の活躍、社会価値の創出、交通事故を減少させるという私の願いでもあり、これは、世の中を変えることにもつながっていきます。今後も持てる力を出し切って、モータースポーツ界の発展に貢献していきたいと考えています。
これからKYOJO CUP注目度が高まるほど、多くのタスクが降りかかってくるはずでしょう。葉子さんは「逆境は成長の糧ですし、人は死ぬまで成長します」と言います。強い責任感と持続可能性を見据えた思考、広く深い心は、今、リーダーの人も、これからなる人も多くの学びがあるのではないでしょうか。
- PHOTO :
- 古谷利幸
- HAIR MAKE :
- 中嶋洋輔(Perle)
- WRITING :
- 前川亜紀

















