【目次】

「花袋忌」とは?「意味」「由来」「いつ」「なぜ」を簡潔に解説

■5月13日は「花袋忌」

明治から昭和にかけて活躍した小説家、田山花袋の命日を「花袋忌」として故人を偲ぶ日。花袋は1930(昭和5)年5月13日、咽頭がんのため死去しました。

14歳まで過ごした群馬県館林市に開設された「田山花袋記念文学館」は、毎年この「花袋忌」に無料開放し、展示説明会などを行っています。


「田山花袋」とは?生涯と代表作をわかりやすく紹介】

■苦労の少年期

1871(明治4)年12月13日、群馬県館林に生まれた田山花袋(本名は録弥<ろくや>)。旧館林藩士だった父は1874年(明治7)に警視庁巡査となって上京、5年後に花袋も母とともに父の許で暮らすようになりましたが、翌年父は西南戦争に従軍して戦死、家族は館林に戻ります。

家系を支えるため小学校の学業なかばで東京・京橋南伝馬町の有隣堂書店の丁稚になったり、館林で復学したりと幼少期から苦労を重ねながらも、儒学者に漢詩文を学び、日本初の子ども向け投稿雑誌『穎才新誌 (えいさいしんし) 』に和歌や漢詩を投稿しました。

■出会いの青年期

1886(明治19)年、兄が修史局(明治初年に設置された政府の歴史編纂所)に勤めたのを機に一家で東京・牛込に移住。花袋は大学予備門(東京大学の前身)に通う同藩の野島金八郎に英語を学んだことで西洋文学に触れます。1889(明治22)年ごろより歌人の松浦辰男の「紅葉会」に入門。写実主義的な文学姿勢に影響を受け、軍人や政治家志望から文学の道へと転換、同時に小説の習作を試みるように。2年後には小説家・尾崎紅葉を訪問し、大衆文学の先駆者といわれる江見水蔭(えみすいえん)の門下になり、文壇的処女作である『瓜畑』(筆名は古桐軒主人)を発表します。以降しばらくは、「明治文庫」「読売新聞」「文芸俱楽部」などのジャーナリズムで活躍します。

1894(明治27)年、花袋は文芸誌『文学界』の創刊に携わった島崎藤村と交わり、ふたりは生涯を通じて親しく付き合うことに。

■「自然主義文学」の確立

1907(明治40年)、自身の弟子への執着を赤裸々に描いた『蒲団(ふとん)』を発表。虚飾を捨て、自己の醜さや欲望をありのままにさらけ出す手法で書かれたこの作品は、日本の「自然主義文学」の方向性を決定づけるものになり、文壇に大きな衝撃を与えました。

■代表作

・『蒲団』:1907(明治40)年発表。中年作家が弟子の女性に惹かれ、嫉妬し、彼女が去った後にその蒲団に顔を埋めて呻くという、人間の内面を赤裸々に描いた作品。「小説は、理想ではなく真実をさらけ出すもの」という衝撃を与えました。

・『田舎教師』:1909(明治42)年発表。実在した小学校教師の青年をモデルに、志を持ちながらも田舎の閉塞感の中で孤独に死んでいく姿を、徹底した伝聞調査をもとに描いた作品。理想と現実のギャップに悩む青年の悲哀は、当時の若者から絶大な共感を得ました。

・『生(せい)』:1908(明治41)年発表。『妻』『縁』へと続く三部作の第一作。小市民家庭の老母の死の前後を中心に、その子どもたちの生活と相克する感情を描いた自伝的小説で、避けられない運命や家族という逃れられない絆を、一切の感傷を排除した「平面描写」という手法で淡々と描き、日常をありのままに記述する花袋流のリアリズムが結実した作品。

・『時は過ぎゆく』:1916(大正5)年発表。明治維新から大正初期の約半世紀の時代の移り変わりを背景に、平凡な男の半生を淡々と描いたもの。激しい情熱や欲望が消え、静かに時間が流れていく様子を描いた、晩年の花袋の境地を示す心境小説的な作品で、自然主義の露悪趣味を通り越し、人生を静かに見つめる日本人特有の「無常観」や「悟り」を感じさせる名作と言われています。

■「紀行文の名手」「旅行作家」としても活躍

「自然主義文学」や「私小説」の作家としての顔だけでなく、彼は日本を代表する紀行文家でもありました。27歳から40歳まで在籍した当時最大手の出版社・博文館で働きながら、全国を網羅するガイドブックや紀行文を大量に執筆したことは、小説家・田山花袋以上には知られていないことかもしれませんね。


 「自然主義文学」とは?花袋が与えた影響

19世紀フランスの小説家、エミール・ゾラが提唱した「自然主義文学」。これは、人間も生物の一部であり、遺伝や環境によって行動が支配されるという科学的な視点で観察し、ありのままに描こうとしたものです。花袋が確立させた「日本の自然主義文学」には独自の解釈が加わったため、ゾラのものとは異なりました。

その特徴や、文学界に与えた影響をご紹介します。

■日本の自然主義文学

  • 「美しさ」や「正義」ではなく、「真実」を直視した文学です。

  • 他者には隠しておきたい醜い部分や欲望、情けない感情などをさらけ出す「露悪」な描写や、派手な演出や技巧に頼らず、見たまま、感じたままを客観的に記述する「平面描写」が特徴です。花袋の『蒲団』によって広く知られるようになったとされています。

■花袋が文学界に与えた影響(1)「私小説への道筋」

『蒲団』で自分の弟子への恋着を赤裸々に綴ったことで、「作家が自分自身の生活や内面を偽りなく告白することこそが、最も価値のある文学である」という価値観が定着。日本文学の特徴のひとつである「私小説(わたくししょうせつ)」というジャンルにつながる流れを決定づけました。

■花袋が文学界に与えた影響(2)「文体と描写の革命」

花袋以前の文学は、格調高い言葉やドラマチックな展開を重視していましたが、花袋は身近な風景や日常の何気ない光景を、感情を抑えて精密にスケッチする「平面描写」という手法を広めました。この「冷徹な観察眼」が、現代のリアリズム小説の基礎となっています。

■花袋が文学界に与えた影響(3)「私生活をさらけ出すという強迫観念」

花袋の「自然主義文学」が世の中に受け入れられて以降、小説家の価値は「どれだけ自身をさらけ出せるか」ということに。島崎藤村や志賀直哉をはじめ、多くの作家を「実生活を露呈しなければ小説が書けない」と苦悩させることにもつながりました。

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  • いま人気のエンターテインメント性の高い作品とは異なる、明治時代から昭和前期にかけての小説。 だからこそ、いま読むと新鮮でおもしろいかもしれません。「花袋忌」をきっかけに、代表作を読んでみては?

  • 紀行文家としての花袋の集大成とされる『日本一周』や、温泉地をレビューした『温泉めぐり』なども、旅行シーズンのいまおすすめです。

この記事の執筆者
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参考資料:『デジタル大辞泉』(小学館)/『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)/警視庁( https://www.npa.go.jp/bureau/soumu/ishitsubutsu/otoshimono/index.html ) :