【目次】

【第20回のあらすじ】

「織田家を守るには、こうするよりほかになかったのじゃ!」――天正5(1577)年、上杉攻めとして出陣した手取川の戦いで総大将の柴田勝家(山口馬木也さん)と衝突し、勝手に引き揚げてしまった羽柴秀吉(池松壮亮さん)。第19回の最後のこのシーン、ぼんやり日本史の授業を受けていた人は「こうするよりほかに…ってどういうこと?」と思ったことでしょう(筆者です)。

ざっくり解説するとこんな感じ。

絶対的主君である信長(小栗旬さん)が嫡男・信忠(小関裕太さん)に家督を譲ったことで、家臣のなかで政権争いや分裂が起こりかねないと思った秀吉。その論理は、自分が家臣のなかで圧倒的な主導権をもって織田家の自滅を防ぐのだ、ということなんですね。

増水した手取川を渡って上杉軍に攻め込む危険性や、救援に行く七尾城はすでに陥落していて進軍は敵の罠に飛び込む行為――と説いても、勝家は聞く耳をもちません。結局、勝家率いる織田勢は手取川を強行進軍したところで上杉軍の奇襲を受け大敗、秀吉が心配した通り半数以上の兵を失いました。

とはいえ、軍律の厳しい織田家での秀吉の勝手な行動は即処刑に値する大罪です。総大将に逆らったということは、信長の命に背いたも同然。勝家を説得できなかったことや、この戦に自分が参戦していても負けていただろうと言う秀吉に、「おぬしはいてもいなくても同じということか…………では死ね」と、信長、怖すぎます! でも、その場での討ち首や切腹を言い渡されなかったことに一筋の光、というところでした。

(C)NHK

結果、羽柴家の女たちによって集められた、秀吉・小一郎の家臣たちによる信長への忠誠の証しとしての起請文(偽り・背任のない旨の誓いの文句を書いた文書)と、タイミングよく起こった松永久秀(竹中直人さん)の裏切りにより、秀吉の首はつながりました。今回の失態に目をつむる条件は、久秀が再び信長の元にひざまずくよう、奴が最も心を許しているお前たちで説得せよ、ということ。

しかも、「あやつの持つ茶器のなかで最も価値のある平蜘蛛を差し出させろ!」ということでした。

さて、今回のサブタイトルは「本物の平蜘蛛」ですが、いったい平蜘蛛とは…!? それはのちほど解説しましょう。

久秀が籠城する信貴山城を包囲した織田勢。その陣内でイライラしていたのは、スキンヘッドが素敵な筒井順慶(永沼伊久也さん)です。彼は信長から大和国の統治を任された、松永久秀とはライバル関係の武将です。彼としてはとっとと久秀の首を捕ってしまいたいところなのに、再び配下に置とうとするとは、そりゃイラつきますよね。しかも信長の狙いは茶器(平蜘蛛のことです)だとは!

「降伏」と「平蜘蛛の献上」というふたつの命をもって、久秀の説得にあたった秀吉と小一郎。大和国を自分ではなく順慶に任せたことに久秀は納得いきませんが、その訳が「若さ」だと知った瞬間に見せた表情、見逃しませんでしたよ。さすが竹中さんです、うまいっ! この当時、久秀は67歳の老人、順慶は28歳の働き盛りですから、先のことを考えたら順慶が正解。信長が久秀を生かしておく理由はただひとつ、彼の名茶器なのです。

久秀が大和にこだわった訳は、そこに埋まっているという金銀財宝でした。三好家を乗っ取り、将軍義輝を暗殺し、東大寺大仏殿を焼き払った(いずれも諸説あり)という「三悪事」で知られる久秀ですが、まぁなんて欲深いこと――と思ったら戯言なの!? 実際に、出自など久秀のプロフィール的なことは謎に包まれています。

『豊臣兄弟!』では贋作づくりを生業とする父が側女(そばめ)に産ませた子で、自分も「父につくられたまがいものじゃ」と。卑賎の子と蔑まれ、いつか本物になって見返すことが生きるモチベーションだった自分を、まがいもの扱いしなかった三好長慶こそ本物の父だと慕った久秀。その父から初めて任されたのが大和の地なのです。御仏と神々の威光に満ちた大和を治めることが、自分が本物である証しなのだ――は、嘘なの? 誠なの!?

(C)NHK
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さて、秀吉と小一郎(仲野太賀さん)の説得の可否は、「ふたつの平蜘蛛のうち本物を見分けよ」という久秀からのお題クリアに懸かりました。さぁ、知恵者・小一郎の腕の見せ所、「わかった、こっちがまがいものじゃ」と、ひとつを投げ壊そうとします。はい、そうです。これが偽物なら壊すのみ、本物なら久秀が止めに入るはず。案の定「やめろ!」と止めに入ったほうが本物…でもなかった? のでしょうか?

止めに入った「平蜘蛛」は久秀の実父の作であり、実はどちらもまがいもの。『豊臣兄弟!』では、結局久秀は本物を手に入れることができなかった、という脚本でした。「千秋万歳、万々歳」と唱えながら死に至る久秀の最期もお見事でしたね。


【信長が欲しがり久秀が手放さなかった「平蜘蛛」とは?】

■一般名称としての「平蜘蛛」

第20回放送をご覧になった方ならおわかりと思いますが、口が広くて丈の低い、羽のある平たい形状の茶釜(茶の湯で使用する鋳物の釜)を「平蜘蛛(ひらぐも)」あるいは「平蜘蛛釜」と言います。茶釜の名産地だった下野国佐野(現在の栃木県佐野市)の天明(てんみょう)で製作されたため、「古天明平蜘蛛」とも呼ばれました。

■松永久秀の「平蜘蛛」が特別なワケ

なかでも最高峰の名器として知られていたのが、松永久秀秘蔵の「平蜘蛛」。なぜならこの茶釜は、もとは室町幕府8代将軍の足利義政のコレクション「東山御物(ひがしやまぎょぶつ)」のひとつだったから。当時の文化の最高峰であり、権力の象徴でもあった足利将軍家が認めたブランド品という、由緒正しいお墨付きだったのです。

■信長と久秀にとっての「平蜘蛛」の価値

戦国時代、家臣たちは命がけで戦った報酬として、手柄に応じた褒美を授かりました。最大の恩賞は領地(土地)ですが、戦が繰り返されるほど分け与えられる領地は足りなくなっていきます。そこで考えたのが、領地に代わる、いや、領地より価値をもつ褒美としての茶道具です。

戦国時代と茶の湯は密な関係です。茶室では密談が行われ、茶会はお宝(茶道具)を披露して当主の力を見せつける場、ともいえます。信長は茶の湯を政治の“最高峰の道具”としてプロデュース。茶釜、茶入、茶碗などの名器は国ひとつぶんに値するという、強力なブランディングを構築したのです。それゆえ、久秀が所有していた「平蜘蛛」がどうしても欲しかった!

信長は、室町時代から名将たちに伝わる超一級の最高級茶器(これを「名物」と呼びます)を、権力、財力、武力を使って収集する「名物狩り」を行っていましたが、信長にとってこの「平蜘蛛」は武将として頂点に立つうえでの最後のピースのようなもの。そして久秀は「平蜘蛛」を所有することで、自分は天下人とも対等に渡り合うことができる文化人なのだと思いたかった、というわけです。

■本物の「平蜘蛛」はどこ?

『豊臣兄弟!』では、実は久秀は「平蜘蛛」は手に入れておらず、所有していたのはまがいものということでしたが、史実として久秀は「平蜘蛛」を所有していました。裏切った代償として信長に所望されたのも事実。今回描かれたように、籠城していた信貴山で自害したのも事実。よく語られる、爆薬を仕込んだ「平蜘蛛」を抱えて爆死したかどうかは定かではありませんが(諸説あります)、「平蜘蛛」は信長のもとには渡らず、久秀と共に消えたようです。

■久秀が信長に差し出した「付藻茄子」

この平蜘蛛事件の5年ほど前の天正1(1573)年、京都や畿内で勢力を振るっていた久秀は足利義昭の信長追討に加担。この最初の裏切りの代償は、信長が欲しがっていた「付藻茄子(つくもなす)」の献上でした。久秀はこの小さな茶入を差し出すことで、大和国の支配権を安堵(保障)してもらったのです。

この「一国を買い戻すための身代金」として使われた「付藻茄子」の来歴もすごい! はしょって言っても、足利将軍家、松永久秀、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康…そして現在は、東京・丸の内に美術館をもつ静嘉堂が所有しています。

本能寺の変で火中となり、大坂夏の陣で罹災して大破。ところが家康の命により、集められた破片から漆による精巧な繕いが行われ、大破したとは思えない姿に復元されました。その姿は、2026年6月14日(日)まで開催の静嘉堂文庫美術館の展覧会「美を味わう―懐石のうつわと茶の湯」で見ることができますよ。


【次回 『豊臣兄弟!』第21回「風雲!竹田城」あらすじ】

 

秀吉(池松壮亮さん)と小一郎(仲野太賀さん)は、荒木村重(トータス松本さん)に代わって織田と毛利の間で揺れる播磨の攻略に当たる。難しい任務と思われたが、村重の仲介で出会った姫路城代・小寺官兵衛(倉悠貴さん)は、見事な手腕で播磨の国衆を織田方につけてみせる。半兵衛(菅田将暉さん)の案で、秀吉はさらに西方へ兵を進めることを決め、西播磨へ。一方、小一郎は但馬の竹田城攻めを任され、初めて総大将として戦に臨む!

※『豊臣兄弟!』第20回「本物の平蜘蛛」のNHK ONE配信期間は2026年5月31日(日)午後8:44までです。

この記事の執筆者
美しいものこそ贅沢。新しい時代のラグジュアリー・ファッションマガジン『Precious』の編集部アカウントです。雑誌制作の過程で見つけた美しいもの、楽しいことをご紹介します。
WRITING :
小竹智子
参考資料:『戦国武将の解剖図巻』(エクスナレッジ)/『NHK大河ドラマ 歴史ハンドブック 豊臣兄弟!-豊臣秀長とその時代』(NHK出版)/『戦国武将 知れば知るほど』(実業之日本社)/『戦国大名の遺宝』(山川出版社)/『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)/『デジタル大辞泉プラス』(小学館) :