【目次】
- 「駅弁記念日」とは? 意味・由来・いつなのかを解説
- 日本初の駅弁誕生の歴史を解説
- 「駅弁」とは? 誕生から現在までの歴史
- 日本三大駅弁とは? 全国の有名駅弁を紹介
- 駅弁大会とは? 全国で親しまれる人気イベント
【「駅弁記念日」とは? 意味・由来・いつなのかを解説】
■7月16日は「駅弁記念日」
7月16日は「駅弁記念日」。これは明治18(1885)年7月16日に開業した日本鉄道東北本線(現在のJR東日本東北本線)の宇都宮駅で、日本初の駅弁が発売されたことに由来するという説が広く知られていいます。
■もうひとつの「駅弁の日」
全国のJR駅などで「駅弁マーク」を付けた駅弁を販売する事業者は複数ありますが、そういった企業で構成される一般社団法人日本鉄道構内営業中央会が、平成5(1993)年に制定したのが4月10日の「駅弁の日」。日本の食文化のひとつとも言える駅弁のおいしさや楽しさをアピールし、駅弁文化の継承を図るのが目的です。春の行楽シーズンに駅弁を楽しんでもらいたいとの思いもあり、弁当の「弁」が「4」と「十」の組み合わせに見え、「当」は「とう=10」と読めることから、4月10日を記念日としました。
【日本初の駅弁誕生の歴史を解説】
■日本初は宇都宮駅での「おにぎり弁当」?
大宮~宇都宮間の運行が始まったこの日、宇都宮市内で旅館業を営んでいた「白木屋」が、宿泊客だった日本鉄道の重役のすすめで駅弁を販売したのが始まりとか(駅弁発祥には諸説あります)。140年以上前のことですね。このときの駅弁は、黒ごまをまぶした梅干入りのおにぎり2個と、たくあん2切れが竹の皮に包まれていたものだったとか。値段は5銭。かけそば1杯が1銭程度だった時代ですから、5銭というおにぎり弁当は贅沢品だったでしょう。
■宇都宮より古い駅弁も!?
宇都宮駅が駅弁発祥とする説のほか、「宇都宮駅以前にも明治10(1877)年ごろに大阪駅や神戸駅で売られていた」という説や、「明治16(1883)年の上野駅や熊谷駅で売られていた」など、数多くの記録や異説が存在します。そのため、7月16日を「駅弁記念日」とする宇都宮駅のものは、「確かな記録が残る最初の市販駅弁」として親しまれています。
【「駅弁」とは? 誕生から現在までの歴史】
■駅弁の掛け紙はただの包み紙にあらず!
日本独自の鉄道食である駅弁が宇都宮駅で販売されて以降、明治22(1889)年には姫路駅で二段重ねの幕の内弁当が登場します。
現在はパッケージに商品名などを直接印刷したものが主流のようですが、駅弁といえば長らく「掛け紙に紐掛け」スタイルがスタンダードでした。特に掛け紙は重要パーツ。商品名や価格だけでなく、観光案内や車内マナーが記されることもありました。
■ご当地弁当の誕生
さらに明治30年代には、鯛めし、鮎ずし、あなごめしなど、地域の特産を用いた「ご当地駅弁」が誕生! 現在の駅弁文化の原型が形づくられていきます。さらに、鉄道が西へ東へ、北へ南へと線路が延伸されて駅が増えていくにつれ、各地で名物駅弁が誕生。駅弁は「鉄道旅行のお供」として、欠かせないものになります。
■駅弁の購入は車窓越しに
首から大きな木箱を下げた売り子が、「べんと〜」と声を掛けながらホームを歩く姿を、資料映像や映画などで見たことがあるでしょうか。この立ち売りという販売スタイルは、日本の鉄道史と駅弁文化を語る上で欠かせないもの。売店がない時代の、おなじみの光景でした。
あの杉やヒノキの薄い板でつくられた折箱はとても軽いうえ、木肌が適度に水分を吸うのでお弁当のご飯が傷みにくく、冷めてもおいしさが保てるという機能性をもっていました。太い布紐で首や肩から下げてお腹あたりで箱を支えれば、商品や代金の受け渡しに両手が自由に使えるというすぐれものだったのです。
■駅弁に欠かせないのが「汽車茶瓶」
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お弁当に欠かせないのがお茶です。折箱にはお弁当とともにお茶も用意されていましたが、もちろんペットボトルや缶ではありません。「汽車茶瓶(きしゃちゃびん)」と呼ばれる焼き物の小さな容器や、ポリ容器(「ポリ茶瓶」と呼ばれることも)にお茶を入れ、コップとして使える蓋をして販売されていました。レトロで素朴、ぬくもりのある雰囲気が愛らしい「汽車茶瓶」は、Amazonなどでレプリカや復刻版が販売されていることもあります。ぜひチェックしてみて下さい。
■長い停車時間が駅弁を売り上げた?
駅弁が全国に広まった明治から昭和中期にかけての列車には冷暖房設備がなかったので、窓が上下に大きく開く構造を採用していました。当時のSL蒸気機関車や古い列車は、途中駅で給水や石炭の補給が必要です。単線路線では、行き違い待ちなどもあったため、数分、場合によっては10分以上も停車することが珍しくありませんでした。停車中の窓越しに立ち売りから駅弁を買う――これは、旅の大きな楽しみでもあったのです。
■立ち売りは鉄道の近代化とともに…
昭和40年代以降、日本の鉄道の近代化が進むにつれ、立ち売りは急速に姿を消すことに。新幹線をはじめとする特急列車に冷暖房が完備され、安全確保と空調管理のため列車の窓は開かない構造が主流に。窓を上下に大きく開けて、車窓越しに駅弁を買うことが不可能になります。
■昭和の駅弁ブーム
高度成長期にあった昭和30年代、国民の生活にもゆとりが生まれ、空前の旅行ブームが到来。昭和31(1956)年に東海道本線が全線電化になり、昭和39(1964)年に東海道新幹線が開業したことも、旅行業界を盛り上げる追い風でした。それとともに駅弁はさらなる進化を遂げ、全盛の時代を迎えたのです。
■駅弁は「駅ナカグルメ」としても人気に
さらに、列車の性能がアップして停車時間は短縮。ダイヤが過密化すると、主要駅であっても停車時間はわずか数十秒ということも。停車駅で駅弁を買う時間的余裕もなくなりました。ホームやコンコースに売店ができ、さらに駅ナカ店舗での販売が充実すると、駅弁は「旅の途中で買うもの」から「乗車前に用意するもの」へと変化しました。
【日本三大駅弁とは? 全国の有名駅弁を紹介】
「日本三大駅弁」には公式な選定基準がなく、挙げられる商品も資料によって異なります。ここでは、全国的に知られる代表的な駅弁をご紹介します。
■群馬県・横川駅の「峠の釜めし」
昭和33(1958)年に登場した、日本初のあたたかい駅弁。益子焼のうつわにだしの利いたごはんを詰め、鶏肉やしいたけ、たけのこ、うずらの卵、栗など調理された具をのせ、温めて提供されていました。
■北海道・森駅の「いかめし」
駅弁大会の常連で、売り上げランキングで何度も日本一に輝いている、昭和16(1941年)年誕生のレジェンド駅弁。小ぶりのいかの胴体にうるち米ともち米のブレンド米を詰め、甘辛いたれで煮込んだものです。実はこれ、第二次世界大戦中の食料統制下に、お米不足を乗り切る工夫として誕生したとか。
■神奈川県・横浜駅の「シウマイ弁当」
横浜駅の駅長から駅弁屋に転身した初代が、ご当地感を強めるために、横浜中華街の料理人とつくりあげたのがシウマイ弁当。昭和29(1954)年に登場しました。シウマイ、マグロの漬け焼き、かまぼこ、鶏の唐揚げ、玉子焼き、筍煮、あんず、そして俵型ご飯には黒ごまと小梅と、シウマイ以外は正統的な幕の内弁当スタイル。経木によるパッケージには抗菌作用があるとされ、また、水分を程よく吸収・保水するため傷みにくく乾燥も防ぎます。1日の売上個数は日本一とも。
■富山県・富山駅の「ますのすし」
大正元(1912)年誕生。丸い木の器に笹の葉を敷き、桜色の鱒と酢飯を押し詰めた、見た目も美しい富山の伝統的な駅弁です。
【駅弁大会とは? 全国で親しまれる人気イベント】
昭和30年代の旅行ブーム、そして駅弁の進化という状況下で開催されたのが「駅弁大会」です。東京や大阪などの百貨店に全国の人気駅弁が集結、百貨店の花形イベントに成長しています。
■日本初、日本一の駅弁大会
百貨店で駅弁大会が始まったのは、昭和28(1953)年の大阪髙島屋といわれています。西日本最大級の駅弁大会で知られるのが、昭和40(1965)年から続く九州の鶴屋百貨店。その翌年にスタートしたのが、東日本一(そして日本一!)の駅弁大会と評される京王百貨店です。毎年1月に開催されるこのイベントでは、約2週間の開催期間中に出品される駅弁の数は300種類以上、売上は6億円以上ともいわれています。 新年の風物詩としてすっかり定着、2025年で60周年を迎えました。いつからか「駅弁甲子園」とも称されることもあります。
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ご当地の駅弁を食べることでちょっとした旅気分を味わえたり、故郷を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。列車内や旅行中に限らず、非日常の雰囲気が味わえるのも駅弁の魅力ですね。
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- Precious.jp編集部
- 参考資料:『デジタル大辞泉プラス』(小学館)/『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)/小野ピアノ工房調律センター/YAMAHA :

















