【目次】

【「東京の日」とは? 意味・いつなのかを解説】

■「東京の日」はいつ?

「東京の日」は7月17日です。国民の祝日や法律で定められた記念日ではありませんが、東京の歴史や成り立ちを振り返る日として紹介されることがあります。

■「東京の日」の意味

「東京の日」は、江戸から東京へと名前が変わり、日本の新しい時代が始まる転機となった出来事を振り返る日です。明治維新によって政治や社会の仕組みが大きく変化するなか、江戸は「東京」と改称され、やがて日本の政治・経済・文化の中心として発展していきました。


【なぜ7月17日? 「東京の日」の由来と明治維新との関係】

■「東京の日」の由来

1868(慶応4/明治元)年7月17日(※)江戸が「東京」へ改称されました。この出来事にちなみ、7月17日は「東京の日」と呼ばれています。この改称は、明治維新による新しい国づくりを象徴する出来事のひとつでした。

1868(慶応4/明治元)年と表記したのは、この年の旧暦の1月1日(慶応4年1月1日)を遡って明治元年とすることが定められたため、歴史上は1868年の初日が明治の起点となっているからです。

(※)現在の暦では1868年9月3日です。

■明治維新と共に「東京」の時代が始まった

1868(明治元)年の明治維新によって、約260年続いた江戸幕府の時代は終わり、新政府による近代国家づくりが始まりました。そのなかで、新政府は江戸を政治・行政の中心と位置づけ、「東京」という新しい名称を与えたのです。これを機に、東京は日本の近代化を支える都市として発展していきます。


【江戸はなぜ「東京」になった? 改称の理由を解説】

■「東京」という名前が選ばれた理由

江戸が「東京」と改称された背景には、新しい時代の都として位置付ける意図がありました。「東京」は文字どおり「東の都」を意味します。当時の都であった京都に対し、新たな時代における政治の中心であることを示す名称として選ばれました。

■「江戸」の呼称は幕府統治の象徴だった

「江戸」という地名は、約260年にわたる江戸幕府の政治と深く結び付いていました。明治政府は近代国家への転換を進めるなかで、新しい時代の幕開けを象徴する都市として、新たな名称が必要だと考えたとされています。そのため、「江戸」を改め、「東京」という名称が採用されたのです。

■実は当初、「とうけい」とも読まれていた

現在では「とうきょう」と読むのが一般的ですが、改称当時は読み方について「トウキョウ」「トウケイ」のどちらを採用すべきかについて根拠となるような法令もありませんでした。そのため、「とうけい」という読み方も広く用いられていましたが、その後、次第に「とうきょう」という読み方が定着し、現在に至っています。


【「東京奠都(てんと)」とは? 遷都との違いもわかりやすく解説】

■「東京奠都」とは?

「東京奠都(てんと)」とは、明治政府が天皇の居所や政治の中心を京都から東京へ移したことを指す言葉です。
1868(明治元)年に明治天皇が東京へ行幸し、江戸城は「皇居」となりました。結果的に「京=君主の住む宮殿のある所」が東へ移り、事実上の遷都が行われました。

■「奠都」と「遷都」は何が違う?

「遷都」は、従来の都から別の場所へ都を移すことを指します。一方の「奠都」は、ある場所を都として定め、都としての基盤を整えることを意味します。明治政府は京都を旧都として廃止するとの宣言を出さないまま、天皇の居所と政府機能を段階的に東京へ移しました。そのため、この過程は一般に「東京遷都」ではなく「東京奠都」と呼ばれています。


【「東京府」から「東京都」へ|東京の歴史をたどる】

■「東京府」の誕生

江戸が「東京」と改称された翌年の1869(明治2)年、行政区画として「東京府」が設置されました。明治政府は府県制度の整備を進めるなかで、東京府を日本の政治・行政の中心として位置付け、近代都市としての基盤づくりを進めていきました。

■1943(昭和18)年に「東京都」が誕生

1943(昭和18)年7月1日、それまで現在の東京都にほぼ相当する区域を管轄していた東京府と、その管轄下にあり中心部の都市自治体であった東京市の行政組織が統合され、新たに「東京都」が発足しました。これにより、現在の東京23区にほぼ相当する東京市は廃止され、東京都が府と市の両方の機能を併せ持つ、現在の行政制度が始まります。23区はそれまでの「東京市の区」から「東京都の区」となり、戦後の制度改革を経て、現在の特別区へと移行していきました。

■世界有数の大都市へ発展

明治時代以降、東京は政治・経済・文化の中心として発展を続けてきました。現在では、日本の首都機能を担う都市として行政機関や企業、本社や大学、文化施設などが集まり、世界有数の大都市として国内外に大きな影響力を持っています。


【「東京の日」に訪れたい|東京の歴史を感じる名所】

■皇居

かつての江戸城跡に整備された皇居は、東京の歴史を語るうえで欠かせない場所です。旧江戸城の主要部分を占める皇居は、明治天皇以降、歴代の天皇のお住まいとなってきました。皇居東御苑では、江戸城の石垣や天守台などの遺構を見ることができます。

■明治丸

1874(明治7)年にイギリスで建造された「明治丸」は、明治期の鉄船として現存する貴重な船舶で、国の重要文化財に指定されています。1876(明治9)年には、明治天皇が東北・北海道巡幸からの帰路に乗船しました。現在は東京海洋大学越中島キャンパスの「明治丸海事ミュージアム」で保存・公開されています。

■東京駅

1914(大正3)年に開業した東京駅丸の内駅舎は、辰野金吾の設計による赤レンガ造りの名建築です。戦災や復原工事を経ながら創建当時の姿を取り戻し、東京の近代化を象徴するランドマークとして親しまれています。

■東京都公文書館

江戸から東京への変遷や東京都の歴史に関する資料を収蔵・公開しています。常設展示や企画展では、江戸・東京の歴史をわかりやすく学ぶことができ、「東京の日」に合わせて歴史を振り返りたい人にもおすすめです。

(※)展示内容や開館日は変更されるため、訪問前に公式サイトで確認してください。

【「東京」という名前に込められた意味とは?】

■「東京」は「東の都」

前述の通り、「東京」という名前は「東の都」を意味しています。「京」は、天皇や君主の居所を中心に政治が行われる「みやこ」を意味する文字です。つまり「東京」は文字どおり「東の京」「東の都」のこと。明治以前の都であった京都に対し、東に位置する新たな都としての役割を表す名称として考案されました。明治政府が近代国家づくりを進めるなかで、新しい時代の象徴となる都市名として選ばれたと考えられています。

■京都が「西京」と呼ばれたことも

明治維新のころには、「東京」に対して「西京(さいきょう・せいきょう)」という呼び名も用いられました。京都を「西京」と記した文書も見られます。ただし、正式な地名として定められたわけではなく、現在に至るまで、定着していません。


【首都は法律で「東京」と決まっている? よくある疑問を解説】

■日本の首都は法律で「東京」と定められている?

実は、現行法には「日本の首都は東京である」と明記した法律はありません。ただし、「首都圏整備法」をはじめ、東京を首都として扱うことを前提とした法律は存在します。また、国会議事堂や皇居、内閣、最高裁判所など、国の中枢機能は東京に置かれており、現在では事実上の首都として広く認識されています。

■首都をめぐる議論が続く理由は?

京都から東京への移行に際し、京都を廃して東京へ都を移すという形式の「遷都の詔」は出されませんでした。そのため、この歴史的な移行を「遷都」と呼ぶか「奠都」と呼ぶかについては議論があります。ただし、現在、国の中枢機関が置かれる東京が日本の首都であることについて、行政実務上の疑義はありません。

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日常、私たちが何気なく使っている「東京」という名前には、明治維新という時代の転換点と、日本の新たな歩みへの願いが込められていたのですね。「東京の日」をきっかけに、身近な街のルーツをたどってみてはいかがでしょうか。見慣れた風景も少し違って見えてくるかもしれませんよ。

この記事の執筆者
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参考資料:『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /東京都構文図書館「江戸東京を知る」 /国立公文書館「変貌〜江戸から帝都そして首都へ」 /都庁総合ホームページ「東京都プロフィール」 /西日本新聞「東京の日」) /東京海洋大学「明治丸海事ミュージアム」 /TOKYO STATION SITY :