先日、フィレンツェで開催された第94回ピッティ・イマジネ・ウオモの会期中、新刊『サルトリア・イタリアーナ』のイタリア語版と英語版の発刊記念パーティーが開催された。

 当日は本に掲載したリヴェラーノ・リヴェラーノやアントニオ・パニコといったサルトリア業界の巨匠たちからの祝福、加えて、メンズファッション業界を中心に400名を超えるゲストを迎え、イタリアのメディアからも賞賛の言葉を頂き、人生の中でも恐らく一生に一度の思い出に残る一夜となった。

イタリア全土、北から南までを取材したグランドツアーでは土地ごとに多種多様なイタリア文化が息づいていた

去る6月、フィレンツェで開催されたイタリア語版と英語版『サルトリア・イタリアーナ』発刊記念パーティー

常日頃から取材した方々には母国語で読見たいと言われ続けている。さらに海外の読者からも英語版とイタリア語版のリクエストをよく頂くので、この出版は何より嬉しく、そして名誉なことである。

会場はフィレンツェのオービカ、本に掲載された27店のサルトリアからのスーツがディスプレイされ、オリジナルバンドのジャズミュージックと共に会場は熱気に包まれた。

 この本はヴィターレ・バルベリス・カノニコ(以下、VBC)社のスポンサードのもと製作が行われたが、製作段階から英語版とイタリア語版の発刊は決まっていた。この会社の350年を超える歴史の中でも外国人にこれほど大きなプロジェクトを任せたことはないということで、私のチームはなかなか完成しないこのプロジェクトを役員会で何度も追求され、イタリアから本の完成を問い合わせる悲鳴に近い彼らからのメールが何度も届いた。こうして無事に刊行できたのは喜ばしい限りで、私も3年間に渡る重責から解放され、今は安堵の気持ちと感無量の気持ちで一杯である。

 この本を製作するための取材は、私のガイド兼通訳のVBC社のイメージ&コミュニケーション・グローバルマネージャーのシモーネ・ウベルティーヌ・ロッソと英国人フォトグラファーのルーク・カービーと共に行われた。27のサルトリアを訪ねる、北から南をめぐるグランドツアーだ。

 シモーネとルークは2人とも非常にアカデミックで、その点も私にとって僥倖であった。どの都市を訪れても、まずシモーネが瞬時に携帯で都市の来歴を調べ、その場で丁寧に解説してくれる。それからルークが英国人的考察を加えての解説といった具合で、その土地に住む人々が民族的にはどう分類されるのか、歴史、名前の語源や由来、建築様式、戦争による影響など、延々と会話は続く。2人のやりとりを聞いていると、ヨーロッパの大学教育がこうした広範囲な、いわゆる「教養」をいかに学ぶためのものであるかということを思い知らされる。ここで私は唯一の日本人、アジア人として彼らに東洋的史観を語らなければならないが、シモーネは中国の大学で学んだこともあり、英語に加えて、中国語、フランス語が堪能なので、ますます話の内容は複雑、多岐に渡るものとなる。

 私がこの旅の道中で発見したのは、本の冒頭で既に書いたことだが、スーツの仕立て同様に、英国人とイタリア人の食に対する哲学、情熱、姿勢の違いである。彼らがすべての英国人とイタリア人の代表ではないので「何々人はこうだ」という決め付けは意味が無いのも理解しているが、ひとつの考察としては面白いかと思うので、ここに書こうと思う。

左からフォトグラファーのルーク・カービー、中心が私、右がVBCのシモーネ・ウベルティーノ・ロッソ。

 イタリアでは北と南はまるで違うと聞いていたが、実際に行くまでは、これほど違うとは思わなかった。シモーネは北のイタリア人だから、感覚はスイス人やフランス人に近い気がする。食に関して言えば、北ではディナーは夜8時に始まり、11時頃にはレモンチェッロやグラッパを飲んでお開きとなる。ところが南はアペリティーヴォが8時とか8時半、ディナーは10時に始まり、終わるのは次の日ということもままある。これには気候が影響しているとみえ、日中は日本の夏のように暑いので、夜に活動する方が身体が楽なのだろう。それでも日本人としては10時のディナー開始、その前に食前酒を飲み、オリーブや小さいパニーニをつまんだりしていると、もうディナーに辿り着くころにはお腹が空いていないこともしばしばある。

 日中の取材の間は、インタビューなどかなり集中しているので、その後に着替えて夜更けまで食べたり飲んだりしているのは結構きつい。チームの中で日本人は私だけなので、ずっと英語でディスカッションしていると夜には電池切れの状態になる。取材したデータのバックアップ、次の日の資料読み込みと、ホテルに帰ってからもやることは山ほどある。

 そういったわけで、通常では現地に行った、取材する、取材先とランチかディナー、部屋でメールのやりとりとデータのバックアップ、そして帰るという仕事一色のツアーになってしまう。

 そんな中で現地の人々とランチやディナーのひと時は、その地の郷土食も味わえるし、インタビューでレコーダーを回している時と違い、彼らもリラックスした表情を見せてくれ、思わぬ話が聞けたりするのでとてもありがたい。その土地での経験と共に、ひとつひとつの食事が記憶に残っている。

イタリア南東部、アドリア海に面したプーリア州の州都バーリは古代ギリシャ、ビザンチン帝国の支配を受けた歴史を持ち、エキゾティックで南国的なムードが漂う街である。

 なかでも思い出に残っているのは南イタリアのバーリでのディナーだ。南はナポリが有名だから、反対側のイタリア半島のかかとにあたるバーリに行った人は少ないのではないだろうか。ここで食べたものはフランスでいうフリュイ・ド・メール、いわゆる海の幸盛り合わせで、生の牡蠣、ムール貝、烏賊、蟹などが氷の上に並んでいる。これはいかにも海のご馳走といった豪華なもので、先方のもてなしの気持ちが感じられる。

 フランスではこのフリュイ・ド・メールというのが曲者で、日本人の感覚からすると、既になにがしか臭っている。取材で体調を崩しても困るので、自分から海外で積極的に食べることはない。パリのリッツ・エスコフィエ(ホテル、リッツ パリの中にある調理師養成校)で学んだ時、シェフがザ・リッツ自慢の魚の冷蔵庫を見せてくれたことがあった。そこは非常に清潔だったが、日本人の私の感覚からすると魚が臭っていた。魚の処理の方法と管理の仕方が違う上に、調理法も違うのでそれは仕方ない。

 ヨーロッパでは伝統的に魚を生で食べる習慣がないこと、推察するに、日本は鮮度や臭いに敏感でないと湿度と温度の関係からバクテリアが発生しやすく、ヨーロッパは湿度が低いのでバクテリアが発生しにくいことも関係しているのではないかと思う。

 ロンドンの魚市場、築地にあたる魚市場といえばビリングスゲートがある。これが夏場は周囲に近寄るだけで独特の臭気が漂っている。英国ではIt sounds fishyといえば、胡散臭いという意味だと聞いた。これは英国人の魚に対する古典的な見解を表しているようだ。

 さて、南イタリアのバーリではシャマットのヴァレンティーノと妻のシルヴァーナが私たちを盛大にもてなしてくれた。宴もたけなわの中、豪勢に盛られた海の幸を前にして、ただひとり苦悶している男がいた。英国人のルークである。

 彼は英国の名門ボーディングスクールに通い、オックスフォードのMBAを取得するような来歴の持ち主のためか、食習慣も非常に英国的、つまり保守的である。英国でも今は寿司の人気が定着し、一般的な英国人は生の魚を喜んで食べる人も多いが、彼はとてもコンサバティブな嗜好の持ち主で、食事にバラエティも求めないし、ローストした肉とポテトがあれば満足している。それどころか、「基本的には食事に割く時間は人生における無駄である、そんな時間があったら勉強したり、やるべきことは人生に山ほどある」と豪語したことがあった。シモーネはこの言葉を聞き、真剣にカルチャーショックを受けていた。というのも、イタリア人のシモーネはひとりでもテーブルセッティングをしてゆっくり食事を楽しみたいといい、週末は料理教室にも行ったりするほど食べることに情熱がある。食に関してルークとはまるで真逆のタイプだ。

 イタリア人はこの食における情熱で食によって世界を制覇し、アングロサクソン人は彼らがディナーを楽しんでいる間に、世界を軍事力と政治力で征服したに違いない。ふたりの会話を聞いていて、こう密かに思う。

 さすがこの地で生まれ育ったヴァレンティーノは魚の食べ方を熟知していて、懇切丁寧に食べ方を教えてくれた。彼の食べる様子を見ていると、魚介を生でたべることに慣れているせいか、無意識に臭いを嗅ぎながら口に運んでいる。確かにここの海の幸は臭いがなく、海沿いなだけあり、新鮮なことがみてとれた。

 彼は小さめの手のひらサイズの烏賊の口をスプーンでポンっと押し出してから、丸ごと頭からたべるのだと見せてくれた。私も頑張ってそれに倣う。こうした食べ方には慣れていないだろう、北のイタリア人シモーネも好奇心旺盛に食べている。ルークといえば、烏賊のくちばしの、英国人にとっては非常にグロテスクな様子に、内心気が狂いそうになっていることだろう。シモーネはそれほど感じていない様子だが、自他共に認めるアングロファイルの私としては、ルークの気持ちが手に取るようによくわかった。彼は普段とても礼儀正しい人なので、失礼がないように幾らかでも美味しそうに食べてみせないといけないと思っている。心中の動揺を押し隠し、苦悶している彼の表情を、ディナーの間、凝視しないようにするのに苦労した。

 この日のディナーはもちろん翌日の夜更けまで続いた。ルークのなんともいえない、困惑した顔と共に忘れがたいディナーのひとつである。

 メンズスタイルの2大潮流と言われているこのふたつの国は、人生に対するプライオリティがここまで違う。英国人とイタリア人の間では、スーツの仕立てや美学が全く違うのも納得のいくことだ。

ウニ、ムール貝、牡蠣、烏賊など豊富な魚介類が揃う、バーリの新鮮な海の幸の盛り合わせ。イタリアはフードとワインが地方色豊かで、訪れる都市ごとの楽しみがあることを再認識した。
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著:長谷川喜美 撮影:ルーク・カービー
イタリアの全27店のサルトリアを、3年という長い年月をかけて徹底取材。メンズスタイルの豊穣な文化をもつイタリア。サルトリア・イタリアーノを支えてきた歴史、多彩な風土によって醸成されたクラフツマンシップを浮き彫りにした圧巻のヴィジュアルブック。
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この記事の執筆者
ジャーナリスト。イギリスとイタリアを中心にヨーロッパの魅力をクラフツマンシップと文化の視点から紹介。メンズスタイルに関する記事を雑誌中心とする媒体に執筆している。著作『サヴィル・ロウ』『ビスポーク・スタイル』『チャーチル150の名言』等。
公式サイト:Gentlemen's Style