【目次】
- 「中也忌」は何と読む?意味と10月22日との関係
- 中原中也とはどんな詩人?生涯と文学の足跡
- 「汚れつちまつた悲しみに……」など、知っておきたい代表作
- 『山羊の歌』『在りし日の歌』──ふたつの詩集を知る
- 詩の余韻を深める「リフレイン」と「七五調」とは
【「中也忌」は何と読む?意味と10月22日との関係】
■「読み方」
「中也忌」は「ちゅうやき」と読みます。
■「意味」
「中也忌」は、詩人・中原中也(なかはら・ちゅうや)の命日を指す言葉です。
「忌日(きじつ・きにち)」とは、人が亡くなった日のこと。また、毎年巡ってくる命日を意味する言葉でもあります。文学の世界では、作家や詩人の命日を、その名前や作品にちなんだ「〇〇忌」という呼び名で表すことがあり、太宰治の「桜桃忌」や芥川龍之介の「河童忌」などが知られています。「中也忌」もそのひとつ。中也の詩や生涯に思いを寄せ、その文学に親しむ日となっています。
■「いつ」? 日付の「由来」は?
「中也忌」は、10月22日です。中原中也が1937(昭和12)年10月22日に、30歳の若さで亡くなったことに由来します。死因は結核性脳膜炎でした。
中也の生誕地である山口市の「中原中也記念館」では、毎年「中也忌」にちなんだ催しが行われています。2026年は没後89年にあたり、10月22日は記念館の入館料が無料に。また、10月24日には、中也が眠る経塚墓地で墓前祭が予定されています。
【中原中也とはどんな詩人?生涯と文学の足跡】
■山口県に生まれ、10代で詩の世界へ
中原中也は、1907(明治40)年4月29日、現在の山口県山口市に生まれました。父親は軍医で、幼いころは父の転勤に伴い、各地で暮らしました。少年時代から文学に親しみ、短歌を新聞や雑誌に投稿。1922(大正11)年には、山口中学校の上級生と地元新聞記者との共著で歌集『末黒野(すぐろの)』を刊行しています。その後、京都の立命館中学校に転校した中也は、前衛的な芸術運動「ダダイズム」に傾倒します。さらに、詩人の富永太郎との交流を通じて、ランボーやヴェルレーヌなど、フランスの象徴派詩人たちの作品に触れ、独自の詩の世界を築いていきました。
■小林秀雄や大岡昇平との交流を経て…
1925(大正14)年、中也は東京へ移り住みます。文芸評論家の小林秀雄や、のちに作家となる大岡昇平らと交流を深めながら、詩作に取り組みました。
1926(大正15)年には「朝の歌」を制作。詩人としての転機となった作品です。1929(昭和4)年には、河上徹太郎や大岡昇平らと文芸同人誌『白痴群(はくちぐん)』を創刊し、精力的に作品を発表します。そして1934(昭和9)年に刊行した第一詩集『山羊の歌』が小林秀雄や河上徹太郎らに高く評価され、詩人として認められるようになりました。
■悲しみや孤独を、独自のリズムで歌い上げた
中也の詩には、青春の憂愁や孤独、愛する人への思いなど、人間の繊細な感情が息づいています。言葉の響きやリズムを大切にした、歌うような詩風も大きな特徴です。
私生活では、1933(昭和8)年に結婚し、翌年には長男・文也が誕生。しかし、1936(昭和11)年、わずか2歳で文也を亡くすという悲劇に見舞われました。この深い悲しみは、中也の晩年の詩作にも大きな影響を与えました。代表作のひとつ「春日狂想」には、その悲しみが刻まれています。
中也が生涯に残した詩は350篇以上。わずか30年の生涯でしたが、その独特の言葉と調べは、時代を超えて多くの読者を魅了し続けています。
【「汚れつちまつた悲しみに……」など、知っておきたい代表作】
■「汚れつちまつた悲しみに……」──中也を代表する詩
中原中也の名前を聞いて、まず思い浮かべる人が多いのが「汚れつちまつた悲しみに……」ではないでしょうか。第一詩集『山羊の歌』に収められた、中也の代表作のひとつです。
「汚れつちまつた悲しみに」という一節が繰り返され、悲しみを抱えた心のありようが、静かに、そして切実に描かれています。「汚れつちまつた」という独特の言葉遣いも印象的。声に出して読むと、繰り返される言葉の響きが、いっそう心に残ります。
■「サーカス」──耳に残る不思議な言葉の響き
「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」。この不思議な響きで知られる「サーカス」も、『山羊の歌』に収められた作品です。空中ブランコの揺れを思わせる言葉の繰り返しが、サーカスの光景を幻想的に浮かび上がらせます。意味をひとつひとつ理解しようとするよりも、まずは言葉の音やリズムを楽しみたい一篇。中也の詩がもつ音楽的な魅力を、わかりやすく感じられる作品です。
■「一つのメルヘン」──幻想的な世界に漂う寂しさ
「秋の夜は、はるかの彼方に、」という書き出しで始まる「一つのメルヘン」は、第二詩集『在りし日の歌』に収められています。小石ばかりの河原に陽が射し、一つの蝶が影を落とす。やがて蝶が姿を消すと、川床に水が流れ始めるという、不思議な情景が描かれています。美しい風景のなかに、寂しさや儚さがにじむのも中也らしいところ。言葉で描かれた一枚の絵を眺めるように、ゆっくり味わいたい詩です。
■「春日狂想」──愛するものを失った人の心
「春日狂想」は、幼い長男・文也を亡くしたあとに書かれた詩です。『在りし日の歌』に収められています。
「愛するものが死んだ時には、」という言葉で始まり、深い喪失感が率直に表現されています。悲しみに沈みながらも、なお生きていかなければならない人間の心を描いた作品として、胸に迫るものがあります。
青春の憂愁から幻想的な情景、愛する人を失う悲しみまで。中也の詩には、さまざまな感情が、独特の言葉とリズムに乗せて表現されています。
【『山羊の歌』『在りし日の歌』──ふたつの詩集を知る】
■『山羊の歌』──わずか200部で刊行された第一詩集
中原中也の第一詩集『山羊の歌』が刊行されたのは、1934(昭和9)年12月のこと。中也が27歳のときでした。出版社は文圃堂(ぶんぽどう)。刊行部数はわずか200部という、限られた人の手に渡る詩集でした。収録されているのは44篇の詩。「初期詩篇」「少年時」「みちこ」「秋」「羊の歌」の5部で構成されています。装丁を手がけたのは、詩人で彫刻家の高村光太郎。背に金箔を施した美しい造本にも、中也の詩集へのこだわりがうかがえます。
中也は1932(昭和7)年ごろから詩集の編集に取り組んでおり、刊行までには時間を要しました。完成した『山羊の歌』は、小林秀雄や河上徹太郎、草野心平らから高く評価されました。
■『在りし日の歌』──亡き息子に捧げられた第二詩集
第二詩集『在りし日の歌』が刊行されたのは、1938(昭和13)年4月。中也が亡くなった翌年のことです。実は、この詩集を編集したのは中也自身でした。亡くなる約1か月前、完成した原稿を小林秀雄に託していたのです。刊行を見届けることはできませんでしたが、中也自身の手でまとめられた詩集でした。
収録作品は58篇。「在りし日の歌」42篇と「永訣の秋」16篇の2部構成です。巻頭には「亡き児文也の霊に捧ぐ」という献辞が掲げられています。1936(昭和11)年に亡くなった長男・文也への思いが、この献辞に込められているのです。なお、「在りし日」とは「過ぎ去った日々」という意味。タイトルからも、失われた時間を振り返るような、静かな余韻が感じられます。
■生前と没後──ふたつの詩集に残された中也の世界
『山羊の歌』は、生前に刊行された唯一の詩集。『在りし日の歌』は、詩人自身が編集を終えながら、没後に世に出た詩集です。
刊行の時期も成立の事情も異なるふたつの詩集ですが、どちらにも、中也が生涯をかけて磨き上げた言葉とリズムが息づいています。代表作をきっかけに興味をもったら、このふたつの詩集を通して中也の世界に触れてみるのもいいですね。
【詩の余韻を深める「リフレイン」と「七五調」とは】
■「リフレイン」とは?
「リフレイン」とは、詩や音楽で、同じ言葉やフレーズを繰り返すこと。「反復句」「繰り返し句」とも呼ばれ、言葉の印象を強めたり、作品に独特のリズムを生み出したりする効果があります。
中原中也の詩にも、このリフレインが効果的に使われています。例えば「汚れつちまつた悲しみに……」では、「汚れつちまつた悲しみに」という一節が繰り返し登場します。読むうちに、その言葉が心に深く刻まれていくようです。また、「サーカス」に登場する「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という独特のフレーズも、繰り返しによって強い印象を残します。こうした言葉の反復は、中也の詩がもつ音楽的な魅力のひとつです。
■「七五調」とは?
「七五調」とは、七音と五音を基本として、交互に繰り返す韻律のこと。例えば唱歌『花』の冒頭、「春のうららの/隅田川」は、七音と五音からなる七五調の一例です。「七五調」は古くから日本の詩歌や歌謡などに用いられてきました。流れるような、軽やかな調子が特徴で、声に出すと自然にリズムが生まれます。
中也の詩にも、日本語の音数を意識したリズムが見られます。ただし、中也の詩がすべて七五調で書かれているわけではありません。「朝の歌」のように五七調を基調とする作品もあり、一定の音数に収まらない自由なリズムも使われています。
■声に出して読むと見えてくる、中也の詩の魅力
中也の詩を味わうときには、言葉の意味とともに、音の響きにも注目してみてください。音読すると、繰り返されるフレーズや長短の言葉がつくるリズムが際立ち、黙読とはまた違った印象を受けるかもしれません。詩を声に出して読むことは、言葉を音として味わうこと。中也が残した詩の世界を、より身近に感じられる楽しみ方です。
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「汚れつちまつた悲しみに……」の一節で知られる中原中也。その第一詩集『山羊の歌』の初版が、わずか200部だったとは驚きです。刊行当時、その詩がこれほど長く読み継がれることになると、誰が想像したでしょう! 詩人の生涯はわずか30年。しかし、その言葉は90年近い時を経た今も、私たちの心に響き続けています。10月22日の「中也忌」には、ぜひ一篇、声に出して読んでみませんか。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- 参考資料:参考資料:『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)/『日本国語大辞典 第二版』(小学館)/『デジタル大辞泉』(小学館)/『デジタル大辞泉プラス』(小学館)/『世界大百科事典』(平凡社)/『国史大辞典』(吉川弘文館)/『日本人名大辞典』(講談社)/『日本近代文学大事典』(講談社)/『新カトリック大事典』(研究社)/中原中也記念館(https://chuyakan.jp) :

















