【目次】

【第40回のあらすじ】

豊臣VS徳川の緊張感が高まるなか、徳川家康(松下洸平さん)の重臣・石川数正(迫田孝也さん)が、豊臣方へ出奔。 徳川家の内情を知り尽くし、秀吉(池松壮亮さん)との交渉役を担っていた数正の裏切りは、徳川家にとってお家の存亡に関わる一大事です。

豊臣との戦を避けるよう家康を説得してきた数正ですが、秀吉には、豊臣に刃向かい続ける主君に愛想が尽きたと語ります。果たしてその真相は…?

(C)NHK
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史実でも数正の出奔の理由には諸説ありますが、ドラマでは、家康を守るための決断として描かれました。「今は豊臣に屈し、秀吉・秀長亡きとの天下を狙え」という先を見据えた忠義からの行動だったのでしょう。数正を思い、爪を噛むのをこらえる家康も切なかったですね。

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数正の出奔は外交上も重大事件でした。『豊臣兄弟!』の時代考証を担当する歴史学者・黒田基樹氏によれば、現代なら外交官の国外追放や国交断絶にあたり、宣戦布告に相当する出来事だったそうです。

それでも上洛を拒み、豊臣との戦を進めようとする家康に、秀吉は徳川討伐を表明します。

いよいよ戦かと思われた天正13年11月29日(現在の暦では1586年1月18日)。中部・近畿地方を大地震が襲います。「天正地震」です。大坂にあった秀長(仲野太賀さん)の屋敷も倒壊したと伝えられるほどの大災害。秀吉は天が家康に味方しているのではと弱気になりますが、そんな兄を励ましたのは、やはり秀長でした。

この大地震を機に、秀吉は徳川討伐を断念し、和睦へと方針転換します。戦国の勢力図を動かしたのは、武将たちの知略や武力ばかりではなかったのですね。

両者の仲介役となったのは、織田信長の次男・織田信雄(山脇辰哉さん)。しかし、家康が提示した条件に、秀吉も秀長も頭を抱えてしまいます。秀吉の身内の女性を妻に迎えたいというのです。秀吉には、家康に嫁がせられる身内の女性がほとんどいません。そこで白羽の矢が立ったのが、妹のあさひ(倉沢杏菜さん)でした。

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え、ちょっと待って。あさひには副田吉成(前原瑞樹さん)というれっきとした夫がいるはず。家康との和睦が天下統一への大きな一歩になるとはいえ、仲睦まじい夫婦を引き離すとは、なんとも無体な仕打ちではありませんか。秀吉は吉成に離縁を命じ、代わりに領地を与えると申し出ますが、吉成にとって、妻との暮らしは領地と引き換えにできるものではありません。

ちなみに、あさひが家康に嫁いだのは1586(天正14)年。当時のあさひは40代半ばと考えられ、家康とは同世代。政略結婚と聞くとなんとなく若い姫君を思い浮かべがちですが、今回のように40代同士の婚姻もあったのですね。

さて、離縁を迫られたあさひと吉成は、人目を忍んで逃げようとしますが、直前になって「やっぱり行けない」とためらうあさひ。さらにふたりの前に秀長が現れ、計画は失敗。誰かが密告していたのです。吉成は、あさひが密告したのだと決めつけ激怒。一方的に妻を責め、離縁すると言い放ちます。あれほど仲のよかった夫婦が、こんな別れ方をするなんて…!

ところが、ここで思いがけない事実が明らかに。密告したのは、なんと吉成自身だったのです。

あさひが家康に嫁げば戦を避けられ、天下のために役に立てる。吉成は悪者を演じることで妻の背中を押し、領地も断って出家する道を選びました。妻を思う気持ちは本物なのに、その妻にだけは本心を明かせない。なんとも切ない決断です。

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一方であさひも、吉成の真意をしっかり感じ取っていました。秀長に庭へ誘われ、木陰に吉成がいることに気付きますが、あえて声は掛けません。感謝の気持ちと、新たな役目を精いっぱい果たす覚悟を口にするのでした。

そして1586(天正14)年、あさひは家康のもとへ輿入れします。史実では、あさひの輿入れには大勢の家臣らが付き従い、たいそう華やかな行列がつくられたと伝えられています。しかし、あさひは家康に嫁いでから約4年のちには亡くなってしまうのですよ…。

ドラマで家康があさひに見せた優しさは、かつて自分が今川家で人質として暮らした境遇を、重ね合わせてのことだったのでしょうか。わずかな歳月であったとしても、あさひがあの福々しい笑顔で家康との時間を過ごせていたことを、祈らずにはおれません。

振り返ってみれば、数正は主君を守るため、吉成は妻を守るため。それぞれが嘘をついていました。相手を思うがゆえの「ふたつの嘘」。天下を動かす大きな出来事の裏にあった、一人ひとりの切実な思いが胸に残る第40回でした。


【「戦国の結婚」は誰のため? 女性たちが担った外交と、その人生】

■戦国時代、婚姻は外交手段だった

1586(天正14)年、秀吉の妹・あさひが徳川家康に嫁いだのは、豊臣と徳川の対立を収めるためでした。ドラマでは、仲睦まじい夫婦が引き離されるという切ないストーリーとして描かれましたが、戦国時代、こうした政略結婚は珍しいことではありませんでした。

戦国大名にとって、他家との婚姻は、同盟を結び、強めるための重要な外交手段。娘や姉妹を嫁がせて親戚関係になり、武力による争いを避け、領国の安定を図る目的もあったのです。

あさひと家康の結婚については、従来の通説では秀吉からの申し入れとされていましたが、今回のドラマでは、縁組みを求めたのは家康側という新説が採用されました。このことからもわかるように、政略結婚は、嫁がせる側と迎える側、双方の思惑が絡み合う外交交渉だったのです。

■戦国時代の女性は、政治の駒だった?

家同士の利益が優先される結婚で、女性たちの意思はどこまで尊重されたのでしょうか。

大名家の娘や姉妹は、政治情勢によって嫁ぎ先が決まり、時には敵対する家に嫁ぐことも。生まれ育った家を離れ、見知らぬ土地で暮らす女性たちの人生は、政治に大きく左右されていたのです。

その一方で、近年の戦国女性史の研究からは、女性たちが一定の権限をもち、家の運営や婚姻に関わっていたことも明らかになってきています。

例えば、秀吉の正妻・寧々。彼女は夫の新たな結婚に対して、重要な権限をもっていたと考えられています。

■関白の結婚にも、正妻の承認が必要だった

前回の第39回では、秀吉と茶々(井上和さん)の結婚が描かれました。ここにも、戦国女性の立場を知るうえで興味深い話があります。

第39回より(C)NHK

歴史学者・黒田基樹氏によれば、戦国時代は一夫多妻・多妾制で、複数の妻が存在していました。そのうち家政(家中の行政・財政・雑務などの経営・管理)を担う女性が「正妻」、それ以外の妻は研究上「別妻」と呼ばれています。現在よく使われる「側室」という呼び方とは、少し事情が異なっていたのです。

注目したいのが、正妻に与えられた権限です。

正妻には、夫が誰を別妻や妾として迎えるか、また、そこから子どもが生まれることを認めるかどうかについて、承認する権限があったと考えられています。例えば、関白・秀吉が茶々を妻に迎える際にも、寧々の承認が必要だったのですね。天下人の秀吉といえども、妻を増やすことを自分ひとりでは決められなかったとは、ちょっと意外ではありませんか?

さらに、茶々自身も、ただ秀吉からの求婚を受け入れただけではなかったようです。1583(天正11)年、越前北庄城の落城後に茶々は秀吉から求婚されますが、妹ふたりの結婚を取り計らうことを条件に、それに応じたとされています。

寧々には夫の婚姻を承認するかどうかの権限があり、茶々は自らの婚姻に際して条件を示していました。戦国時代の女性たちにも、それぞれの立場で意思を示し、交渉する余地があったのですね。もちろん、すべての女性が同じような権限をもっていたわけではないでしょう。あさひ自身が家康との結婚をどう受け止め、どこまで自分の意思を示せたのかも、明らかではありません。ただ、戦国時代の女性たちを、政治に翻弄されるばかりの存在として捉えると、見落としてしまうこともありそうです。

黒田氏は、これまでの大河ドラマでは「側室」とされてきた茶々を、今回初めて「妻」として描いた点にも注目しています。『豊臣兄弟!』は、戦国女性の結婚の在り方を、近年の研究成果を踏まえ初めて表現した、画期的な作品とも言えそうです。


【次回『豊臣兄弟!』第41回「家康の野望」のあらすじ】

あさひ(倉沢杏菜さん)の輿入れも功を奏さず、上洛しようとしない家康(松下洸平さん)。だが秀吉(池松壮亮さん)がなか(坂井真紀さん)まで人質に差し出したことで、ついに根負けする。とはいえ、それは形ばかりの上洛だと察した秀長(仲野太賀さん)は、謁見前夜に接待の場で家康に胸の内をさらけ出し、豊臣が真に手を取り合うべき相手か見極めてほしいと告げる。しかし家康は、この機に乗じて秀吉の懐刀である秀長を暗殺しようと企てていた。

(C)NHK
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※『豊臣兄弟!』第40回「あさひの輿入れ」のNHK ONE配信期間は2026年10月25日(日)午後8:44までです。

この記事の執筆者
美しいものこそ贅沢。新しい時代のラグジュアリー・ファッションマガジン『Precious』の編集部アカウントです。雑誌制作の過程で見つけた美しいもの、楽しいことをご紹介します。
WRITING :
河西真紀
参考資料: 『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『NHK大河ドラマ・ガイド 豊臣兄弟! 完結編』(NHK出版)/NHK 大河ドラマ『豊臣兄弟!』公式 「X」/駿河台大学 学部・研究レポート「黒田教授の『豊臣兄弟!ワンポイント解説』」https://www.surugadai.ac.jp/toyotomi/ /東京大学史料編纂所「大日本史料 第十一編之二十九」(https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/56/pub_shiryo-11-29/)/NHK財団・ステラnet「豊臣兄弟! 第40回 歴史コラム」(https://www.steranet.jp/articles/126582) :