人間の手が持つ可能性を追求していた、古きよき時代のものづくりに魅せられ、東京・原宿で長年アンティーク時計店を営んでいる山下千佳久さん。1970年代以前につくられた美しい時計が並ぶそのショーケースの中でも圧倒的なオーラを放っているのが、「非売品」の札がつけられた小さな懐中時計である。

時計産業全盛期に作られたエナメル工芸の最高傑作

世界一美しい懐中時計

1850年代以前は、時計のゼンマイの巻き方はケースに鍵を挿して巻く「鍵巻き式」が主流だった。今回紹介した時計は、鍵巻き式のケースにリューズをあとから取り付けていることから、19世紀半ばのものと推測された。裏蓋を開けるとわかる、緻密な細工が施された機械もまた見事。(ワンミニッツギャラリー)※非売品
1850年代以前は、時計のゼンマイの巻き方はケースに鍵を挿して巻く「鍵巻き式」が主流だった。今回紹介した時計は、鍵巻き式のケースにリューズをあとから取り付けていることから、19世紀半ばのものと推測された。裏蓋を開けるとわかる、緻密な細工が施された機械もまた見事。(ワンミニッツギャラリー)※非売品

そのゴールドのケースや文字盤に施された細工の数々、そしてブレゲ針の見事な立体感は、現在の技術では再現できないほど緻密で美しいものなのだが、その真骨頂はショーケースから取り出して、実際に手にとってみないと拝めない。さあ、じっくりとご覧あれ。裏蓋に施された華麗なるエナメル金彩装飾を……!

「19世紀のジュネーブで、時計産業と並び隆盛を極めていたエナメル工芸。この懐中時計はその集大成とでもいうべき、特別に手の込んだものです。こういった時計は手作業で彫り込んだ細工にエナメルを流し込んだあと、1色ごとに窯で焼かなくてはいけない。効率を重んじる現在では、とてもつくれない時計なのです。詳細な年代はわかりませんが、もともと鍵巻き式だったケースをリューズ式にカスタムしていることから推察するに、おそらく19世紀半ばの作品でしょう」

この素晴しいつくりと芸術性を見れば、さぞかし腕のよい時計師の作品であることは間違いないが、なぜかこの懐中時計は無銘である。それはブランドという概念が確立する直前、人々がモノ本来の価値を見極められた時代があったことの、まさに証明といえるのかもしれない。

※2015年秋号取材時の情報です。
この記事の執筆者
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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2015年秋号 時を超えた名品たちより
名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。
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クレジット :
撮影/戸田嘉昭(パイルドライバー)構成/山下英介(本誌)
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