わたせ氏の漫画の特徴として、自筆のセリフやモノローグも挙げられる。言葉数は多くないのに、思いやりを感じさせる言葉選び。時に詩を読んでいるような感覚になる。

大学時代、文章の道に進むことも考えた

©わたせ せいぞう/講談社

絵も好きだったけれど、大学時代には小説家になりたい思いもあったんです。あの時代だと、やっぱり村上春樹さんは読んでいましたね。将来は新聞記者もいいかなと、ずっと文章は書いていたんです。だから絵も文章も両方好きで、どっちが好きかは選べませんね。

大きな転機となったのは就職活動中の、ある1日だった。

就職活動をしていた時、学校推薦だった損害保険会社と、希望していた新聞社の試験が同じ日になりました。午前中に池袋で損害保険、午後1時から銀座で新聞社。1時間もあれば移動できると思っていたんです。そうしたらの損害保険の面接時間が延びて、僕の3人手前で昼食の時間になってしまったんです。あいうえお順ですから、渡瀬は最後の方でしょう。一瞬でどちらかを選ばなければいけなくなったのですが、ここは動かない方がいいと心に決めて、損害保険の会社に入社しました。

大手損害保険会社に入社し、傍目には順風満帆。でもずっと描きたい思いを抱えたまま勤務していたという。

ある時、直木賞作家の永井路子さんにお会いする機会を得ました。永井さんに僕の小説を読ませるのも失礼だと思って、一夜漬けで4コマ漫画を描いて持っていったんです。永井さんに「漫画家になりたいの?」って聞かれて「はい」と返事したら、出版社を紹介してくださって。漫画の新人賞を受け始めて、小学館のビッグコミック賞を受賞してから、少しずつ扉が開いていった感じです。

そこからようやく漫画家としての活動をスタートできるのかと思いきや、そううまくはいかなかった。

漫画と会社員の二足のわらじだな、と思っていたところで長野市に転勤になってしまいました。会社員としては出世コースだけれど、当時の漫画家やイラストレーターは東京にいないとだめ。常にレスポンスよくしておかないといけないし、編集者が作品を受け取りに遠方までくる時代でもありませんでしたから。だから描くことは諦めましたね。

作家としては40歳がターニングポイントに

しかし長野に赴任して3年目に、チャンスが訪れる。

ある出版社の若い編集者から「ちょっと描いてみませんか?」って電話があって、週に2ページ描くことになりました。毎週2ページって大変かと思いきや、意外と苦もなくできたんですね。それで翌年、東京に戻ってきて1977年から連載を始めました。ここから二足のわらじが始まりました。長野にいた4年間に漫画を描きたい気持ちの残滓がなくなったから、すっと気持ちよく漫画に取り組めたのかもしれません。

簡単に二足のわらじと言っても、当時のわたせ氏には部下もおり、責任のある立場。しかもそれまで保険業界はアルバイト厳禁の中、どうやって描いていたのだろうか。

根回しをして会社のパンフレットなどに絵を描きながら、作家活動をしていたので許されていたんです。役員からは「成績が落ちたら絵を描くな」とプレッシャーをかけられていたけれど、若い部下からは好意的に受け止められていましたね。『ハートカクテル』の読者層と部下がちょうど同じ世代だったし、効率よく仕事をして成績もよかったので若い部下は応援してくれていました。仕事しながら漫画の案を考えていてもろくなものは浮かばないし、土日に会社のことを考えると絵が描けない。平日は業務を消化して、土日は絵に集中するスタイルを徹底していました。でも平日は仕事、絵は土日と割り切っても「平日も絵が描けたら」という思いは3年くらいずっとありました。

『ハートカクテル』を描き始めて3年目の1985年、16年間所属した営業部から企画部の課長への辞令が出る。この時、40歳。これが専業作家に向けての契機となった。

企画部は会社の中枢で、その辞令を出したということは会社もどちらかに絞れということだったんでしょう。企画部にも魅力を感じましたが、絵を描くのを止めてまで、とは思えませんでしたね。やっぱり描きたかったんですよね。後悔したくない、と。家族は賛成してくれましたが、会社からは引き止められましたよ。「早まるナ」と言ってくださった役員もいました。

当時、損害保険会社は有望企業だったためサラリーマンの友人にも止められた。

ある友人に「なんで辞めるんだ、易者に見てもらえ」って言われてね、上野で見てもらいました。ああいう人たちは、まず恫喝するんですね(笑)。いきなり「その腕の組み方、だめだ。悪い」って。なんでもないところでしょ? 最終的に言われたのは「会社を辞めたら2年で一家離散だ」。でも僕の勢いは絵の方にいってましたから。50歳の自分が40歳の自分を見たら「なんで絵を止めたんだ」って言うかなと思ってね。だから辞令が出て1週間後に「辞める」と伝えました。

40歳で専業作家に。デビュー年齢が若い漫画家ということを考えれば、回り道をしたように見える。

会社を辞めて思ったのは、つくづく大きな傘に守られていたんだな、ということです。様々な年代の人とコミュニケーションできるし、上の人がいろんなことを教えてくれるし。出版社も組織ですよね。今の担当者を大切にすれば次につながっていく。組織を知らなかったら、とんでもないことを言い出したかもしれないです。だから回り道をしてよかったのかもしれません。

次回はわたせ氏の華やかなる漫画世界を形作るファクターをうかがっていく。

ワンダーカクテルの本編はこちらから!

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