通りがかりの人に道を尋ねることは、今では珍しくなった。しかし、私がナポリに住んでいた当時、だれそれ構わずに道を聞くのはナポリ人の生活の知恵だったし、たびたび実践もした。それは、初めて道に迷ったときだった。
「プレビシート広場の近くにある、ピッツェリーア『ブランディ』はどこかご存知ですか?」
「『ブランディ』か、あそこのピッツァはうまいぞ!」
「やっぱり、そうですか」
「ここをまっすぐ行くと、トレド通りにぶつかるだろ。わかるか?
そこをすぐに右に曲がり、坂を上った右側に『ブランディ』の旗が見えるからな」
「グラツィエ!」
教えられたとおりの道を歩いても、「ブランディ」の旗は見当たらない。周囲をウロウロしても、一向に探し出せなかった。してやられたのか !?
後日、地元出身のナポリ東洋大学教授にこのことを話したら、彼は教えてくれた。
「道順を聞いたのか? まず、聞かれたナポリ人は絶対に知らないとは言わないよ。決して、『ブランディ』の所在地を知らなくても。なぜなら、知らない者が何かを尋ねてきた瞬間に、主従関係が生まれるからだ。頼られた者の立場が上になり、救いを求めている人を無下には断れない。少なくとも、道を知らないと聞いてきた人よりも、少しでも知っているという立ち位置にいるから、何かを伝えなければならない、という義務感がある」
禅問答のような話だが、いかにもナポリ人らしい態度である。もし、日本人が知らない場所を尋ねられた場合、「すみません、この辺りは詳しくないので......」と断りながら、「知りません」と言うだろう。しかし、ナポリ人からすれば、そんな対応は冷たく感じられるそうだ。
今年、およそ18年振りに「ブランディ」を訪ねた。注文したのは、この店が考案した"ピッツァ・マルゲリータ"。
「庶民が楽しんでいるピッツァを食べたい」と熱望した往時のマルゲリータ王妃に献上するため、トマトの赤、モッツァレッラの白、バジリコの緑で、イタリアの三色旗を表したピッツァをつくったのである。
久しぶりに食べた名物のピッツァ。香り豊かなバジリコとトマト、ミルクたっぷりの新鮮なモッツァレッラ、そしてモチモチとした柔らかい生地のうま味が口の中で広がる。ううう......、うまい! ピッツァの代金は、少し値上がりして7.5ユーロだった。
【ピッツェリーア・ブランディ】
撮影したメニューの表紙には、1780年創業とあるが、ホームページでは1760年と記す。この感覚がナポリらしい。マルゲリータ王妃にピッツァを献上したのは1889年。3大テノールのひとり、故ルチアーノ・パバロッティをはじめ、1994年のナポリサミット開催時には、ビル・クリントン元米国大統領なども訪れたナポリ随一の名店だ。
住所/Salita S. Anna di Palazzo 2, Napoli
電話/+39-81-416928
www.brandipizzeria.com
- TEXT :
- 矢部克已 エグゼクティブファッションエディター
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