自伝的小説『火宅の人』を著し、最後の無頼派と呼ばれた小説家、檀一雄。彼は一方で、徹底して食を追求し、土地ごとの美味を求めて国内はもとより海外にまで足をのばしたほどの食通としても知られている。

そんな旅を記録した『わが百味真髄』(中公文庫)には、新そばを求めて信州を訪れた件くだりがある。行った先は戸隠。標高1000mを超える高原は、霧下蕎麦の名産地である。蕎麦に最適の環境は、年間の平均気温が低く、昼夜の温度差が激しい高冷地。さらに、蕎麦の実が育つころに霧が多く発生する〝霧下〞の蕎麦は最高品質を表すものだ。

皇族も訪れる職人気質な峠の蕎麦屋

香り豊かな戸隠の蕎麦はざるが一番

ざる¥750。5つの束にした「ぼっち盛り」食べやすさと見た目の美しさを両立。
ざる¥750。5つの束にした「ぼっち盛り」食べやすさと見た目の美しさを両立。

そんな戸隠で、本物の新そばを味わおうと思ったら、畑から取れた実をその場でひいて打つのが一番だが、そうはいかない。そこで、「大久保の茶屋」に行くほかないと檀は記している。「大久保の茶屋」は創業が文化2(1805)年。店の前の道が善光寺から越後に抜ける街道であったことから、旅人を接待する茶店を開始。以来、200年を超える老舗を守っているのが7代目の西善秀さん。

「戸隠では戦前まで主食は蕎麦。一時期、その蕎麦の生産量も減っていましたが、最近は安定してきたようです。おかげでいい蕎麦がいつでも出せるようになりました」

  • 入口付近の囲炉裏の席が山里に来たことを実感させる。
  • 大人数を収容できる広い店内も、新そばの季節には満席に。

歴史を物語る茅葺きの建物には皇族方も訪れ、首都圏から蕎麦を目当てに来る人も少なくない。そんな有名店でありながら、西さんはうまい蕎麦を出すこと以外に興味はないといった様子。それは、腕を磨くことに気持ちが向いているからこそ。昨今失われつつある職人気質が戸隠の蕎麦の伝統を守り続けているのだ。

大久保の茶屋
長野県長野市戸隠豊岡2764
TEL:026-254-2062
http://www.ookubonotyaya.jp/
営業時間:10時~18時(冬季は日没まで)
無休
アクセス/JR「長野」駅より「戸隠キャンプ場」行きバスで約50分。※価格は税込みです。

※2009年春夏号取材の情報です。

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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2009年春夏号、文士が愛した寿司屋と蕎麦屋より
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PHOTO :
小西康夫