『フロム・ファーストビル』の誕生が、ファッションの街・南青山の端緒になった

『バー・ラジオ』をオープンする前は、新宿の『ダグ』(※1)というジャズ喫茶店で働いていました。お客様に、当時芸大生だった杉本貴志(※2)さんがいらして、親しくなりました。そろそろ独立しようかな、というタイミングで杉本さんが神宮前2丁目に良い物件を見つけたので、私に「店をやれ」と言うのです。自分で内装をデザインしたかったのですね。それが1972年のことです。

1972年に神宮前にオープンした当時の店内で、ゲストと談笑する尾崎氏
1972年に神宮前にオープンした当時の店内で、ゲストと談笑する尾崎氏

当時の神宮前はファッションブランドのお店はおろか、お店自体ほとんどありませんでしたし、人も歩いていませんでした。そもそも私は一文無しで、場所を選べた身分ではなく、杉本さんが見つけた場所に出すしかなかったのです。

そういう経緯がありますから、神宮前に対するイメージは何もありませんでした。『バー・ラジオ』を出した頃の南青山はとんでもない高級住宅地で、そもそも飲食店が少なかったですから、バーを出せるような物件はありませんでしたしね。

『バー・ラジオ』3店舗となる『サード・ラジオ』は、南青山3丁目にある
『バー・ラジオ』3店舗となる『サード・ラジオ』は、南青山3丁目にある

今風になってきたのは、1975年に『フロム・ファーストビル』(※3)ができたあたりからでしょうね。でも街としては、まだ発展途上。『根津美術館』(※4)も古めかしくて、スリッパに履き替えて見学した記憶があります。

素敵な洋服を買ったら、それを着てバーへ訪れた時代

1970年代、キラー通りには『VAN』(※5)や『エドワーズ』(※6)、コシノジュンコ(※7)さんの最初のブティックなどがありました。コシノジュンコさんの店が入っていたマンションの地下には骨董屋さんがあって、イギリスのアンティークを中心に素晴らしい家具が揃っていましたね。『フロム・ファーストビル』の1階には、セーターが20万もする『ビブロス』(※8)のお店がありました。

1982年に改装した『ファースト・ラジオ』の店内
1982年に改装した『ファースト・ラジオ』の店内

石津謙介(※9)さんがこの辺で遊んでいらした頃、今、国道246沿いにある『ブルックス ブラザーズ』が入っているビルの上に『VAN 99ホール』(※10)を始められて。『VAN』は20代後半向けのブランドでしたが、イタリーファッションをかなり取り入れた『エドワーズ』と『JUN』(※11)のお店ができて大人が楽しめる街に変わってきました。

ファッションに合わせてバーも盛り上がりを見せます。素敵な洋服を買ったら、着て出かけたくなるでしょう。当時はカフェと呼ばれる形態の店はまだありません。気取って休息するのは喫茶店の時代で、気の利いたフレンチやイタリアンのレストランはありません。だからバーに出かけるのです。洒落た大人が『バー・ラジオ』にはたくさん来てくれました。

1980年代後半の青山同潤会アパート付近の様子
1980年代後半の青山同潤会アパート付近の様子

1980年代に入ると南青山が大人の隠れ場所になり始め、界隈にもバーがポツポツできていました。南青山は、ものすごくゆっくり大人の街になっていったのですよ。

尾崎浩司さん
『バー・ラジオ』マスター
1944年生まれ。1972年『バー・ラジオ』、1986年『セカンド・ラジオ』、1998年『サード・ラジオ』をオープン。茶道の美意識を基に、独学でバーテンダーとしての現在のスタイルを作り上げる。現在は『サード・ラジオ』を改め『バー・ラジオ』の1店を営業中で、尾崎氏は月に10日ほど店に立っている。華道小原流教授。
※1 写真家の中平穂積氏が純粋にジャズを楽しめる場所がほしいと、1961年に『ダグ』の前身となるジャズ喫茶『ディグ』をオープン。1967年にジャズバー『ダグ』を開店させ、現在も営業を続けている。
※2 1945年生まれ。インテリアデザイナーとして『西武百貨店』、『無印良品』各店、『パークハイアットソウル』、『ハイアットリージェンシー京都』などを手がける。2018年没。
※3 1975年竣工。青山・みゆき通り沿いにある煉瓦タイルが印象的な商業ビル。アパレルを中心としたファッションブランドの店舗のほか、オフィスも入居する。
※4 東武鉄道の社長などを務めた実業家・初代根津嘉一郎氏の、日本・東洋の古美術品コレクションの保存・展示を目的に1941年開館。国宝7件、重要文化財87件、重要美術品94件を収蔵。
※5 1954年ブランドデビュー。当時アイビー・ファッションブームを牽引し、流行に敏感な若者から絶大な支持を得た。
※6 1963年創業。ヨーロピアンエレガンスなテイストを打ち出し、大人も満足させる日本のメンズファッションの潮流を作った。
※7 1939年生まれ。1978年にパリ・コレクションに初参加して以来、世界各地でファッションショーを開催。衣装やユニフォームも数多く手がける、日本を代表するファッションデザイナーの一人。
※8 1973年にデビューしたイタリアのファッションブランド。若い気鋭のデザイナーを起用することでも知られ、1977〜1979年はジャンニ・ヴェルサーチがデザインを手がけていた。
※9 1911年生まれ。『VAN』の創業者であり、アイビールックの生みの親。ファッションデザイナー、プロデューサー、服飾評論家、エッセイストとして活躍。2005年没。
※10 1972年オープン。料金99円、99人収容と99にこだわった『VAN』の自主企画・自主運営の小ホール。『つかこうへい事務所』や『東京ボードビルショー』などが公演を行った。
※11 1958年創業。アイビールックとは違うヨーロピアンスタイルを提案。現在ではメンズ・レディスのファッションブランドのほか、飲食店やゴルフ場、ワイナリーも展開している。
この記事の執筆者
フリーランスのライター・エディターとして10年以上に渡って女性誌を中心に活躍。MEN'S Preciousでは女性ならではの視点で現代紳士に必要なライフスタイルや、アイテムを提案する。
PHOTO :
小倉雄一郎
COOPERATION :
ARTS
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