外界と繋がりたかったから、一軒家を希望して生まれたのが『サード・ラジオ』
『バー・ラジオ』の内装を新たにしてから、少し経った後ですね。青山霊園の下にある南青山2丁目に作りました。
これは杉本さんを通してサントリーから、消費者のお酒のレベルを上げるために良いバーを作ってほしい、との依頼でした。当初、私はサントリーの紐付きでやりたくないと断ったのです。そうしたらサントリーのお酒やロゴ入りのグラスを使わなくてもいいから、と資金を貸してくれました。
スコットランドやロンドンの仕入れも一緒に回ってくれたので、満足のいく品揃えができました。でも杉本さんにインテリアをお願いしたら、サントリーの資金の倍ぐらいかかりましたけれど(笑)。
私も未熟であって、店作りにモダンデザインの力を借りようとしていた時代でした。そしてこの店のインテリアデザインは失敗でした。私は柔らかなものが好きですが、ここは無機質で情緒がありませんでした。内装ができた後も私が少しずつ手を加えていきました。
『バー・ラジオ』は半地下、『セカンド・ラジオ』は完全な地下でした。だから次の店は狭くていいから、外界と繋がりたかった。窓から雪が降る風景を見たかったのです。
ビルにあるお茶室は坪庭を作るでしょう。この物件も、もし外が見えなかったら小さい庭を作ろうと思っていたのですよ。人間って自然があるとほっとするでしょう。私が店に生花を切らさない理由も、生の花を見ると神経が休まるからです。そしてデザインしたことを感じさせないよう、天然の木を使い、土壁にして古民家風の内装にしました。
だから3店の中で一番立地を気に入っているのは『サード・ラジオ』です。先の2店は紹介で、私が見つけたのはここだけですから。表参道の駅も根津美術館も近いですし、奥はまだ高級住宅地。高級店が揃っていますしね。土地の価格が防波堤になって、安っぽいものが進出できないところが良いのです。
でも一番思い入れがあるのは、時代もありますが神宮前の『バー・ラジオ』です。おもしろい人種がたくさん集まっていましたから。
日本のバー文化の原点・銀座に対して尾崎氏が思うこと
かつての銀座には憧れのものがたくさんありましたね。『バー・ラジオ』を始めて、7年ほどしてからお客様に『クール』(※1)と『サン・スーシー』(※2)に連れて行ってもらいました。どちらも、いきなり行っても入れませんから。
伝統ある古いバーの良さに初めて触れました。同時に銀座で古格のバーテンダーの美意識にも。臭うポマードをこってりつけて、紐みたいなネクタイをして、毛糸のチョッキを着ていたのです。とはいえ、今も一流店が揃う銀座が一番格調を保てていますし、界隈のバーのレベルは高いです。
でも銀座にも南青山同様、コンビニやドラッグストアが出店し始めているでしょう。パリやロンドンは、そういった店を受け入れませんよね。パリのマクドナルドは内装を現地仕様に変えさせていますが、最低限それはしないといけません。だからパリやロンドンは街並みがピシッとしている。
一度、美というフィルターに通してほしいのです。崩れ始めたら、崩れっぱなしになります。上にいる人間に、ピシッと締めておいてほしいですね。
※2 1929年オープン。交詢社ビルに店舗を構え、当時珍しかった洋酒を提供して人気を博した。2002年閉店。
- TEXT :
- 津島千佳 ライター・エディター
- PHOTO :
- 小倉雄一郎
- COOPERATION :
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