仮縫いの日を迎えた。注文してから通常1か月ほどで仮縫いとなるが、私の都合があって、それまでの時間をゆっくりと取ってもらった。

 仮縫いは、まずパンツをはく。純氏が丁寧にウエスト周りを合わせる。以前、「若い世代は、“ローライズ”というカジュアルな着こなしで、ドレスのパンツでも随分と下げてはくようですが、腰骨の上にウエストラインが載るように位置づけます」と純氏が言っていたことを思い出した。股上を深くしたパンツで、ブレーシズを付けてはく場合は、腰骨よりも少し上の位置にウエストラインを合わせるそうだ。

  • セミノッチドラペルをデザインしたシングル2つボタンから漂う、この凛としたたたずまいを見てほしい。一朝一夕では成し得ない、凝縮された伝統の技から生まれるスタイルだ。
  • 今回、「ハンドメイドオーダー」で注文。製作の楽屋裏は、純氏が声を掛け、翔氏が型紙を引いたそうだ。5世代にわたって継承する“ニッポンスーツ”の矜持である。
  • 仮縫いでは、白い布地を使ってボタンやポケットの位置を示す。中縫いはなく、1度の仮縫いで仕立て上げるのが、銀座名店の流儀である。
  • そで口のカフは、「開けみせ」で仕上げる。何度かスーツを着用した後、同店で「本切羽」に仕上げてくれる。2着目以降の注文で、そで丈が決まっていれば「本切羽」での仕上げも可能だ。

 次にヴェストをはおる。パンツのウエストラインが隠れ、ヴェストのすそのラインが綺麗に見えるバランスのいい着丈をとらえる。ヴェストからパンツに一直線に繋がるスマートなラインがクラシックの王道。つい最近まで股上の浅いパンツが人気だったため、ヴェストを合わせたスタイルでは、パンツとヴェストの間からシャツがのぞく格好がしばしば見受けられた。それは、紳士服のルールから逸脱しているのである。私は、ヴェストは体にフィットした着心地が好みのため、より体に沿ったラインを希望した。そこで純氏から説明があった。「サイドアジャスター付きの当店定番のヴェストは、ウエスト回りのサイズ調整が簡単にできます」。なんと、「髙橋洋服店」で50年も前からつくり続けているヴェストの仕様だそうだ。

  • 特殊な設定によるヴェストを選んだ。フロントは6つのボタンを配したシングルタイプだが、そのボタンの位置が往年の「キルガーフレンチ&スタンバリー」のデザインを思わせる。
  • パンツはベルトレスでサイドアジャスターを付けたデザイン。本格的なブレーシズも楽しめるように内側にはボタンを配した。
  • パンツはボタンフロント仕様。ウエスト周りをしっかりとホールドする、パンチェリーナもデザインする。一つひとつのボタンは、留めやすいように十分に「根巻き」されている。
  • 刺繍で記したネームタグ。これなら何年経っても、名前と仕立てた年代が色褪せることなく読み取れる。細かいところまで行き届いた配慮は、このネームタグにも潜む。

 そしてジャケットを着る。純氏は肩の位置を確認し、私から離れて全体を眺めはじめた。ジャケットのすそと地面が水平になっているかの確認のようである。ジャケットのすそを水平に合わせるのが「髙橋洋服店」の伝統的な見立て。これまで経験してきたイタリアのテーラーでは、まったくなかった新鮮な視点だ。仕上がったときには、静的で凛としたたたずまいが表現されるのであろう。期待が高まる。

 そで付けは、鎌深の浅い(アームホールの小さい)仕立てである。腕を上げ下ろししても、決してジャケットの身頃がひっぱられることはない。可動域の広い、心地のいいフィット感がすでに備わっていた。そのとき、純氏は“髙橋流”そでつけの奥義を語った。「通常のスーツと礼服とでは、そで付けを若干変えています。礼服は、直立した“気を付け”の姿勢をより美しく見せるために、普段に着るスーツでは、前かがみで仕事をすることが多いため、より快適な動作ができるように」と。そで付けひとつとっても、長年の仕事で培ってきた、服づくりの細かい技が生かされているのである。

 もう一度鏡を見ると、ヴェストのラペルが小さく感じたため、少し大きく修正してもらうことにした。

「髙橋洋服店」の仮縫いは基本1回である。そのため、採寸時の入念な体型観察や、正確な型紙製作に一層気を配っている。何度も仮縫いをするほうが、有難みがあるように感じる人も多いようだが、芯据えを施し、ポケットをつくってからの中縫いは行わずにスーツを完成させる。複数回にわたる仮縫いの試着は、逆にいえば、そもそもの体型観察や型紙作製に問題が生じたため、補正箇所が多くなったことを意味する。もちろん例外はあっても、「1回の仮縫いで済ませるように努力しています」と純氏は言う。また、「仮縫いのときは、多くの目がある方がいい」と話す。つまり、正確なフィッティングと綺麗なラインを見極めるため、純氏と翔氏のふたりで仮縫いを行う。さらに、他のカッターがいれば、彼らの目が加わることもあるそうだ。

 いよいよスーツの完成だ。スリーピースを試着すると、これまでにない緊張感があった。選んだ生地のフォーマルな風合いや丁寧な採寸と仮縫いに込められた、仕立ての要素すべてが伝わってくるような、気持ちまでもシャキッとする感覚だ。「確かな着心地」というものが渾然一体となっていた。

 最も薄いタイプの肩パッドを使った肩は、直線的なラインを描いているが、自然になじんでくるやわらかさがある。胸元に目を移せば、セミノッチドラペルは、時代を超越した普遍的なバランスを備える。ヴェストのデザインが個性的だ。往年の「キルガーフレンチ&スタンバリー」を彷彿させる、ふたつずつボタンを近づけたデザインや、すそを鋭角的に仕上げた前身頃にエレガンスが宿る。ストンと下に落ちるシャープなシルエットのパンツは、ツープリーツですそ幅19,5cm。スーツの着心地を通して安心感も伝わってくるのは、実に珍しい体感である。

 着用してふと気づいたのは、ジャケットのそで口は、「開けみせ」になっていたこと。日本やイタリアでも、多くのテーラーは「本切羽」にしてそで口を仕上げるが、「髙橋洋服店」は違う。何度かスーツを着ているうちに、生地が体になじみ、自然とそで丈の位置が決まる。そのときに「本切羽」に仕上げる、という考え方だ。

 待望の「髙橋洋服店」のスリーピーススーツ。フォーマルなシーンを中心に、日常でもエレガントなスタイルを楽しみたいとき、このスリーピースにそでを通すことになるだろう。これから先、ゆっくりと時間をかけてスーツを体になじませていこうと思っている。名門の仕立てスーツの凄みは、どんなときにあらわれるのだろうか……。

問い合わせ先

  • 髙橋洋服店 TEL:03-3561-0505
  • 住所/東京都中央区銀座4-3-9 タカハシクイーンズハウス3階
    営業時間/11:00~19:00 日曜・祝日休み

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この記事の執筆者
ヴィットリオ矢部のニックネームを持つ本誌エグゼクティブファッションエディター矢部克已。ファション、グルメ、アートなどすべてに精通する当代きってのイタリア快楽主義者。イタリア在住の経験を生かし、現地の工房やテーラー取材をはじめ、大学でイタリアファッションの講師を勤めるなど活躍は多岐にわたる。 “ヴィスコンティ”のペンを愛用。Twitterでは毎年開催されるピッティ・ウォモのレポートを配信。合わせてチェックされたし!
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