1泊2日のパリ美食の旅! 高級エリア、モンテーニュ大通りで最高の贅沢を
シャンゼリゼ通りからセーヌ川方面へと続くモンテーニュ大通りはシャネル、セリーヌ、クリスチャン・ディオール、ルイ・ヴィトンといったフランスを代表するブランドブティックが並ぶパリ屈指の高級エリア。
その一画にあるのが「プラザ アテネ」だ。フランスのホテル格付けでは2010年に5つ星のさらに上の「パラス(宮殿)」という最高級格付けが誕生したが、1913年の創業以来数多くのセレブたちが滞在した「プラザ アテネ」は当然のごとくパラス認定されており、昔の今もパリを代表する最高級ホテルなのだ。
パリを代表する最高級ホテル「プラザ アテネ」から見るエッフェル塔
シャルル・ドゴール空港から乗ったタクシーを降り、正面入り口に降り立ってみるとこれが意外とこじんまりとした外観。しかしレセプションへと一歩足を踏み入れてみると優雅な空間が広がっており、なによりもスタッフはじめそこに集う人々からは実にエレガントな空気が漂っていたのだ。
案内された部屋はサロンとベッドルーム、そしてウォークイン・クロゼットのあるスイート・ルームで窓を開けると目の前にエッフェル塔が見えた。
下を見下ろせば先ほどタクシーを降りた車止めが見えるので、どうやら入り口の真上にある最も眺めの良い部屋のようだ。
今回「プラザ・アテネ」に泊まるのは1階にあるメイン・ダイニング「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」で食事するためだ。
現在ミシュラン3つ星の「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」はアラン・デュカスが世界各地に持つレストランの中でもモナコの「ルイ・キャーンズ」と並んで最も格が高いレストランだ。
ここはベルサイユ宮殿か、と思わせるような豪華なシャンデリアとロココ調の室内に、鏡のような球体のソファが並ぶ、いわゆるグラン・メゾンというよりもモダンなインテリア・ショップのようなデザイン。
「プラザ・アテネ」は、冬季には中庭に特設スケートリンクが登場するのだが、この夜はその中庭をのぞむ窓際の席に通された。
チーズを揚げた軽いスナックがアミューズブーシュとして登場し、ソムリエが注いでくれたのはシャンパーニュ、ドン・ペリニヨンの中でも16年の熟成期間を経てリリースされる最高級ラインP2 1998だった。
ドン・ペリニヨンはその芳香を存分い引き出すため、通常のフルート・グラスではなく白ワイン用のグラスでサーブされる。繊細な泡とシルキーな舌触り、そして無限のミネラル感と果実の凝縮感、申し訳ないがすいすい飲めてしまう。
最初の前菜は「帆立のグリルにカボチャのソース、黒トリュフ」。
アラン・デュカスの料理を食べるのはこれで3回めだが、いわゆる正統的なフランス伝統料理ではなく国境を超えたボーダーレスな地中海料理で、より軽快でイタリア的エッセンスもとりいれてある。
次に登場したのはなんとイタリア料理で「白トリュフのリゾット」。サービススタッフがアルバ産の白トリュフを、さっさっさと目の前で数回削ってくれた。
アラン・デュカスが考案した調理器具にクック・ポッドという白い耐熱磁器があるが、次の料理はこれを使った「冬野菜と豆類のブレゼ」。上品なスープとともに根菜や豆を器ごとオーブンで軽く火を通した、滋味深く、寒い日には体の奥からしみじみする冬の料理。
続くメインも同じクック・ポッドで今度は「仔牛肉と黒トリュフ」。
料理名だけ見るとロッシーニ風のような濃厚かつヘビーな料理を想像するが、これはその正反対。軽快で淡白、しかし香りは芳醇かつ濃厚。それでもメニューはまだ終わらない。
最後に登場したデザートは熱々の「フォンダン・ショコラ」でこれによく冷えたP2をあわせるとたまらない。デュカスの料理を堪能したあと1階のバー「ラ・ギャルリー」でコニャックを一杯、部屋に戻るとさらにサービスのシャンパーニュが届いていたがさすがにもう十分、これは封を開けずに眠りについた。
翌朝、再び朝食で「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」へ。このレストランはディナーももちろんだが、朝食が実に美味しいのだ。
しぼりたてのフレッシュオレンジジュースとカフェオレは定番だが、籠に満載で登場するペストリーが実に美味しい。クロワッサン、パン・オ・ショコラ、クグロフ、カヌレ、パン・ド・エピなどなど。
聞けばペストリーシェフはフランス一に選ばれたこともあるそうで、しかも食べきれない分はスタッフが紙袋に包んで渡してくれるのだ。
ホテルをチェックアウトし、再び車で空港に向かう途中おもむろに紙袋を開けると甘美な香りが溢れ出し、至福の時を思い出す。
ああ、また来たい、香りだけでそう思わせる、デュカスの心憎い演出がそこにあるのだ。
Hôtel Plaza Athénée
www.dorchestercollection.com/en/paris/hotel-plaza-athenee/
- TEXT :
- 池田匡克 フォトジャーナリスト