スイス大使公邸でのパーティにずいぶん早く着いてしまった小生が、庭を見せてもらいに外へ出たら、彼がいた。花の種類でも確かめるようにしゃがみこんで地面を弄っていたその男が、初めて会うフランソワ-ポール・ジュルヌ氏その人だった。いい庭ですね、と話しかけると「だけど、プールはないみたいだよ」と返してきた。もう探検済みだったのだろう、すでに名前を知られていたのだけれど、自らの好奇心を抑えたりはしない。旺盛なクリエイティブは、奔放なインプットの産物なのか。
時計の歴史を変えたF.P.ジュルヌの総帥フランソワ-ポール・ジュルヌ氏
目が澄んで人当たりの柔らかい男の才能は、その後も果てしなく花開いていった。最新の「トゥールビヨン・スヴラン・ヴァーティカル」は、予想のできないイマジネーションが、真似のできない創造に実を結んでいる。何よりトゥールビヨンが、文字盤と垂直方向に組まれているのである。9時位置のケージは、横方向からの回転をこちら側に見せる。誰も、こんなトゥールビヨンを見たことがないだろう。
「トゥールビヨン・スヴラン・ヴァーティカル」
当のジュルヌ氏は「これでいい」とする。本来、トゥールビヨンは懐中時計の機構であり、ポケットの中で重力に対して垂直、つまりはヴァーティカルの位置にあった。だから、腕時計ならばこれでいいのだ、と。発想はできても実現できそうにないその考えを、天才は形にしてみせた。しかも通常のトゥールビヨンのような1分1回転ではなく、倍速の30秒で周回させる。さらに、1秒を1ステップで進む“デッドビート・セコンド”、トルクを一定に保つ“ルモントワール”という、メゾンのお家芸ともいえるスペシャルな超絶機構も同載する。そもそもこの腕時計は、1999年に誕生した最初のルモントワール機構を搭載した「トゥールビヨン・スヴラン」の20周年に合わせて制作されたものだ。今までのいいところをひとつも損じることなく、別のステージに昇ったのである。
トゥールビヨンの美しさを再認識できるムーブメント
中身が優れているだけでなく、外見も美しい。ゴールドの文字盤にエナメルのダイヤルを添え、ギョーシェ彫りで仕上げた。7時位置のルモントワール機構は、その作動をスペクタクルとして見せる。9時位置の鏡面研磨された円錐型リングが集光し、反射光のスポットをトゥールビヨンに集める。偶然ではなく、叡智が美を造る腕時計である。
初めて言葉を交わしたときの、ジュルヌその人は、生き生きとした目をした人当たりのいい男だった。老成してもその印象は、全く変わらない。天才時計師といわれて久しいが、正確にいえば「わかりやすい天才」である。才気があるのに気難しくはないのは、本人も腕時計の作風も共通なのである。
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- TEXT :
- 並木浩一 時計ジャーナリスト