現在公開中のドキュメンタリー映画『マックイーン:モードの反逆児』で再び熱い注目を浴びているイギリス人ファッションデザイナー、アレキサンダー・マックイーン。そのドラマティックな人生は過去の天才達の定石を踏み、激しく短い。類稀なる創造性でモード界を揺るがした彼の、輝かしい功績を振り返りながら、自らを死に追いやった心の闇について紐解きます。
あらためて振り返る、アレキサンダー・マックイーンの光と闇の人生
マックイーンは物議をかもすブランド
アレキサンダー・マックイーンはひと言で言うなら「コントロバーシャル(Controversial)」、つまり物議をかもすブランド。ファッションを単純に綺麗なもの、気分が上がるもの、と捉えていたら、マックイーンは一見常識破りで、受け入れがたい世界観を持っています。しかし、次第にその魅力の虜になってしまう。確かなテイラーリングの技術に裏打ちされた、衝撃的でありながら背徳の美しさをもつ服が特徴といえます。
ゲイを公表していたデザイナー、リー・アレキサンダー・マックイーンのキャリアはメンズテイラーの聖地、サビル・ローの「アンダーソン・アンド・シェパード(Anderson & Sheppard) 」でスタートします。当時の顧客にはソビエトのゴルバチョフ元書記長の名前も。
完璧な技術を磨いたマックイーンは、名門セントラル・セントマーチンズ大学へ進学。その卒業コレクションすべてをインフルエンサーでありスタイリストであったイザベラ・ブロウが購入し、無名だった彼の名をモード界へ知らしめます。
マックイーンのコレクションは、レイプ被害者のように破れていたり(1995年秋冬「ハイランド・レイプ」)、病人のようであったりなど(2001年春夏「ヴォス」)、ときには目を覆いたくなるくらい奇妙で突飛なことで知られています。
彼自身、ひとまずの酷評は想定内。良くも悪くも新聞の一面を飾り、話題になる事が狙いなのです。あまり知られていませんが、2004年、スーパーボウルのハーフタイムショーでジャスティン・ティンバーレイクが破ったジャネット・ジャクソンの衣装は、マックイーンのデザイン。あれはあくまでハプニングですが、私は彼が舞台裏でほくそ笑んでいたような気がしてなりません。
「ひとと同じことをしていてはダメ」、「コンフォートゾーンを飛び出せ」、そして「大人も挑戦し続けろ」。そう叫んでいるようなロンドンの労働者階級出身パンク・デザイナーの才能は、高く評価され大英帝国勲章を始めいくつもの賞に輝きました。
モード界を変えた、モナリザに並ぶアート作品たち
マックイーンの衝撃的な作品の数々は、まるで芝居のような演出のキャットウォークからストリートに流れ、モードの潮流を変えました。
すでに定番柄のように定着しているスカルプリントはその最たるもの。日本でも若い人だけでなく上品なご婦人まで、このちょっと反骨精神を感じるスパイシーなお洒落を楽しんでいます。また初期のものだと、信じられないくらいローライズなジーンズ「バムスターパンツ」。ジーンズは目まぐるしくトレンドが変わるアイテムですが、クールかどうか、と言うよりも人と違う何か、が表現されていたように思えます。そしてレディ・ガガが着用し注目を集めた「アルマジロ」シューズ。実用性は微塵もないですが、一度見たら忘れられない強烈さがあります。
そんなモード界を揺るがした数々の作品は、ファッションを美術館に飾られるものにまで昇華しました。彼の死後、2011年にニューヨーク、メトロポリタン美術館で開催されたマックイーンの回顧展「Savage Beauty」は66万名を超す来場者数を記録し、同館の1963年のモナリザの展示と並び歴代の来場者数トップ10入り。METの長い歴史を塗り替えました。美術館のショップで販売されているアルマジロシューズのオーナメントやクリスタルスカルのペーパーウェイトは、彼の輝かしい功績を家に持ち帰れる貴重なアイテムです。
ローラーコースターから飛び降りたい。自分で決めた死
2010年、最愛の母の葬儀の前日に突然この世を去ったマックイーン。
「彼の才能は限界がなく、彼は彼を知る人、そして共に働く人みんなのインスピレーションでした」 ナオミ・キャンベル(親しい友人、スーパーモデル)
「彼は大胆で恐れを知らないユニークな英国のセンスを世界基準のファッションにもたらしました。ストリートスタイルから音楽、文化、世界の美術館まで短いキャリアの中でアレキサンダー・マックイーンの影響は驚愕に値します。彼の死は克服できないほどの喪失です」アナ・ウィンター(米国版ヴォーグ編集長)
彼の親友であったモデル、ケイト・モスは代理人を通じて「ケイトは親愛なる友人、リー・アレキサンダー・マックイーンを悲劇的に失い、ショックを受け、打ちひしがれています」とコメント。
同郷のファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウェストウッド、ポール・スミス、キャサリン・ハムネットらも悲嘆にくれるコメントを発表しました。
マックイーンの最後のコレクションとなったのが2010年春夏の「プラトンのアトランティス島」。深海の底を思わせる演出は彼のビー玉のようなコバルトブルーの瞳を彷彿させます。
そのどこか空虚な瞳で、ジバンシイのディレクター、そして自身のブランドのデザイナーとして年15回もショーを行う激務を「まるでローラーコースターのようにアップダウンしている。早く降りたい」と映画の中で語っていたのが印象的でした。
大好きな母を失い、立ち直れない悲しみにくれたマックイーン。自らを消耗しながらもクリエイションへの情熱にブレーキの効かない彼は、母の死をきっかけに自分で人生から飛び降りるしか、救われる方法はなかったのでしょうか。
それはスキューバダイビングが好きだった彼が、海の底のような母の子宮にかえるための行為のようで、最後のコレクションと繋がっているようにも思えてしまいます。
作品はもちろん、テクノロジーとファッションの融合などモード界に与えた影響は計り知れない天才的デザイナー、アレキサンダー・マックイーン。そんな彼の、まるで現代版おとぎ話のような成功、偉大なる業績はすでに幕を閉じている事が残念で仕方ありません。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- Getty Images
- WRITING :
- 神田朝子