ジャーナリスト志望だったロバート・キャパ(本名アンドレ・フリードマン)が写真家になったのは、運命の悪戯だった。独裁者ホルティによる共産主義弾圧及びユダヤ人追放政策によって、共産主義者の嫌疑をかけられたキャパは10代で祖国ハンガリーを追われ、ベルリンへと脱出する。

仕送りが途絶えたキャパが止むに止まれず飛びついたのが、写真通信社「デフォト」の暗室助手の仕事だった。キャパは、後にそのことを「私は写真家になる決心をした。ドイツ語も書けず、ろくにしゃべれない者がジャーナリズムに近づく、それがもっとも手っ取り早い方法だったからだ」と回想している。

ロバート・キャパの写真人生はいかに?

従軍時代のキャパとカメラ

写真:Everett Collection/アフロ
写真:Everett Collection/アフロ

暗室助手兼雑用係として働きながら、徐々に才能が認められたキャパはやがて上司に渡されたライカで大きな仕事をまかされる。実質的デビュー作となった1932年のトロツキー演説の取材だった。(銃を隠せる)大型カメラを嫌った警備陣の隙をついて、スクープをものにできたのは、小型の『ライカA型』のおかげだった。

ナチスの台頭でベルリンを再び追われたキャパが次に向かったのは、パリだった。そのパリでキャパは、彼の写真人生を左右する同世代の親友を得る。キャパ同様、機動性に勝る小型カメラの可能性に気づいていた、そのふたりの若者は、キャパと共に三銃士と呼ばれ、第二次世界大戦後、写真家集団マグナム・フォトを結成するアンリ・カルティエ=ブレッソンとデヴィッド・シーモアである。

パリでは、キャパのキャリアにとって大きな転機をもたらす女神との出会いもあった。ゲルダ・タロー。キャパが生涯、唯一本気で結婚を望んだこの赤毛の美女は、アンドレ・フリードマン(=キャパ)という無名のハンガリー人に、まずみすぼらしい身なりを整えることを教え、架空の有名アメリカ人写真家‘ロバート・キャパ’を共に発明する。そればかりではない。

タローはカメラの扱いをキャパから教わり、一時はロバート・キャパそのものにもなった。タローが自身の名で撮影するようになるまでのある期間、実は彼女が撮った写真もキャパ名で発表されていた。ロバート・キャパは、ふたりでひとりのユニット名だったのだ。スペインのコルドバでキャパがライカであの有名な『崩れ落ちる兵士』を撮ったのも、このユニットの時代。このころは、主にキャパがライカ、タローが『ローライフレックス』(以下、ローライ)を使用していたといわれている。

はたして、スペイン内戦取材中のタローの不幸な事故死と関係があるのだろうか。スペイン内戦の仕事で、一躍世界一の戦争写真家の称号を得て、パリからアメリカに拠点を移し、『ライフ』の仕事に携わるころからキャパは小型カメラとタローが愛用していたローライを兼用するようになる。小型カメラも'40年前後を境にライカから『コンタックス』を手にした姿が目立つようになった。

二眼レフカメラ、ローライはポートレイト撮影に最適とされるウエストポジションで構える中型カメラだ。平時はともかく銃弾の飛び交う戦場では、小型カメラより断然、身を危険にさらすことになる。なのに、キャパは最前線にも果敢にローライを携え飛び込んでいった。最も典型的なのは、'44年の血まみれのオマハと呼ばれたノルマンディー上陸作戦での使用だろう。このとき、キャパは2台のコンタックスとローライを携え、この世紀の一戦を目撃した。

現像時の事故で11枚だけが奇跡的に助かったこの一戦の有名なブレボケ写真はコンタックスで撮影した写真だが、捕虜になったドイツ将校や船上のカットはローライで撮られている。戦場でも常に人間を記録しようとしたキャパだからローライを選んだのか。あるいは、タローが手にしたローライにやはり特別な想いを抱いていたのか。今となっては真相は闇の中だ。

キャパが、なぜライカからコンタックスへ機種変更をしたのかも、明らかになっていない。諸説あるなか、単純にメタリックでデザインもいい『コンタックス』だから選んだのではないか、というものがある。つまり、周囲に多かったライカ使いと一線を画するためにコンタックスを選んだのではないか、というものだ。目立ちたがり屋のキャパのこと、案外、そのあたりが真相かもしれない。

'54年、パリ時代に仕事をした毎日新聞の招待で来日したキャパが、急な依頼で予定変更して向かったインドシナで殉職したとき使っていたのは、愛用の『コンタックス』と『ニコンS』だった。

ニコンを手にしていたのは、キャパが日本製カメラを評価していたこともあるが、招待旅行が「撮影は提供される日本製カメラで」という条件つきという事情があった。歴史に「もし」を持ち出すのは意味がないが、インドシナが最期の戦場だとわかっていたなら、キャパはローライも携行したかったのではないか。そんな気がしてならない。

※2011年夏号取材時の情報です。
この記事の執筆者
TEXT :
MEN'S Precious編集部 
2019.7.30 更新
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