フランス文学者の父から、建築学者の息子へと2代にわたって主を持った書斎。読みかけの本が生き生きと浮き立たせる。書斎のあり様は、「主」のための神聖なるクリエイティブな空間であるべき。本を読む、調べものをする、手紙を書く、思考をめぐらす。何かを創造するために智恵を積み重ねる、その創造の時間を見守る、愛おしく、優れたるステーショナリーが、書斎には存在する。

書斎とは人生の秘密が詰まった小宇宙

 月刊誌で10年ほど「男の書斎」という記事を連載したことがある。登場したのは著名な小説家や詩人、学者や俳優、音楽家やデザイナーなど約120人。人選は一任された。時には友人の人脈を借りながら進めた。取材にかこつけて友人知人との旧交を温める機会にもなった。だが、いつもすんなり決まるわけではない。

 中には、トイレなら構わないけれど書斎を見せるのはどうもね、とやんわり拒否されることも。確かにトイレは書斎と同様、孤独になれる癒しの聖域である。

 毎月、人さまの書斎を訪れるという、健全な覗き見みたいな取材だったが、そんな気持ちを超えて、彼らが語る書斎の話に耳を傾けていると、そこから人生や歴史や仕事や思想が透けて見えてきて、何物にも替えがたいスリリングな体験となった。

 書斎は個性を反映していて、極めてオーソドックスな書斎からミステリアスなものやファンタスティックなものまで多様性に富んでいる。時には想像していたのとはまったく異なり、納得したり感心したり、拍子抜けすることもあった。

 机に向かう姿も様々。例えば、愛用の万年筆を手に、まるで大地に近づくかのように書斎の畳に正座して机に向かう詩人。強く印象に残ったのが、その机の上に並んだバラエティに富んだ色インクの瓶。日本を代表する詩人である彼の五感に訴える詩の世界にあふれる言葉は、幾つもの色インクで紡ぎだされていたのだ。

 
 

 また、書斎の鍵を施錠して籠もるという儀式を欠かさない俳優は、古風な机で書をしたためてから、おもむろに読書に耽ったり台本に目を通す。あるいは、書斎を穴倉と呼び、家族と隔絶した環境に身を置く作家がいる。重厚な作品は書斎で執筆し、エッセイは書斎に続く居間で、と書き分ける作家がいれば、独特な空気感が漂う書斎で演出の構想を練る演出家がいる。

 書斎に入って気づくのは、書棚とインテリアと佇まいに、主の知的体験や脳内構造が反映されているらしいことだ。みなさんある時期、徹底的に真摯に読書体験という熱いシャワーを浴びていることが分かる。その痕跡が、人によって濃淡はあるが書斎のあちこちに刻印されている。

 考えてみたら、書斎を取材するというのは贅沢な仕事かもしれない。普段は滅多に他人を招き入れないだろうし、中には家族さえ入室を拒むようなアンタッチャブルで聖なる磁場なのだから。そこにずかずか踏み込むわけで、緊張しないといえば噓になる。だが、いつも高揚感が勝っていた。つくづく思うのは、ミクロコスモスである書斎には創造の秘密が隠されていることだ。

 書斎に入った瞬間、「東京より日本は広い。日本より……頭の中の方が広いでしょう」と書いた夏目漱石の文章が頭をよぎった。書斎は人間の頭の中を鍛える特権的な場だと気づかせられたのである。

クレジット :
撮影/荒木大甫 文/宇田川 悟 構成/堀 けいこ
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