地上から小生たちが見上げる満月ではウサギが餅をついているが、他の国ではそうとは限らない。ヨーロッパでよく言う“本を読むスカート姿の女性”は小生にもまだわかるとして、”吠えているライオン”“大きなはさみのカニ”は、どう見ればそうなるのか。見上げる月が決して同じではないのは、それがただの天体ではないからだ。75億の人類はみな同じ空の下に住んでいるけれど、月への想いは異なっている。エルメスが描く月はきっとそうした、“エルメスの月”に違いない。
「時」が月とダンスするロマンチックなムーンフェイズ機構を搭載
「アルソー ルゥール ドゥ ラ リュンヌ」で描かれるのは、南と北の両半球から観た2つの月である。アべンチュリンの星空か、またはメテオライトの暗夜に浮かぶマザー・オブ・パールの月は、ほの白く美しい。その完璧な円形を、それぞれ時刻と日付を示すインダイヤル=本来の時計部分が、ずれゆきながら隠していく。満月から新月、そして満月へ。月の表情は29日半で元に戻るが、その時にインダイヤルは左右が入れ替わる。全ての位置が元のかたちに帰還するのはもう1周期を超えた、59日目のことだ。
エルメスが魅せる「時」
およそ2か月にわたるスペクタクルでは、毎日の舞台転換が見せ場となる。夜中の0時に日付、午前3時ごろには月相が、一瞬で進むジャンプをしてみせる。誰も思いつかなかった表示機構は、エルメスのためにだけ考案され、製作された特許申請中のモジュールによるものだ。エルメス・マニュファクチュール機械式自動巻きムーブメント、H1837との組み合わせは、あたらしいコンプリケーションの傑作となった。
アシンメトリーなケースや流れるようなアラビア数字は、アンリ・ドリニーのデザインで1978年に誕生した「アルソー」から変わらずに踏襲している。そして、スカーフ“カレ”の数々をデザインしたディミトリ・リバルチェンコの “ペガサス”が、実は南(sud)の月にうっすらと転写されているのである。馬具商をルーツとするパリのメゾンらしいエルメスのエスプリが、無意識の中に、月にいる天馬の魅惑的な錯視を刷り込んでみせる。
月にいる馬といえば、大英博物館にずっと以前からいる、パルテノン神殿を飾っていた月の女神セレネの馬の彫像が、小生は大好きだ。よほど女主人のために早駆けしたのか、その馬は息が上がりそうな躍動感で有名になった。いっぽう「アルソー ルゥール ドゥ ラ リュンヌ」に描かれたエルメスの天馬は、いまにも空に向けて駆け上がりそうに見える優美なシルエットが、いつまでも記憶にとどまるのである。
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- TEXT :
- 並木浩一 時計ジャーナリスト