金沢唯一の傘づくりの匠松田和傘店に時代を超越した美意識を見た!
創業は1896年。福井県敦賀で傘づくりを習った初代の菊太郎さんが、金沢に戻り店を開いた。湿気が多く重い雪が降り、雨の多い金沢の気候風土に根差した強靭な傘は、生活に欠かせない必需品。「松田傘店」は、数十名の弟子や丁稚奉公を抱え、大きく商売をしていた。
現当主、松田重樹さんの父親、弘さんが二代目を引き継いだ。第二次世界大戦中、傘づくりに必要な機械を没収され、以後、弘さんはひとりでコツコツと傘をつくり続けてきた。昭和30年代を迎えると、軽くて携帯もしやすい洋傘が台頭しはじめ、和傘は一気に落ち目となる。弱気になり廃業の寸前にまで追い込まれた弘さんのもとに、ひとりの西洋人が現れて、こう言ったそうだ。「傘づくりは日本の文化です。やめてはならない。もし傘が売れなければ、私がすべて買い取ります」
まるで、アーネスト・フェノロサに日本美術の価値を見出されたかのようである。その言葉を励みに息を吹き返した弘さんは、仕事に誇りを持ち、今、私が目の前にしている金沢傘が奇跡的に残った。
金沢傘の美しさとは何か。真っ先に挙げられるのは「用の美」。厳しい気候に何年も耐えうる堅牢さに美が潜んでいる。金沢の雪は水気も多く重い。たいした雪でなくとも、傘に降り積もると十分な重量になる。そのため、分厚い和紙を使う。コウゾ100%で漉いた和紙に防虫防腐の効果がある柿渋を塗ることで強度が増し、これを傘の先端に近い「天井」と呼ばれる部分には4枚重ねる。そして、一子相伝のレシピで配合した油を塗り、漆で仕上げる。骨組みの竹の素材をつなぐ糸も太い。傘の周囲の縁は、糸を何度も結びつけた「小糸がけ」という技によって、強度を上げるだけではなく、繊細な糸の模様も美しく見せる。実用性から生み出された美の細工は、金沢傘の個性を映し出すものである。
強靭なつくりのうえに随所に組み込まれた美の細工!
傘を開いたときの内側もまた華麗だ。「千鳥がけ」と呼ばれる5色の木綿糸を編み込む技で、綺麗な円錐形をつくる。これも傘を強靭にするのが目的だが、赤・ピンク・白・緑・黄色の鮮やかな糸が目に飛び込み、激しい雨や雪でも決して憂鬱な気分にさせない、という傘職人たちの心意気が宿っているかのようだ。
傘の絵柄は、自由な発想で描き出されるのも面白い。伝統を頑に踏襲していると私は思っていたが、案外柔軟に絵柄を決めていることがわかった。伝統的な柄とモダンなデザインの傘が、店内で共存する。深い紫色で仕立てた重厚な「元禄蛇の目」は、市松模様で柄を組んだ粋な和傘。色柄ともにいかにも男らしい傘だ。京都の芸妓さんからの注文では、和紙の間に紅葉をしのばせた可憐な柄を表現する。ひとつひとつ手彩色で花びらを描いた傘には、優しさが浸み込む。
この店だけになった金沢傘の矜持!
3代目の重樹さんは、金沢傘をこう言い表した。「丈夫であり、美しい。差す人の魅力を引き出す名脇役です」
風雪に耐えるしっかりとした金沢傘。創業120年を超える「松田和傘店」に受け継がれてきたのは、丈夫さと美しさを兼ね備えた傘づくりだ。あらためて「元禄蛇の目」の細部を見れば見るほど、時を超えた、金沢傘の美が伝わってくる。
問い合わせ先
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松田和傘店 TEL:076-241-2853
住所/石川県金沢市千日町7-4
営業/9:00~17:00 不定休
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2019年春号
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- クレジット :
- 撮影/篠原宏明(取材)構成/矢部克已(UFFIZI MEDIA)