楽しむ心が生み出す、聴きやすくも唯一無二なサウンド

MockyことDominic Saloleはカナダ出身のアーティスト。現在はロサンゼルスを拠点に活動している。彼のウェブサイトには自身について「パフォーマー、プロデューサー、作曲家、マルチ楽器奏者」と記されている。その表現通り、ライブではドラム(パーカッション?)を皮切りに、キーボード、ベースなどステージ上で取っ替え引っ替え演奏していた姿が印象的だった。2000年代中盤、ベルリンのエレクトロニカシーンで注目され、その後ファイスト(アップルのCM曲〈1234〉で知られるシンガー・ソングライター)や(チリー・)ゴンザレスといったカナダのアーティストたちとの共演やプロデュースワーク、または新世代のソウルシンガーとして注目されたジェイミー・リデルのプロデュースなどを手がけ、音楽好きたちの間でがぜん話題に上る存在となった。

最新作『The Moxtape, Vol.Ⅲ』は、そんなMockyの音楽への姿勢がよくわかる作品だ。そのスタンスとはつまり「ミクスチャーまたはごった煮」。ストリングスアンサンブルをフィーチャーしたクラシカルな佳曲があるかと思えば、本人の緩い(巧い、とは少し違う)ヴォーカルが印象的な曲あり、どこかモンドな(この表現は死語かもしれない)雰囲気漂うインストゥルメンタルありと、非常にバラエティに富んでいる。そして、さまざまな音楽に触れてきた人ほど、彼が生み出すサウンドの「奥行き」に気づくだろう。ロックやポップスはもちろん、ジャズやクラシック、R&Bやヒップホップ、エレクトロニカから、ミッドセンチュリーのエレベーターミュージックに至るまで、広範な音楽的素養が、その音づくりやソングライティングに反映されている。

そんな音楽を、Mockyは実に自分なりに、楽しんで生み出している。少なくとも、聴き手にはそう映る。さらに、Mockyの音楽は「右脳的」といえるかもしれない。豊かな音楽性がベースにありつつも、そこに理屈や難解さは感じられない。むしろ彼の自由な感性の働き、そして遊び心が感じられる。そのことはややもすると、ジャンルへの忠実性や音楽になんらかの「論理的整合性」を求めるリスナーから、批判されるかもしれない。もちろんMockyはそんなことを理解した上で、あえてトランスジャンルな音楽を生み出しているのだろう。もしかしたら、誰もが親しめるポピュラー音楽でありたいとは、思っているかもしれない。

ちなみに、『The Moxtape, Vol.Ⅲ』に先立つ形で、昨年には『KEY CHANGE』というアルバムがリリースされていた。「ミックステープ」と自身の名を掛け合わせた「Moxtape」という名称が示すように、新作ではよりミクスチャー感が際立っているが、『The Moxtape, Vol.Ⅲ』を聴いた後に『KEY CHANGE』を改めて聴き直すと、このアルバムでのMockyのコンセプトがより明確に伝わるようで興味深い。表面的にはストリングスも交えたイージーリスニングなサウンドが展開されているが、見方を変えればそれは、ジャズやクラシック、またはロックやといったジャンルからの積極的な逸脱ともいえる。確立された音楽性に依拠しない、あえて追求された「中間」で「曖昧な」音楽。その耳馴染みのよさとは対照的に、そこにはラディカルな反骨が存在するのかもしれない。

冒頭で触れたリキッドルームでのライブステージ上、Mockyはしきりに最新作の曲のタイトルにもなった「AMAIMONO(=甘いもの)」という単語を連呼していた。おそらくは先の来日時に、スタッフとの会話の中で覚えた日本語なのだろう。彼はその言葉の響きを楽しみ味わいつつ、さまざまに調子を変えて発語しながら、やがて曲へと展開していった。直観と卓越した音楽的運動神経、そして遊び心が結びついた結果生まれるサウンド。そのベースには「楽しむ」心がある、そのことを象徴するようなシーンだった。

この記事の執筆者
TEXT :
菅原幸裕 編集者
2017.7.5 更新
『エスクァイア日本版』に約15年在籍し、現在は『男の靴雑誌LAST』編集の傍ら、『MEN'S Precious』他で編集者として活動。『エスクァイア日本版』では音楽担当を長年務め、現在もポップスからクラシック音楽まで幅広く渉猟する日々を送っている。