正解は… 3:江戸時代末期~明治時代初期 です。
この時代のもっとも大きなトピックといえば「開国」ですよね。鎖国を解いた日本には、多くの外国人がやって来ました。西洋の先進技術を伝えるためです。
西洋人がまったく西洋ナイズされていない時代の日本の家屋の中に入る際、文化の違いから、大きな問題が起こります。そう、西洋人には「室内で履き物を脱ぐ」という習慣がないのです。
当時はもちろん、西洋式のホテルなどはありませんから、日本式の旅籠やお寺などが西洋人の宿泊所となっていました。そうした宿泊先のあちこちで、西洋人が土足のまま畳の間に入ろうとし、トラブルが続出したのです。
そこで、横浜の外国人居留地(政府が外国人の居留および交易区域として特に定めた一定地域)の外国人が、東京は八重洲で仕立屋を営む徳野利三郎氏に依頼をしてつくったのが、現在のスリッパの原型となる履き物です。
誕生当初は、スリッパは「靴の上から履くもの」だった!屋内で素足にスリッパを履く文化と独特の形状は日本で生まれた
当時の外国人が徳野利三郎氏に依頼した内容は「靴の上から履けるオーバーシューズ」。もとは靴を脱いで履くものではなく、靴を履いた上に履くための道具だったのです。世界中のどこにもまだ存在していなかったその履き物を、徳野利三郎氏が機能的にデザインし、現代のスリッパとほとんど変わない形状の、新たな履き物が誕生しました。
古い畳表を重ねて和紙で補強し帆布を張った外底に、足をつっかけるための甲の部分が、ビロードやラシャで半円ドーム型につけられらており、最初は日本人は「上靴(うわぐつ)」や「上沓(じょうか)」と呼んでいました。
その英訳として西洋人が「足を滑り込ませて履ける履き物」という意味の「滑る=slip」から転じた「slipper(スリッパ―)」と呼びました。
当時の日本の上流階級は西洋文化に対する憧れが大きかったため、都市部でこれを真似し、「スリッパ」を愛用したがる日本人が出てきました。洋館に住まい、スリッパを履く…というのが、「ハイカラ」な上流階級のステイタスだったのでしょう。
ただし日本人は西洋人とは異なり、あくまで「室内履き」として素足に履きました。室内では履き物を脱ぐ、という文化が根付いた日本人には、いかに西洋人の真似がモダンであった時代でも、靴の上にスリッパを履いて室内に入る、というのは抵抗があったのですね。ここで日本独自の、現代と同じようなスリッパ=素足に履く室内履き、という使用法が誕生したわけです。
欧米で一般的にイメージされる「slipper」と、日本の「スリッパ」は別のもの
ちなみに欧米で、お風呂場で履くための「bath slipper」や、寝室用の「bedroom slipper」という室内履きを使用するケースもあるようです。しかしこれらの「slipper」と日本人がイメージする「スリッパ」は、形状が異なります。
西洋の「slipper」は足全体を覆う形だったり、ヒールがあったり、紐などの留め具がついていたりし、何より左右の区別があります。基本的に「靴」文化から生まれた形状なのです。
欧米で「slipper」と言うと、日本の学校などで履く上靴のようなものを指すのが一般的です。日本の「スリッパ」は、底が平らで左右の区別がなく履ける形状、足の前側部分だけを覆う「つっかけ」型、という特徴があります。「靴」ではなく「草履」「下駄」に親しんできた日本生まれならではの形状なので、欧米人が一般的にイメージする「slipper」とは別モノ、と意識したほうがいいでしょう。
日本の「スリッパ」をご存知ない欧米人の方と「slipper」について語っていたら、お互い似て非なるアイテムをイメージしていて混乱する、ということが起こりそうです。
「スリッパ」誕生秘話を語るポイントは、異国文化の尊重と歩み寄り!
さて、日本の「スリッパ」誕生の歴史を外国の方にお話しする機会があったとして、大切なポイントはどこでしょうか?
スリッパは「異国文化の尊重」と「歩み寄り」の思いで生まれたアイテム、という点だと思います。
室内では履き物を脱ぐ文化を持つ日本人と、室内でも靴を履いて過ごす西洋人が、お互いの文化をふまえ、尊重する気持ちが生んだ最適解・・・それが、スリッパという新たな履き物だったのです。
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- Precious.jp編集部
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- 参考資料:双葉工業有限会社「スリッパ工場見学」/ NIKKEIプラス1(2016年12月24日)