リー・ラジウィル。「ミセス ケネディとその妹」と記述されることも多かった、あまりにも有名なアメリカ元大統領夫人、ジャッキー・オナシスの妹だ。美人姉妹のソーシャライトとして社交界にデビューして以来、このふたりの運命は寄り添いながらも、太陽と月のように異なる輝きを放っている。

寝そべるリー・ラジウィルと愛犬たち。Princess Lee Radziwill stretched out in field with her two dogs at Turville Grange near Buckinghamshire, England. (Photo by Horst P. Horst/Condé Nast via Getty Images)
寝そべるリー・ラジウィルと愛犬たち。Princess Lee Radziwill stretched out in field with her two dogs at Turville Grange near Buckinghamshire, England. (Photo by Horst P. Horst/Condé Nast via Getty Images)

女優でもなくアイドルでもない、ソーシャライト

小さいころは、本ばかり読んでいた賢い姉ジャッキーと、美人の妹リーと言われていたと、後にジャッキーがため息混じりに回顧している。

「リーは可愛い子だった」「だから私は頭のよい子になったのだと思う」(『カポーティ』文藝春秋) 。

それほど、リーのかわいらしさは際立っていたらしい。

確かに、繊細で華奢な雰囲気は現在も香り立つように備わり、彼女の周りには気品に満ちた優雅なオーラが漂う。最近でも、コレクション会場でときおり見かけるリーには辺りを払うような特別な空気感があり、かといって取り澄ました冷たさはなく、ショーの合間に知人と話している光景など見かけると、むしろ暖かささえ伝わってくる。和やかでウィットに富んだ会話であることが、見ているだけでも伝わってくるのはすごいことだ。フロントローに座っている姿を見ると、女優でもなくアイドルでもない、ソーシャライト(社交界の名士)という言葉がよく理解できる。際立つ存在感だが、威圧的ではない。目立たずに気配だけを残すエレガンスの極意はここにあり、という佇まいには感動すら覚えてしまう。

ある時期のリーにとって、保護者的役割を果たしていたトルーマン・カポーティの筆によれば「とても、女っぽい、それでいて女々しさはない。率直に自分の意見も言って、暖かい雰囲気がある。そう言う女性は数少ないけれど、彼女はその一人だ」 (『叶えられた祈り』新潮社)と、小説の登場人物の口を借りて言わせている。

1962年、ファーストレディ時代のジャッキーとパキスタンを訪れる
1962年、ファーストレディ時代のジャッキーとパキスタンを訪れる

姉ジャッキーとの関係

姉ジャッキーの真夏の向日葵のようなパワフルな華やかさとは異なり、若いころのリーは、白百合のような清楚な気品に満ちている。ほっておけない 、手をさしのべたい、と思わず男性が駆け寄って行きたくなる小鳥のような愛らしい女らしさが、ジャッキーとはまったく違うところだ。

母親の社交教育の賜物もあって、この美人姉妹は、ジャッキーは大富豪一族の大統領夫人に、リーは初婚は有名出版社オーナーの息子と、2度目はポーランドの亡命貴族スタニスラス・ラジウィル王子と結婚。2子をもうけ、セレブリティとして、常に社交欄を賑わせる存在になっていった。

リー・ラジウィルとジャクリーン・ケネディが描かれた本
リー・ラジウィルとジャクリーン・ケネディが描かれた本

結婚後もリーとジャッキーは家族ぐるみでつきあい、ケネディの政治的行事や外遊に同行したり、夏のバカンス、冬のクリスマスとプライベートを一緒に過ごしている。特にイタリアの保養地アマルフィで過ごした夏の休暇は人生最良の思い出だったようで、リーが2003年に出版した自叙伝『HAPPY TIMES』に 、ユーモアと愛らしさにあふれたふたりの手描きのイラストや写真のコラージュで「特別な夏」と名付けられて構成されており、姉妹の息の合った親密な愛情が伺える。

だが、リーがジャッキーありきの存在であったのは、それが最後となった。

なぜなら、ジャッキーがオナシスと結婚したとき、ある種の決別があったからだ。知る人ぞ知るリーの当時の恋人はオナシスであり、息子パトリックを生まれてすぐに亡くして傷心の姉をオナシスに紹介し、クルーズに招待したのもリーであった。思いやりの皮肉な結末。その5年後のジャッキーの再婚は、リーにとって恐らく初めて運命が与えた試練であり、痛烈な痛みであったに違いない。

1967年、トルーマン・カポーティとエミー賞の授賞式に
1967年、トルーマン・カポーティとエミー賞の授賞式に

カポーティとアルマーニとの出会いが人生を変える

そこへ登場したのが、トルーマン・カポーティである。「ただ誰かの妹であることを望まない。自分の人生、自分のアイデンティティを確立したい」 (『カポーティ』文藝春秋)と願うリーに対して、姉と肩を並べ、あわよくば姉をしのぐ女性に仕立て上げたいと、トルーマンは思ったようだ。なんとリーを、旧姓のリー・ブーヴィエの名前で女優デビューさせたのだ。コメディの舞台からテレビのゴールデンタイムの2時間ドラマまで、トルーマンが脚本を書き、完璧な女優デビューを操ったが、残念なことに彼らの熱意にかかわらず「目を見張るばかりのファッショナブルな服に身を包んだ人間と言うだけ」 と冷ややかな批評を有力紙から浴び、この企てはあっさりと破れた。

その後リーは、本来のソーシャライトとしての存在感を高め、1988年にジョルジオ・アルマーニと出会い、意気投合。アルマーニのPRに尽力を尽くすことになる。フロントローに人気スターや有力者をずらりと並べ、華やかな雰囲気作りでマスコミ受けを狙う、今では当たり前になっているこの手法は、ロスやニューヨークで開催されたアルマーニのコレクションや、そのドキュメンタリー映画のプレミアで始まったと言えよう。華麗な社交界人脈、ハリウッド人脈を駆使、「ソーシャライト」としての天職を生かしたリー・ラジウィルの見事な手腕であった。

1994年、N.Y.のパーティでアルマーニと共に
1994年、N.Y.のパーティでアルマーニと共に

83歳の現在に至るまで、ファッション界とのつながりは強く、ソフィア・コッポラやマーク・ジェイコブスなどから敬愛され、また、ケネディ家に関わる数少ない時代の目撃者としても、今再び、リー・ラジウィルへの関心が高まっている。もう太陽の光を反射して輝く月ではなく、自ら輝く存在として。

この記事の執筆者
1987年、ザ・ウールマーク・カンパニー婦人服ディレクターとしてジャパンウールコレクションをプロデュース。退任後パリ、ミラノ、ロンドン、マドリードなど世界のコレクションを取材開始。朝日、毎日、日経など新聞でコレクション情報を掲載。女性誌にもソーシャライツやブランドストーリーなどを連載。毎シーズン2回開催するコレクショントレンドセミナーは、日本最大の来場者数を誇る。好きなもの:ワンピースドレス、タイトスカート、映画『男と女』のアナーク・エーメ、映画『ワイルドバンチ』のウォーレン・オーツ、村上春樹、須賀敦子、山田詠美、トム・フォード、沢木耕太郎の映画評論、アーネスト・ヘミングウエイの『エデンの園』、フランソワーズ ・サガン、キース・リチャーズ、ミウッチャ・プラダ、シャンパン、ワインは“ジンファンデル”、福島屋、自転車、海沿いの家、犬、パリ、ロンドンのウェイトローズ(スーパー)
クレジット :
文/藤岡篤子 写真提供/1・5点目:Getty Images、2・4点目:AFLO 出典/『カポーティ』著=ジェラルド・クラーク 訳=中野圭二 文藝春秋、『叶えられた祈り』著=トルーマン・カポーティ 訳=川本三郎 新潮社 構成/吉川 純