2016年3月22日に発生した、ベルギー・ブリュッセルの地下鉄テロ事件で亡くなったジル・ローランさん。
彼は、2013年に妻の故郷である日本・福島を訪れ、地元住民との交流をきっかけに、2015年から映画の撮影を開始していました。
ジルさんの初監督作品にして遺作となったドキュメンタリー映画、『残されし大地』について、映画ライターの坂口さゆりさんが語ります。
ベルギー人監督の初監督作にして遺作となった映像詩
子供のころ、祖母の家のトイレは外にあった。怖かった。深夜にひとりではとても行けない。ある夏の晩、どうしても我慢できず、母に付き添ってもらって外に出た。ふと顔を上げると満天の星。怖さが一気に吹っ飛んだ。
ドキュメンタリー映画『残されし大地』に出てきた夜空に輝く星を見ながら、そんな昔のことを思い出した。祖母の家は福島にほど近い茨城。緑深い山々、突き抜けるような青空、強い光を放つ星。映し出された福島の自然は昔とちっとも変わらない。なのに、町は消えた。人影はなく建物は朽ち、信号機は黄色が点滅し続ける。立ち入り禁止の標識テープが風が吹くたびにカサカサと音を立てる。
映画は反原発を声高に叫ぶわけではなく、東日本大震災の原発事故で避難指示区域となってもなお、その土地で淡々とたくましく生きる3組の人々の姿を追う。
監督はベルギーのジル・ローランさん。サウンドエンジニアとして活躍していた彼の初監督作品だが、残念ながら同時に遺作となった。ほぼ完成したこの作品を内輪で試写するはずだった2016年3月22日の朝、ブリュッセルの地下鉄テロ事件で命を落としたのだ。
彼は'13年に妻・鵜戸玲子さんの故郷日本に家族でやってきた。もともと環境問題などに興味があり、主役のひとりである松村直登さんとの出会いが本作を撮るきっかけになった。松村さんは猫や犬、牛のほか、第一原発で飼育されていたダチョウなどの動物を保護。自らをもって原発への怒りを表し続けている。玲子さんによれば、撮影は'15年8〜10月にかけて2回。40時間分の映像が残されていたという。
さすがサウンドエンジニアといいたくなるクリアな音で福島の自然をとらえる。玲子さんは言う。「鳥のさえずりや虫の羽音など、夫の動植物への愛情が詰まっている。(カットの)切り取り方や角度も、絵をないがしろにしてはいけないという美意識が表れている。ここには、私の知る限りのジルがすべて入っています」
監督が図らずも命をかけることになった映像は、自然と観る者に問う。「これでいいのですか?」と。
- 『残されし大地』
- 2011年3月11日に起こった福島の原発事故で、避難を余儀なくされた福島県双葉郡富岡町の住人たち。にもかかわらず、自らそこに住むことを選択した人々を通して、原子力発電の愚かさを問う。
- 監督:ジル・ローラン、出演:松村直登、松村代祐ほか。
- TEXT :
- 坂口さゆりさん ライター
- BY :
- 『Precious4月号』小学館、2017年
- クレジット :
- 文/坂口さゆり