ロンドンの中心地のメイフェア、ピカデリー大通りから一本入った場所にサヴィル・ロウは存在している。

初めて行った方は両脇に店が並ぶ何の変哲もない通りの様子に、少々がっかりされるのではないだろうか。しかし、英国の多くの場所がそうであるように、表からではわからない魅力がサヴィル・ロウには潜んでいる。

そもそもここがなぜ、紳士服の中心、また聖地などと呼ばれるのか?

サヴィル・ロウはいかにして紳士服の中心となったのか?

ヘンリープール:1806年、ジェームス・プールによって創業。サヴィル・ロウに現存する最古のテーラー。現在も創業者一族によって経営され、旧宮内省御用達を含む世界各国から40ものロイヤルワラントの認定を受けている。特に世界の政財界に多くの顧客を持つ。

現在のスーツの起源とされているのは19世紀に英国で誕生した上下同生地のラウンジスーツである。

ここにはサヴィル・ロウに現存する最古のテーラー「ヘンリー・プール」を筆頭に、スーツの黎明期である19世紀に創業し、仕立ての歴史を紡いできた老舗が今も数多く存在している。

しかも、わずか500メートルに満たない通りに30以上のビスポーク・テーラーが集結し、そのレベルは世界最高峰だ。

ちなみにツーピースのスーツの平均価格は約4500ポンド(約67万円)となる。果たしてこのような場所が他に存在するだろうか。

映画の題材にも度々なっているように、男のステータスの象徴としてサヴィル・ロウのスーツは今も健在なのである。

メンズウエアの歴史は常にサヴィル・ロウと共にあった

世界最大規模を誇る英国王室の文化的優位性と、金融街シティの経済的優位性のもと、各国の王侯貴族や超富裕層といった世界のハイソサエティは常にロンドンに集結してきた。彼らが贔屓とするテーラーはサヴィル・ロウの店以外にはありえず、その名はハリウッドからインドのマハラジャにまで轟とどろいていたのだ。

20世紀初頭は、英国王エドワード7世やウィンザー公などの王族がメンズファッションの偉大なアイコンとなってサヴィル・ロウの名声を高めた。

さらに第一次世界大戦と第二次大戦、二度の戦争はサヴィル・ロウの軍服の需要を増大させた。英国の仕官はサヴィル・ロウのビスポークで軍服を仕立てるのが伝統だったのだ。「ギーヴス&ホークス」「ディージ&スキナー」などサヴィル・ロウを代表する老舗は軍服のテーラーとして端を発した所が多い。英国的な仕立てが構築的であるのは軍服がそのベースとなっていたからである。

そのつくりと対照的な、やわらかな仕立てを標榜するのが名門テーラー「アンダーソン&シェパード」だ。創業者パー・アンダーソンが生み出した快適なソフトシルエットのスーツはフレッド・アステアやゲイリー・クーパーといったハリウッド俳優にも愛された。

サヴィル・ロウでは1930年代からトランクショーと呼ばれる受注会を始め、ケイリー・グラントと「キルガー、フレンチ&スタンバリー」、グレゴリー・ペックと「ハンツマン」のように、ハリウッドの俳優たちはサヴィル・ロウ製のスーツを競って着用した。このように当時のメンズウエアのトレンドはサヴィル・ロウによってつくられていたといっても過言ではない。

政治家や王族に愛されたのはサー・ウィンストン・チャーチル着用のグレーフランネルのスリーピーススーツで有名な「ヘンリー・プール」、裁判官の伝統衣裳をつくっている歴史から法曹界に強いのが「イード&レイヴェンスクロフト」と、そのテーラーの持つ歴史とハウススタイルによって、異なった客層を持っている。この層の厚さとマーケットの大きさがサヴィル・ロウ独特の強みでもある。

サヴィル・ロウの革命とデザイナーズブランドの襲撃

ロンドンの中心地のメイフェアピカデリー大通りから一本入った場所にある聖地サヴィル・ロウ

こうした伝統をかたくななまでに踏襲してきたサヴィル・ロウに一大革命が起こる。1969年、デザイナーのトミー・ナッターとカッターのエドワード・セクストンによる「ナッターズ・オブ・サヴィル・ロウ」がサヴィル・ロウにオープン。

極端なワイドラペルにワイドショルダー、オックスフォードバグズを思わせるワイドなトラウザーズのスタイルは、ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズが着用したことで、一躍世界から脚光を浴びた。サヴィル・ロウのクラフツマンシップに最先端のファッションと音楽が結びついた瞬間だった。

こうして活況を迎えたかに思えたサヴィル・ロウだったが、’80年代にアルマーニに代表されるデザイナーズブランドが全盛となると、再びデザイナーによる既製服が脚光を浴び、顧客は激減。かつてない苦難の時代をサヴィル・ロウは迎えることになる。

サヴィル・ロウの逆襲とブランド価値の失墜危機

苦難の’80年代を終えると、1990年代にはサヴィル・ロウも再び活気を取り戻す。その原動力となったのが『ニュー・ビスポーク・ムーブメント』である。

主役となった「リチャード・ジェームス」「オズワルド・ボーテン」「ティモシー・エヴェレスト」は、老舗のサヴィル・ロウのテーラーたちとはまったく異なる、大胆な色彩感覚とビジネスセンスを持っていた。彼らは現代的でスタイリッシュなスーツと、新たな顧客層をサヴィル・ロウに持ち込んだのだ。

2001年「ハンツマン」のリチャード・アンダーソンが自身の店をサヴィル・ロウ13番地に、2005年に34歳のパトリック・グラントが「ノートン&サンズ」をオープン、新たな世代の台頭が始まる。

その後の2007年、サヴィル・ロウを激震が襲う。サヴィル・ロウ1番地の「ギーヴス&ホークス」の向かい、バーリントン・ガーデンズ7番地にアメリカの大手アパレルメーカー「アバクロンビー&フィッチ」が開店。サヴィル・ロウは若者がたむろする観光名所と化した。

老舗の4大テーラーを中心に、2004年にサヴィル・ロウのクラフツマンシップの保護と継承を目的として設立されていたサヴィル・ロウ・ビスポーク・アソシエーションは、サヴィル・ロウのブランド価値を損なうとして行政にも強く抗議。全国的に大きな話題となった。

結果として、今も「アバクロンビー&フィッチ」はサヴィル・ロウで営業を続けている。だが、この事件を契機に、老舗のビスポーク・テーラーが集まる通りに過ぎないと思われていたサヴィル・ロウは「紳士服の中心」としてのブランド価値を見直す結果となった。

変貌するサヴィル・ロウ、新たなメンズスタイル

それから約10年後の現在、サヴィル・ロウはどうなっているか。

顧客の最大の変化は、スーツを単なる仕事着でなく、自らの個性の表現として着こなすミレニアル世代の登場だ。同時にテーラーの側にも意識改革が起き、職人を目ざす若い世代も増加し、サヴィル・ロウでは新顧客層をターゲットに、ビスポークだけでなくパターンオーダーと既製服を販売する店が飛躍的に増えている。

クリエイティブ・ディレクターにカルロ・ブランデッリを起用し、若返りを図った「キルガー」、既製品を充実させ大規模な店舗の改装を行った「ギーヴス&ホークス」、同じく移転改装した「ハーディ・エイミス」に加え、老舗の「アンダーソン&シェパード」もセレクトショップ「ハバダッシャリー」をサヴィル・ロウと交差するクリフォード・ストリートにオープンした。この通りには「ドレイクス」「コノリー」と英国ブランドが立ち並び、今やサヴィル・ロウ周辺は「ビスポークスーツの中心」から、「ハイクオリティなメンズウエアの中心」へと変わろうとしている。

今まで時代の変遷によりサヴィル・ロウは浮沈を繰り返してきた。だが、どんなに時代が変わっても、サヴィル・ロウがつくりだすスーツがメンズスタイルの究極の指標であることに変わりはない。

この記事の執筆者
TEXT :
MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2018年春号より
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クレジット :
撮影/小寺浩之(ノーチラス) 文/長谷川喜美