「オレの知っているある男は〜」という一節から始まる、1970〜’80年代に活躍したグループ「メイズ」が、1989年にリリースした曲〈シルキー・ソウル〉。

 その曲で歌われていた男とは、1984年に急逝したマーヴィン・ゲイのことだった。メイズのフロントマンであったフランキー・ビヴァリーも当時シルキーなヴォイスと言われていて、その彼がマーヴィンの〈マーシー・マーシー・ミー〉を連想させるメロディにのせて、極上のシルキーなソウルと、偉大な先達を歌い上げたのだった。

 かつてはソウル、今日ではR&Bと称される音楽において、その歌声を形容するのに「シルキー(=絹のような)」という言葉が使われてきた。しかもそれは、女声ヴォーカルというよりは、むしろ男声ヴォーカルに関して使われることが多かったのが面白い。

「確かナット・キング・コールの声や歌にも、シルキーという言葉が使われていたと思います。ただ、僕の感覚では、彼はシルキーとは少し違うのですが」

 このように語るのは、作家・編集者の印南敦史氏。

 印南氏は音楽専門誌在籍後フリーの音楽評論家として、黒人音楽やレゲエ、クラブミュージックなどを長らく紹介してきた。

 そんな印南氏が、最初に聴いたシルキーなソウルのアーティストとして挙げたのが、ザ・スタイリスティックス。ラッセル・トンプキンス・ジュニアのファルセットヴォイスは、まさにシルキーという形容が合うという。

「シルキーといっても、特に基準があるわけではないと思います。自分の感覚と照らし合わせて、どう表現できるかなと考えたら、声としてはやや厚みがありながら、少しかすれた感じもあって、ゴージャスな雰囲気、そしてエロティックな要素も含まれる。そういう歌声ではないでしょうか」

 ちょっとエッチなヴォーカル。ローティーンの頃の印南氏にとって、それはマーヴィン・ゲイだったという。

「マーヴィンで初めて聴いた曲が、男女の性を歌い上げた〈アイ・ウォント・ユー〉だったので、なおさらそう感じましたね。さらにそれを聴いたのが伝説的DJ、糸居五郎さんの『ソウル・フリーク』というラジオ番組だったことも大きかった。彼の独特の話し方で紹介されると妖しさが増すというか、子供が大人の世界を垣間見ているような、妙な背徳感がありました」

Marvin Gaye マーヴィン・ゲイ/教会の聖歌隊を経てモータウンレコードからデビュー。1971年にアルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』をリリースし、高い評価を受ける。その後、愛や性をテーマにした『レッツ・ゲット・イット・オン』といった作品を発表し、人気を博した。1984年、父親の銃弾に倒れた。
Marvin Gaye マーヴィン・ゲイ/教会の聖歌隊を経てモータウンレコードからデビュー。1971年にアルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』をリリースし、高い評価を受ける。その後、愛や性をテーマにした『レッツ・ゲット・イット・オン』といった作品を発表し、人気を博した。1984年、父親の銃弾に倒れた。

 印南氏が青春時代を過ごした1980年代には、黒人音楽にブラック・コンテンポラリーと呼ばれるカテゴリーが生まれ、ファンクやソウル、さらにはフュージョンなどを経た洗練された音楽シーンが出現していた。

 その中で「シルキー・ヴォイス」の称号とともに広く認知されたアーティストが、ルーサー・ヴァンドロスだった。長い間ソングライターやさまざまなアーティストのバックボーカルを務めたルーサーは、後にマイルス・デイヴィスのプロデュースも手がけるベーシストのマーカス・ミラーらをメンバーに迎えて、1981年にソロアルバム『ネバー・トゥー・マッチ』をリリースした。

 1982年のグラミー賞ベストニューアーティストにもノミネートされた本作は、黒人リスナーに限らない幅広い支持を得た。

「あの頃はシルキーなソウルのアーティストが数多く登場したと思います。’80年代はヒップホップの黎明期でもありますが、僕はヒップホップとソウルはその表面的な差以上に同根の音楽だと思っています。それを最もよく表現していたのが、デフ・ジャム・レコーディングス。当時デフ・ジャムがリリースしていたオラン・ジュース・ジョーンズやチャック・スタンレー、テイシャーンといったシンガーたちの歌声には、まさにシルキーな魅力があったと思います」

Usher アッシャー/テネシー州にて母親が監督を務める聖歌隊で歌を始め、その後アトランタにてラ・フェイス・レコーズと契約、1994年に自身の名を冠したアルバムでデビューした。’97年にはシングル〈My Way〉が大ヒットし一躍スターダムに躍り出た。伸びのある歌声とダンスで知られる。
Usher アッシャー/テネシー州にて母親が監督を務める聖歌隊で歌を始め、その後アトランタにてラ・フェイス・レコーズと契約、1994年に自身の名を冠したアルバムでデビューした。’97年にはシングル〈My Way〉が大ヒットし一躍スターダムに躍り出た。伸びのある歌声とダンスで知られる。

 ’80年代から’90年代へと推移する中で、ブラック・ミュージックはヒップホップの拡がりを駆動力にしながら、ポピュラー音楽のメインストリームになっていく。ラップやニュージャックスイング、そして復古的なネオ・ソウル。さまざまなアプローチがブラック・ミュージックにおいて試みられる中で、シルキーなソウルやヴォイスの魅力を発揮するアーティストも多数出現した。

「ネオ・ソウル系だとマックスウェルやトニー・リッチ、あとはブライアン・マックナイトやジョーといったところ。それと、僕の中で目の粗いシルク、という印象だったのがジェラルド・リヴァート。オージェイズのメンバーだった父親と共演したアルバム『ファーザー&サン』は極上のシルキー・ソウルだと思います」

 それでは、現代のシルキーなソウルとは。印南氏はアッシャーやファレル・ウィリアムスなどを評価しつつも、シルキーなソウル&ヴォイスの真の魅力は、現代は感じにくいかもしれないと語る。

「シルキーなソウルの魅力には実は矛盾した要素があると思っています。シルクのような肌触りがある一方で、何か引っかかりがないといけない。たとえば美しく着飾った下に、荒れた肌を隠すような感覚」 そして次のように続けた。「スタイリスティックスに〈7000ドル〉という曲があります。歌詞は、「もし僕に7000ドルあったら、君を着飾ってキャデラックに乗せて」という内容です。実際にお金をもっているわけではなくとも、空想を歌い、それによって愛を語る。その心意気には、シルキーなソウルの魅力と重なるものがあると思います」

 苦悩や葛藤そして貧しさを覆ってこそ花開く魅力、それがシルキーな歌声の真骨頂なのかもしれない。

PROFILE
印南敦史・いんなみ あつし
作家・編集者。音楽誌編集を経て、ブラック・ミュージックを中心にレゲエ、ダンスミュージックなど幅広く音楽評論・紹介を行う。近年は各メディアで書評も担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)など。
この記事の執筆者
TEXT :
菅原幸裕 編集者
BY :
MEN'S Precious2016年夏号「麻」と「絹」の精神史より
『エスクァイア日本版』に約15年在籍し、現在は『男の靴雑誌LAST』編集の傍ら、『MEN'S Precious』他で編集者として活動。『エスクァイア日本版』では音楽担当を長年務め、現在もポップスからクラシック音楽まで幅広く渉猟する日々を送っている。
クレジット :
談/印南敦史 構成・文/菅原幸裕
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