ネオ・ハードボイルド。「男らしさ」を着るという洒落
メンズウエアのデザイントレンドを俯瞰すると、21世紀の最初の16年間は、ミニマリズムが圧勝した時代だった。建築や美術用語で「最小限主義」を意味するミニマリズムの感覚は、IT時代のライフスタイルになぜか合うのだね。服からは余分なものがどんどん取られ、スマホやタブレットのように薄くて軽くなってゆく。黒のショート&スリムのスーツに白シャツと細身の黒タイが代表的なコーディネーションだろう。たしかにすっきりしていて、スマートであることは認めよう。
しかし、少々頑迷固陋(がんめいころう)な発言をお許しいただけるのなら、ちょっとこのスタイル、少年っぽすぎないだろうか? だれが着てもそこそこ似合うという無難さもオモシロくない。第一、これが決定的だが
「男らしさ」
というものがぜんぜん感じられないじゃないですか。
世界的に女性の権利を尊重し、その活躍をエンパワーしようという時代に「男らしさ」なんてアナクロニズムだとあなたは思うかもしれない。しかしぼくの言う「男らしさ」は洒落である。アソビである。仕事でも社会の役割でも性差が消えゆくのは自明としても、アイコニックな男らしさ、イメージとしてのそれはそう簡単に消えるものではないはずだ。 ウディ・アレンがかつて主演監督作品『ボギー! 俺も男だ』でそうしたように、たまさか誰
か(ボギーはハンフリー・ボガートのニックネーム)になりきるなんて、かわいいではないか。ファッションは必要十分条件以外のサムシング・エルスにときめくもの。映画の中のアレンは、ボギーという男の物語を着たわけです。
そういう目で改めてこの秋冬のメンズウエアの新顔たちを眺め回すと、いやいや、ハードボイルドな「男らしさ」あふれるアイテム、ディテール、着こなしがやけに目につくのである。
その筆頭格は、中折れ帽(フェドーラ)だろう。
今年の夏もパナマやパナマもどきをかぶったメンプレ世代の男を毎日見かけたが、大変けっこうな傾向だと思う。帽子をかぶるということは帽子のマナーも一緒に覚えることだからである。帽子をかぶる、脱ぐ、手をやる、そっと他人の邪魔にならぬ場所に置く。日本ではあまり見かけないが(戦前はいくらでもあった)、帽子用のハンガーにかける。そういう一連の所作は、まさに男そのもの。なぜだかおわかり? 女性は室内でも帽子を脱がないからである。
男が帽子の鍔に手をかけ、知人に挨拶している様子を遠目に見るのは、なかなかよいものである。
中折れのかぶり方も工夫されるがよろしい。一番のポイントは、何か? かぶってかぶってかぶり倒すことである。眼鏡があるでしょう? 眼鏡は毎日かけるから、顔の一部に変態していく。実際は、目が眼鏡をかけた自分の顔に慣れるだけなのだろうが、眼鏡を気にしなくなるから自然に振る舞えるようになる。それが肝心。帽子も同じ伝である。
ある程度かぶり慣れているかたには、中折れを目深にかぶるというフィルムノアールっぽいお遊びもありだろう。帽子を深くかぶるのは、寒さよけという目的もあるが、もっぱら、人様に顔を見せたくないがため。堅気さんとは違いまっせというサインである。
フレンチノアールの秀作『サムライ』の中でアラン・ドロンは、これぞ殺し屋の中折れのかぶりかた! というのを実践する孤独なアサシンを演じている。ぜひご覧になっていただきたい。麻生太郎副総理兼財務大臣もひそかに憧れているのでは、とぼくはにらんでいる。
次に服本体を見てみよう。男っぽい服装の要件は存外簡単である。ミニマリズムの逆を行けばよいのだ。ミニマリズム的な服の特徴をひとことで表すと「細く、短く、軽く」と言えるだろう。この反対の「太く、長く、重く」だ。ワインでたとえるならフルボディな服こそ、ボギーやドロン、ジャン・ギャバンやマーロン・ブランドなど男らしさのアイコンと言われている男たちを想起させるのである。
たとえば、そろそろスタンバイさせたいコート類だが、ミニマリズムの影響を受けた昨今のコートはいかにも丈が短い。スーツの上着丈と大差ないコートが街にあふれているが、どうなのだろう。
ミニマリズムの影響のほか、地球温暖化により冬が暖かくなったという理由もわからぬではないが、ぼくはそんなショートコートにはロマンを感じないですね。
社会という荒野で必死に生きる男を包むのはやはり膝までカバーするロングコート(「ロング」が付くのは今の概念だがね。かつては、コートと言えばロング丈が当たり前だったから)。雨風だけではない、その数十センチ余分な長さが、非情や裏切りからも守ってくれるかもしれないのである。
特にトレンチコート、チェスターフィールド、コヴァートなど英国由来のメンズコートはロング丈が本格派で、そのほうがかえって「おさまり」がよい。コートの襟を立て、すそを風に揺らし、男たちよ、前に進むのだ。
装飾的というのもミニマリズムにはない、男らしい服のデザイン特性かもしれない。ダブル前のジャケットや、最近復活してきたダブルのウエストコートも、英国ヴィクトリア朝、あのシャーロック・ホームズの時代の男たちのもので、こういう服を身に着け、船の荷を降ろし、馬車を御し、煉瓦を積み上げた。ベルトではなく、ブレイシーズと並びボタンや尾錠で締めるトラウザーズもその当時の男が慣れ親しんだ、男っぽいスタイルである。
しかし、なんといっても一目で男らしさが伝わる、いわばハードボイルドデザイン大賞は、ミリタリー調である。エポレットやメタルボタン、ボタン留めのフラップポケットやウエストベルトなどのディテールの裏には、何かのために命を賭して戦ってきた男たちの歴史が垣間見える。シンプルにウールのパンツやデザートブーツと合わせたり、シルクのスカーフを首に巻くアレンジも楽しい。
普段、上品なウールのスリーピーススーツで仕事にあたる男が、休日は、ボルサリーノのフェドーラ姿で居酒屋の男になり、粗野なメルトンのミリタリーコート姿で街を揺蕩。飼いならされてはいない男の野性が服装に表出する、そのギャップ感はちょっとした拍手ものではあるまいか?
- TEXT :
- 林 信朗 服飾評論家
- BY :
- MEN'S Precious2016年秋号〝ハードボイルド〞アイテムに回帰せよより
- クレジット :
- 撮影/熊澤 透(人物)スタイリスト/村上忠正 ヘア&メーク/MASAYUKI (the VOICE) モデル/Yaron 文/林 信朗 構成/矢部克已(UFFIZI MEDIA)